Dorothea Miwako Frotscher

ドイツ某大学で研究所の研究員をしながら、文学と哲学の間の博士論文を書いていました。 家…

Dorothea Miwako Frotscher

ドイツ某大学で研究所の研究員をしながら、文学と哲学の間の博士論文を書いていました。 家庭の事情で論文提出までできず、それ以降随分経ちましたが、その間もHermeneutikについては自分なりに継続して研究しています。

マガジン

  • Hermeneutik を使用して

    西洋哲学の西洋人の考え方や、物の見方、つまり哲学 文学、キリスト教、芸術などについて、 シュライヤーマッハ、ディルタイ、ガダマーたちの追究した Hermeneutikという如何に確実に掴み取る様に分かるか という目標に向かって学んできた事、継続して学んでいる事を 少しずつ書いています。

最近の記事

母国語を大切にしたい❗️❗️

グローバル化になって、益々増えたのがバイリンガル教育なのではないだろうか。 小学校で英語教育が始まったというのを聞いた様に思う。漢字も覚えなければならないし、算数のつるかめ算なんかも、きっと今でも授業にあるだろうし。  日本語だって、きちんと話す、書く、聞く為には、それなりのお勉強が絶対に必要だと思うけれど。まして、日本語は曖昧な言語で、文法が決まっている様で決まっていないので、間違いではないが、正解でも無い文法を駆使することができるので、まだその原型さえ分かっていない小学

    • ニーチェ シャイで人間好きな哲学文豪   訂正版

      嬉し楽しき科学  二版への前書き 2回目 書き直し 1 この本にはもしかしたら、前書きが全く必要でないかもしれない: 最終的にずっと、不確実さが残ったままであろうから。それに、もしこれに似た様な事を体験していなければ、この本の前書きによってその経験に近づけられるかどうか。氷を溶かす様な生暖かい風の言葉で書かれている様でもあり: 恥知らず、不満足、矛盾、4月の変わりやすい天気が詰まっていて、またその上に、冬が近いのに、冬への勝利をしつこく催促している風でもある、  奴が来る、来

      • 多和田 葉子氏の言葉 と レーヴィット

        NHKの記事から 多和田葉子氏の以下のお言葉を拝借した。 https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/interview/detail/opinion_06.html 『日本とドイツのいちばんの違いは何でしょうか 多和田さん いちばん違うところは、やっぱり文化の果たす役割みたいなものですね。(ドイツでは)人が物事を考えるうえで大きな役割を果たしているというか、大変な問題が起こった時でもアイロニーをもってそれを語るというか

        • ニーチェ シャイな人間好きな哲学詩人

          嬉し楽しき科学(もしくは知識、調査研究)  二版への前書き 16日の改訂版 1 この本にはもしかしたら、前書きが全く必要でないかもしれない: 最終的にずっと、不確実さが残ったままであろうから。それに、もしこれに似た様な事を体験していなければ、この本の前書きによってその経験に近づけられるかどうか。氷を溶かす様な生暖かい風の言葉で書かれている様に見える: 恥知らず、不満足、矛盾、4月の変わりやすい天気が詰まっていて、またその上に、冬が近いのに、冬への勝利をしつこく催促している感も

        母国語を大切にしたい❗️❗️

        マガジン

        • Hermeneutik を使用して
          8本

        記事

          レーヴィットが日本人に最後まで言い続けた 《上部の西洋化をやめて本来の日本の良さで前進するべき》という事。彼は哲学者の立場から日本の状況を冷静に判断し、西洋の歴史も吟味して、キリスト信者の立場から、一番近しい人への愛の手を差し伸べたのだと考える。日本人にはそれが伝わっていない。

          レーヴィットが日本人に最後まで言い続けた 《上部の西洋化をやめて本来の日本の良さで前進するべき》という事。彼は哲学者の立場から日本の状況を冷静に判断し、西洋の歴史も吟味して、キリスト信者の立場から、一番近しい人への愛の手を差し伸べたのだと考える。日本人にはそれが伝わっていない。

          ハイデッガー 妻エルフリーデへの書簡  僕の愛しいゼールヒェン(繊細な女の子)

          2005年に発行されたこの書簡交換は、かれらの孫娘、ゲルトルードが編纂、編集している。ゲルトルードは 祖母の遺言で、古い鍵を貰った。その鍵には絹のバンドが付けられていて、バンドには《この鍵は私の死後 孫娘のゲルトルード ハイデッガーだけが所持する》と手書きで書かれていた。それは古い木箱の鍵で、その中には、祖父マルティン ハイデッガーから祖母エルフリーデへの手紙や葉書、1915〜1970年迄が、ギッシリ詰まっていた。 それらから、政治的な表現や、アンチセミティスムが見られる書

          ハイデッガー 妻エルフリーデへの書簡  僕の愛しいゼールヒェン(繊細な女の子)

          日本人の考える力

          ドイツ人哲学者 カール レーヴィットが アメリカで発表した       《Der japanische Geist》のGeist 日本では一般的に 精神とか真髄とか訳されているようだが、本来のドイツ語の意味には二通りある。 1 人間の思考している自覚、分かる力、カントから- 内容を構築でき、それを判断したり、言葉で述べたりできる力(財産)                   2 鋭い感覚、精神 個人的に、レーヴィットは両方の意味から、日本を観察していると思う。日本の教授

