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バイイング イン インド☆my traveling diary Ⅴ 天から降ってきたアドバイス

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ネパールにはこの時トータル1か月ほど滞在しただろうか。私の第一の目的はなんといってもオープン予定のお店の買い付けである。タイでは出会えなかった石(半貴石)を何としても見つけたかった。ネパールは私の一番大好きなヒマラヤンクリスタルの国でもある。しかし、私はそれに関するつても、情報も一切持っていなかった。

韓国人のYはカトマンドゥでの数日の滞在を経て、彼女の一番の目的であった、ポカラでのトレッキングに出かけていった。はっきりと自分のやりたいことがあり、べたべたとした関係にすがらないYは私にとって最高の旅の友だった。またポカラで会えるよね?という曖昧な約束をして私たちは別れた。

確かにネパールらしい雑貨や洋服、アクセサリーは街に溢れている。ただそれらは埃だらけのことも多く、クオリティの低いものが多かった。しばらくリサーチしているうちに私は理解した。海外からのバイヤーとは、ネパールの工場などに直接オーダーして製品を作ってもらっているのだ。オーダーされた訳あり品や過剰生産品などが商店で売られているケースも多い。自分の素人ぶりに落胆した。こんなことは日本でもう少し調べていれば簡単にわかったことだろう。しかし私は教えられるのではなく、自分の発見によって学んでいくということを大切に思っていた。そんなど素人丸出しでもいくつかの古物商からは、古いビーズやチャームを手に入れることができた。またネパールで人気の手すき紙は、素朴で温かみがあり、自分のお店の包装紙やカードづくりにと、量り売りしている店でたくさん購入した。

一番手に入れたい石については難航した。タメル地区に、いくつかの石を売る店を見つけた。たいてい石の店は、他の店より立派な店構えで、扉にはたくさんのクレジットカードのステッカーが貼ってあり、入りづらい雰囲気が漂っている。勇気を出して一軒トライしてみた。私は専門家ではないが、これまでの経験から、石の種類や値段、クオリティなどの知識がある程度あった。試しにある石を指差し値段を聞いてみると、べらぼうに高い。その時点でまったく信用できないし、強面の店主と一つ一つの石について値段交渉することを思ったら、気が遠くなった。またこのような見るからに観光客向けの店でたくさん購入することは、素人バイヤーの私でも避けたかった。「How much! you buy!?(いくらなら買うんだ!)」という声を背に、逃げるようにその店を出た。

ちょうどその日はクリスマスだった。街にはクリスマスらしい雰囲気はなく、若干のイルミネーションが見られる程度だった。浮かれているのはバックパッカーのみといった感じなので、一人で過ごすことが特別さみしくも感じられなかった。少しでも楽しもうと、イタリアンレストランの窯焼きピザを食べに行った。日本では決してクリスマスに一人ではしない行為だった。白いクロスがかけられたテーブルで、夜の街を眺める私の頭の中は、さみしさ、ではなく、一層強くなる買い付けへの焦りとお店をオープンさせることの不安でいっぱいだった。こんなところまではるばる来たのに。。。お店の経営にあたりはじめにしっかりと決めておく様々なこと、商品の包装やディスプレイなど細かいところまで、考えることはたくさんあった。眠れないということがあまりない性質であったが、その日はなかなか眠れなかった。

いつも通りふらふらと街を散策中、普段の私が海外ではあまりしない、日本料理の店に行きたくなった。日本食が食べたくなったというより、日本人と話したくなったのだ。
その店は当時日本人男性が二人でやっていた日本風の洋食店だった。パスタやハンバーグなど日本人に合う味付けで人気のお店だった。カウンター越しの店主のお二人はとても気さくで穏やかで、私と同じくらいの年代に見えた。人見知りがちな私でもすぐに、前からの知り合いのように話しはじめてしまった。いつの間にか隣に座っていた常連客らしい男性も会話に加わっていた。彼はネパールに長期滞在中らしく、私たちより若干年上の落ち着いた、物静かな男性だった。日本では何をされているのか一見わからないような少し謎めいた雰囲気もあった。私の焦りを聞いてもらったのち、彼は口を開いた。 
「君の店はそこらへんに売っている安い雑貨を売るような店ではないよね?」
私からそのようなコンセプトを話した覚えはなかったが、確かに私はそれを望んでいることを再認識した。
「君の店に置くものは、君が本当に良いと思う特別なモノだよね。。。そういうのって簡単にみつからないし、出会いなんだよね。。。」
私は心の奥底から納得し、うなずいた。その後、美味しいご飯をペロッと平らげて、彼らにお礼を言って店を出た。

何とすがすがしく、ふっとゆるんだ気持ちに変わっていたことか。アドバイスは天からふってきたような、自分の中に既にあったような。。。今でも彼の言葉は人生のいろんな場面で思いだされる。とても大事なこと。何かに焦っているとき、何かにがつがつしているとき、本当に善きことはやってこないのだ。


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