頼光四天王 渡辺綱 鬼を狩るもの 名刀 鬼切丸と童子切
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今回は、平安京のゴーストバスターズ、源頼光四天王、筆頭「渡辺綱、ワタナベノツナ」について、お話しさせて頂きます。
今となっては、諸説、メチャクチャにあるお話しなので、私なりの解釈であることをご了承下さいませ。
渡辺綱 武士の苗字
渡辺綱は、平安中期の武将で、本来の名は「源綱、ミナモトノツナ」である。
武士は、名前から、「自分の土地の支配権を主張するため」や、「誰の血脈なのかが分かるため」ないし、「官位、職務を伝えるため」に、「字、アザナ」を使用することが多々ある。
源頼光は、別の名に「多田頼光、タダノヨリミツ」がある。
これは、名前から、「摂津国多田の出自でありますよ」「清和源氏の血脈ですよ」と分かるようにする為である。
ちなみに、戦国武将にもこれは適応される。
賛否あるが、「織田信長」は「平信長、タイラノノブナガ」という名もある。(長いので、ミドルネームは略しました)
「平家の血脈です」ということだ。
渡辺綱は、「摂津国(兵庫県)の渡辺に居住を許された、嵯峨源氏の血脈」であることを表しており、尚且つ、「摂津国の武士団を統率する役目を担っている棟梁で、内裏の警護をしています」という名刺になっている。
渡辺家は、現代の節分、平安期の「追儺、ツイナ」(追儺は、鬼遣オニヤライともいわれ、年末に行われていた鬼を追い払う儀式)に、警備の立場から、参加していたと思われる。
また、現代の「渡辺性」の祖である。
この経歴から、武士集団を束ね、内裏の警護にあたるほど、屈強な武士であり、信頼に値する人物であったことが分かる。
この屈強さと、鬼払いの儀式が、渡辺綱を鬼退治伝説の立役者としたのであろう。
愛刀「髭切、鬼切丸」と「童子切り」
綱は、源氏で、摂津国武士団の棟梁であることから、清和源氏の源頼光より、源氏重大の太刀、「髭切」を貸し出されている。
これは、大変な名誉なことであろう。
髭切の正当な所持者、源氏の当主から、宝刀を預けられたのである。余程の信頼と期待がなければこのようなことはない。
綱は、この太刀で、酒吞童子の討ち入りに参加し、また、一条戻り橋で鬼の腕を切り落としている。(後に、一条戻り橋の鬼退治は、「羅城門の鬼退治」に変換されます)
これにより、太刀「髭切」は、名を改め「鬼切り丸」となる。
これが、この二太刀の混乱していく部分だと思うのだが、「鬼切り丸」は、「童子切り」ではない。
ゆえに、「髭切」は「童子切り」ではない。
源頼光が、酒吞童子を斬った太刀は、この時のために、神が与えた「御神刀」であり、源氏重大の「髭切」と別物である。
この「御神刀」は、酒吞童子を斬ったことから、「童子切り」と名付けられるのだが、この時、「鬼切り丸」と名を変えたともいわれている。そのために、その後、「鬼切り丸」と「童子切り」が混同されてしまったと思われる。
また、時の支配者が両刀を集め、所有しているので、更に見分けがつかなくなった。
両刀、「鬼を斬っている」ので、仕方がない話ではある。
北野天満宮
さて、現在、綱の使用した鬼切り丸は、数々の所有者を経て、京都の北野天満宮に奉納されている。
これは、縁である。
綱は、一条戻り橋で、女性に扮した鬼に捉えられる。鬼は、そのまま、空へと舞いあがり、愛宕山方面へ、彼を連れ去ろうとする。
この時、綱は「神仏に祈り」、太刀「髭切」で、自らを掴んでいる鬼の腕を斬り落とす。
必然、落下したのだが、その場所が、北野天満宮であったといわれている。
後日、神のご加護に感じ入った綱は、この髭切を一度、北野天満宮へと奉納している。
これが、北野天満宮に「鬼切り丸」が宝刀として祭られている由縁である。
現在、あまり知られていないが、北野天満宮には、渡辺綱が寄贈したといわれる灯篭が立札と共にある。
終わりに
何かのTV番組で、有名になったらしいお話しに、「渡辺さんの家では、豆まきはやらない」というものがあります。
これは、渡辺綱様が、幾度となく「鬼を斬り、鬼に畏れられているため」に「豆をまかなくても、鬼からの手出しはない」ということらしいです。
平安の都で起きた「鬼退治」の伝説が、数々の歴史を重ねてきた現代に於いても、このような形で残っている。これは、素晴らしいことであり、不思議極まりないことだと思います。
また、源頼光様、渡辺綱様のような、怪異への関り方は、まるで、「ゲゲゲの鬼太郎」を始めとした日本の妖怪漫画のようです。
きっと、千年の昔から、人間の物語への興味や、楽しみ、本質は変わっていないのですね。
お読みくださった方々、本当に有難うございます。
皆様が、お幸せでありますように。
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