母国語を大切にしたい❗️❗️

グローバル化になって、益々増えたのがバイリンガル教育なのではないだろうか。

小学校で英語教育が始まったというのを聞いた様に思う。漢字も覚えなければならないし、算数のつるかめ算なんかも、きっと今でも授業にあるだろうし。  日本語だって、きちんと話す、書く、聞く為には、それなりのお勉強が絶対に必要だと思うけれど。まして、日本語は曖昧な言語で、文法が決まっている様で決まっていないので、間違いではないが、正解でも無い文法を駆使することができるので、まだその原型さえ分かっていない小学生に、全く関係ない英語教育をする事が本当に必要なのだろうか。

日本語、韓国語、中国語は違うが、未だ英語より日本語に近いので、これらの言語は、何となく英語より親しみを感じる。中国の人とはある程度なら筆談で会話できるし、韓国語は習っても分かりやすいらしい。

欧州の場合、やはり小学生から英語を習う。しかし日本語と中国語、韓国語の関係に似ているので、もう少し馴染みやすい。似たような単語がいっぱいあるし、何より使用する文字は殆ど同じである。読み方は違うけれど。

しかしそれでも、ドイツ語と英語、英語とフランス語等のバイリンガルで育った子供には、言葉の問題が多い。流暢に話すが、中身の意味が曖昧で使用のTPOを間違えたり、文法が間違ったり。そう、西欧の言語は文法に大変重きを置く。そして 全ての言語にそれぞれの国の学術アカデミーで決めた文法があり、それに従わないといけない。バイリンガルの子供がこの文法でよく泣かされるし、表現力に欠けることも多いと、よく言われる。これは小児精神医学や、精神治療の世界でよく討論されている。

ここで言いたいのが母国語とは何かという事だ。普通に考えるとお母さんが話す言葉だ。しかし、一番大切なのは、その言葉を駆使して十分に考える事が出来、他の人、その同じ言葉を話す人にきちんと伝えられるという事である。バイリンガル、トリリンガルで育ち、沢山の語彙は持っていても、その語彙が一つの言語でなかったら、構築した言葉がステンドグラスの様になってしまったら。きれいに見えても、継ぎ目に違和感が残る。感情表現するのにも、どの言葉がピッタリ当てはまるのか、どの単語を使えば良いのか直ぐに出てこないと、思いがありのまま伝わらない結果になることも。

そう、母国語というのは、自分が考えたり、感じたりする時、それを的確に置き換えることのできる言葉、言語と言い換えられる。だから生まれた所の言葉でなくても、お母さんの母語でなくてもいいのだ。その基盤を子供のうちに作っておく必要がある。

でも小さい時から、例えば日本語と英語で育てたら、バイリンガルになっていい、という考えがあったり、それが可能という意見も多いようだが。また、バイリンガルだからこそ、いろんな表現ができるというのも。。。私は難しいと思う。何故なら、殊に日本語は曖昧な文法で、曖昧な表現でも通じるが、他の言語ではそれができない。また、感情表現、意志表現において、日本語は間接的、受動的を好むが、西洋の言語使用は、直接的、能動的であるので、全く違う。日本語は控えめで、謙遜するのが美しく、西洋は先ず的確な単語と正確な文法を使用しないと、幾ら頑張って綺麗な単語を並べても、美しい文章とは言わない。

少し逸れるが、英語は慣用句も多く、正式な文章を書くのはとても難しいらしいが、そのせいか日本でも、よくネット上で言葉の使い方のお手本みたいなサイトを見かける。友人のドイツ文学をイギリスの大学で教えているドイツ人が、正式な文章は夫のイギリス人に絶対に書いてもらう、ドイツ語より難しいと言っていた。そういう英語的発想から、日本語の文章を捉えてからなのかも知れない。しかしはっきり申して、日本語の場合敬語全般の文法や てにおは、についても、日本語教師はたいてい、そうも言えますし、こうも言えます、と教えているし、学校の作文でも、よほどの間違いでなければ、いちいち添削しない事の方が多いだろう。

日本人同士は鷹揚に受け流す事が出来、少し意味不明でも綺麗な文章(基準は色々として)を好むし、日本語はそういう言語なのだ。しかし西洋言語では、そうはいかない。分かるまで知る様に努力するのが当たり前なので、うまく答えられなければ、誤解が生まれたり、どういう意味かと問い質され、日本人なら空気でわかってくれそうな事を説明しないといけないので、その説明が難しいし、此処が一番違う。

言葉は変わって当たり前、という事も最近よく聞く。個人的には、英語化されているのではとも思うが。変わって当たり前だと決して思わない。そう発言する人は、変えて当たり前と思っているのでは?確かにバイリンガルを踏まえて言えば、日本語の例えば英語化も出て当たり前なのかも知れない。しかし、日本語と英語の間で、同じ意味に使用できる単語も多いが、こういう使い方は英語に、日本語にないなあ、という単語も双方に多くある。そういう場合こそ、日本語能力が必要なのだ。両方知っていても、両方あやふやになってしまう恐れがある。子供の時にバイリンガルだと、そういう違いも感覚で覚える、という人もいるが、無理だと思う。感覚だけでは言葉は、特に西洋の言語は駆使できない。

だから私は日本人にとってバイリンガルになるよりも、今もっと必要で大切な事があると考える。それは、この美しい響きをもつ日本語、文法の曖昧さをも含めて大切に使用しながら温存していく事だと考える。この日本語を使って私たちは感じたり考えたりできるのだから。これを大切にしなければ、私たちの文化にも影響するだろう。その良さを残していくべきだ。日本語でしっかり考える事が出来る土台が出来てから、外国語を勉強するべきだと思う。





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