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虫の知らせは超能力? 体験談

いつも、お読み頂き、ありがとうございます。

私は、現代で、超能力と言われるものは、元来、人間に備わっている普通の力なのではないかと考えています。

もちろん、限度はあると思いますが、「虫の知らせ」、別の言い方をするなら、ある種の「勘」は、生物としても当然のことなのでは、と考えています。

また、皆様が、感受性を働かせ、毎日、写真、イラスト、小説などを創造されるのも、ある意味、超能力だと思います。

誰にでも、できることではないですし、もしも、時代自体の価値観や、文化が違えば、忘れ去られた「能力」と呼ばれてていても、差支えないものだと思います。

今回は、「虫の知らせ」についてのお話しをさせて頂きます。

よろしくお願いいたします。


祖母

私の祖母は、時折、不思議な体験をしていたようで、「人が亡くなる家は、窓から、ふわふわした煙のようなものが、出て行く。そういうものなのよ」と言っておりました。


私は、幼少期に、父親を亡くしています。ある日、職場で倒れ、そのまま他界しました。

会社からなのか、病院からなのか、家に、連絡が入り、母は、取るものも取らず、私を残して、飛び出していきました。

当時、五歳だった私は、ただ、ただ、おろおろとしました。
すると、すぐに、電話がなります。
普段、子供だった私に、電話を取る習慣はなかったのですが、なぜか、この時、「とらなきゃ」と思い、受話器をあげました。

祖母からでした。

「もしもし」を言う前に、「何かあったわね?どうしたの!?」と言われたことを、しっかりと、覚えています。

私は、郊外、祖母は、都心に住んでいたので、しばらくしてから、祖母がやってきて、その後に、荷物を取りに母が一時帰宅しました。

母は、「え?なんで、お母さんいるの!」と驚いておりました。当時、携帯はない時代でしたので、家を出て、私の面倒を見てくれていた祖母に連絡が取れずに困っていたそうです。

後に祖母にこのことを聴きました。「なぜ、急に電話してきたの?」と。

「その日、台所に立っていると、どうしても、おじいちゃんの仏壇を拝まなきゃと思ったの。お線香をあげていたら、電話が一回だけなって切れたのね。そしたら、急に、あなたのお家に何かあった!電話しなきゃって、思ったのよ」

「不思議ねぇ」との答えでした。

私は、これは、当然にあることだと思っていたので、友人に話し、からかわれました笑。

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叔父さん

私の連れ合いの実家は、とある島なのですが、そこにお住まいになっている叔父さんは、普段、漁業と農業を営み普通の暮らしをしています。

そんな、叔父さんは、親戚がなくなると、「故人が、挨拶に来るのは普通のことだ」と言います。


挨拶に来る人が、誰なのか、分かる場合と分からない場合があるようです。

連れ合いの弟さんが、不慮の事故で、亡くなった時も、「前の晩に、庭に来ていたぞ」と、おっしゃっておりました。

私は、これが、不思議で仕方なく、あれやこれやと聴いてみましたが、ご本人は、さして気にしてもいないので、何も、わかりませんでした。

そんなある日、皆で酒を呑んでいる時、こんなお話しを聴きました。


叔父さんは、若い時分、人が亡くなると、棺を担いで、火葬場まで運んでいたそうなのです。

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当時、この島は、道もないような田舎だったので、車が走れず、人が担いで火葬場まで行くしかなく、若くて力自慢だった叔父さんが、いつも、その役を買って出ていたそうで、「雨でも、雪でも、何時間もかけて運んだ」とおしゃっていました。(余談ですが、死体は動くと言っておりました笑)

私は、これが原因なのだと分かりました。

亡くなる前にも、一族の長男としての叔父に、面倒を見て貰い、亡くなってからも運んでもらう、このことに対し、個人は「ありがとう、よろしくお願いします」と伝えにきているのだと。

その名残で、今も、親類で亡くなる者がいると伝え来るのだと思います。


私の連れ合い

私の妻は、十数年前に弟さんを不慮の事故でなくしているのですが、彼が亡くなる一か月ほど前、急に夜中に飛び起きて「○○が事故にあう!」と騒ぎました。

この時は、たまたま夢をみたのでしょう、ということで落ち着いたのですが、その後、嫌なことに、この夢は、現実になってしまいました。

予知夢というべきなのか、虫の知らせというべきなのか。


まとめ

これらは、実際に私の身の回りで起きた出来事で、叔父さんに至っては、今も継続中です笑。

皆、特に特殊な人たちではありません。

私は、集中力の問題か、元から疑いなく信じているからなのか、どのような理屈が存在しているのかは、分かりかねますが、人間には、そもそも、この能力は携わっているのだと実感しています。


ただ、科学が進み、携帯ですぐに連絡がつけば、祖母のように「気がつく」必要はないですし、延命処置ができれば、生きている内に実際に顔を合わせることが出来るので、他界してから会いに来る必要はありません。


あるバンドが、「100年がかりで何を手に入れ、100年がかりで何をなくした?」と歌っておりました。


これらは、「何か、特別な要素があるのではなく、すぐに連絡が取れないことが、人が人を想う気持ちを増加させ、心配する気持ちを増加させ、人と人の繋がりを強化し、すぐに切れない人間関係を強くしていた結果なのだと思います。


追伸

唯一、この方たちの共通点は、他の方たちよりも「信心深い」ことです。

これは、自分の他の体験と照らしても、何か思うところがあります。


お読み頂きありがとうございます。

皆様が、ネットで繋がりをおつくりになることに、科学社会の未来がある気がしています。

有難うございます。皆様がお幸せでありますように。

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