          日本人の考える力

          一人の日本人と 一人の問いかける人の間で

          日本語にも訳されているハイデッガーの、言葉についての対話から、に入っているこの論文には、戦前九鬼周造がハイデッガーに粋の構造を伝えようとして、思うように伝える事ができず、一方ハイデッガーは言わんとする事を分かるよう努めたが、結局分からずじまいに終わった背景がある。その九鬼周造の生徒だったと言う教授が 戦後ハイデッガーを訪ねた時に、交わされた会話だといわれているらしい。何処までが実際の会話で、何処がハイデッガーの創造なのか、はっきりしないが、一つ気になった事があるので、記してお

          一人の日本人と 一人の問いかける人の間で

          ハイデッガー ガダマー レーヴィット

          ​ Dasein In - der - Welt レーヴィットは彼の著書『欠乏の時代に考える人der Denker in Dürftiger Zeit』中でハイデッガーの信仰について、批判した。               以前の投稿 カール レーヴィット参照      ガダマーはHermeneutikを Sprechen Gespräch 話す 会話の中で、言葉の誕生について語っているが、ここで(キリスト教における)神については一言も触れていない。それどころか、カ

          ハイデッガー ガダマー レーヴィット

          アートゥーア ショーペンハウアーの誕生

          ヨハナ ショーペンハウアー 「若き日の思い出」から ...母と姉妹たち、そして私の側に居る人たちから、抱き抱えられる様に、愛され、温かく包まれて、1788年2月22日、力強く健康な男の子の幸せな母親になるまで、日々が過ぎて行った。 全ての若いお母さんがする様に、私も私の新しいお人形と遊んだ。何よりも実際に強く確信した事は、神の土地の上で生きている子供の中で私の子が、一番可愛く、おとなしく、同じ年齢の子の中では飛び抜けて賢い子だという事、そして、昼も夜も、息子アートゥーア以

          アートゥーア ショーペンハウアーの誕生

          カール レーヴィット遺構 「本当の日本」

          1933年 東京にて M氏はあるドイツ人(男性、仮名N)の日本での発言が、彼の日本人としての自覚を傷つけられた事への反論を、順を追って話した。そのヨーロッパ人が日本について持っていた不公平な“偏見”を否定した。だがこの反論での不可解なことは以下である。ヨーロッパ人のNが、欧州の文明文化が日本にいろいろな分野で影響していることが、日本にとって危険であると見た事に対し、日本人Mは日本では欧州の文明文化を基準にしているとしての抗議であった。N、10年間日本に居住、彼の地の文明文化

          カール レーヴィット遺構 「本当の日本」

          Karl Löwith カール レーヴィット

          ハイデッガー 不足(欠乏)の時代に考える人 1960年 前書き 第二版 より „もし、いつ迄も 学生として居続けたら、教師に敵意を抱く。        そして 君たちはどうして 私の花冠を毟り取ろうとしないのか? 君たちは私を褒め称える; しかし どのように - もし 君たちのその称賛が ある日崩れ落ちてしまったら?“ 注)学生として居続けないといけなかったら、と言える。つまり、その教師が、いつまでも教師であり続けたがる という意味であるとも解釈できる。そしてレーヴィ

          Karl Löwith カール レーヴィット

          独ブランデンブルク州、今迄コロナの為閉店させられていた≪タイマッサージ≫の店が営業許可に。但し、客、マッサージ師共にマスク着用厳守、そしてセックスの提供は未だ不可‼️タイマッサージの店、セックスも提供していたの知らんかった。ニュースで知って、あんまりびっくりしたので一言。

          独ブランデンブルク州、今迄コロナの為閉店させられていた≪タイマッサージ≫の店が営業許可に。但し、客、マッサージ師共にマスク着用厳守、そしてセックスの提供は未だ不可‼️タイマッサージの店、セックスも提供していたの知らんかった。ニュースで知って、あんまりびっくりしたので一言。

          聖書の愛と隣人愛 について

          偶然この本をAmazonで見ました。                    哲学・思想翻訳語事典 (日本語) 単行本 – 2013/5/1 柴田 隆行 (監修), 石塚 正英 少し立ち読みができたので 読んで見た。愛について ルターの聖書でもLiebeという言葉しかない。本来はもっと違う言葉で違う意味のある 愛 に関する言葉があるはずなのに、と書いてあった。そんな事は言われなくても百も承知で ルターはLiebeを使った。本当の神の愛を示すAgapae 、人間同士の愛を示すP

          聖書の愛と隣人愛 について

          ことば Sprache 再考

          昨日 Spracheを言葉 言詞が適切と思うと書いた。            その前には聖書のヨハネの福音書の引用で、Wort を言葉と訳していた。しかしWortとSpracheでは日本語も違うべきと思い立ち、先ず、手元にある広辞苑(1998年)を引いてみた。“単語” で引くと- 文法上の意味 機能を有する、言語の最小単位。文の成分となる。例えば花が咲く🌸という文における「花」「が」「咲く」など- とあった。これは正しくWort に匹敵する。          それで“言葉・

          ことば Sprache 再考

          ことば 言葉 Sprache langue

          ガダマー 哲学のはじまり Reclam より                  言葉は- あのニーチェによる言い方をすると- 神の発明 である。 言葉と書いたが 原文はSprache である。グリム辞典(グリム兄弟は日本ではメルヘンで有名だが、本来の彼らの業績はこのドイツ語辞典である。彼らはルターからゲーテまでの時代のドイツ言語を蒐集して、一語ずつの成立起源、変遷、使用例などを丁寧に分析し辞典として作成していった。彼らの死後はベルリンにあった科学アカデミーがそれを受け継い

          ことば 言葉 Sprache langue