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“私”の総容量は決まっている

Chambreblanche(しゃんぶるぶらんしゅ)という二人文芸同人サークルを始めてもうすぐ一年になるが、つい先日、相方・早乙女ぐりこがキングジムの誇るハイパー文房具のpomeraを買った。
布教者は私と彼女の元夫氏だ。ことあるごとに「pomeraカワイイ」と言い続けてきた私だが、電子機器に興味の薄い彼女がpomeraを手にする日が来るとは正直思っていなかった。

彼女は目的に向かって邁進する力に優れていて、それと決めたことに勢いを持って取り組む。それは私にはないパワーだ。
それは7月7日にpemeraを手に入れてから、既にpomeraを使用して作成したnote記事を5つも(つまり、毎日)公開していることからも明らかだと思われる。  
サークルの発起人も、もちろん彼女である。

一方私のpomera DM20はと言うと、最近はひょんなことから安く手に入れたLet’s Noteに出番を奪われがちであり、裏面のゴムは劣化しキーボードのアタッチメントは(直そうと思えばおそらく直せるが、特に使うにあたり支障がないため)一部が破損したままでいる。
それでも私はこのpomeraを愛しているが、バックライトのついていないDM20の液晶は、私の好きな純喫茶の仄暗い照明と相性が悪いこともまた事実で、私はpomeraのみで何かを書き切ったことが一度もない。
もしもpomeraに「有効使用率」なる如何に効率的に文章を作成できたかを測る指針でもあれば、私の有効使用率はとっくにぐりこのそれに抜かされていることだろう。

さて、本日の本題はガジェットの話ではないので、それらはここらで脇に置く。
そんな彼女のこの記事における『女友達にはそんなこと思わないのに男の人には自分のコーヒーの好みを理解していてほしい問題』について、私が思ったことを思ったままに書いてみたい。

その感情には私にも見覚えがあった。
さて、どうしてそうなってしまうのだろう。その答えを探すため自分に潜り始めた時、私はこんな事実に突き当たる。
どんなに充実した日でも1日は24時間以上にならないように、“私”というキャパシティには上限があるのだと。
私はぐりこのように外側を巻き込んで自分のものにする力がない。
何かに熱量を注ぐために発生させるエネルギーは、いつだって内側で発生し育っていく。今だってそう、当たり前のように内側にだけ答えを探している。

私の「入れ物」の狭さの一端はこんなところにも垣間見える。
学生の頃、親と衝突した際に「あんたは引き出しが少ない」と言われたことがあるが、ヒキダシと言われてよくある洋服箪笥しか思い浮かべられなかった私は「抽斗はみんな大体五段でしょ?」と返し、大笑いされたことがある。
今でも意見が合わない時など、時折「あんたは引き出しが五段しかないものねぇ…」としみじみ言われる。
経験則の外側や知識外のものに矢印を向けられない発想の乏しさは、確かに五段程度だと言えるのかもしれない。

ともかく、まずここに“私”で満たされたまんまるのパイがあるとする。
誰かといることで自分のものでは無いパイが手に入るが、貰ったパイと同じくらいの大きさの私のパイをどこかにやらないと皿には乗らない。
それを受け取って欲しい相手は、私の右手に余るパイの持ち主は、それを受け取ってくれない(あるいは、そのように感じてしまう)。
仕方なく自分のパイを型に沿って少しずつ押し込めて貰ったパイを収める。
誰かと一緒にいればいるほど、望もうと望まざるとその人のパイが手に入る。皿には異なる種類のパイが増えていく。
しかし、依然として自分のパイの行き場がない。
だから新しいパイを置くために、また少し皿の縁どりに沿ってパイを押し込める。
そうした繰り返しにより限界まで圧縮された“私”は、ある日ちょっとした衝撃で容易に弾け飛び、暗澹たる宇宙のごとく千切れてしまうのだ。

「あなたのパイを持つために、私のパイはそっちに置かせて欲しい」
つまりはこういうことになるのだが、それを言い換えると、
「(あなたを理解したいから、)私の気持ちをわかってよ」
となってしまうため、たったひとつの私の願いは届かないまま、パイとしての役割を果たせぬまま私によってごみ箱に捨てられてきた。

“私”の総容量は決まっている。
それは自重だけでも骨を軋ませるほど重く、ポンコツPCのCPUのごとく常に出力の調整を行っている(そして、時にうまくいかずにフリーズしたりブルースクリーン表示になったり起動しなくなったりする)。
この荷物を下ろしたい。一緒に持ってもらいたい。
女友達と生活基盤を共にすることはまずない。私たちはいつも、そしてこれからも別々の場所へ帰る。だから女友達には荷物を一緒に持って欲しいと思わない。

しかし、これからの長い時間を一緒に数えて同じ場所に帰りうる対象には、それを理解してほしいし理解する姿勢を見せて欲しい。
皿が二枚になればパイを零さずに済むのではないか。パイが零れたとしても、受け皿があれば駄目にならずに済むのではないか? そんな淡い期待を持たずにはいられない。(他者に期待を持つのは愚かだという考えもあるが、期待を持てないような何かは代替可能な何かであり、その何かと一緒にいる意味は特にないと私は考える。)
ひいては荷物を持たせて貰えない=興味の受け渡しが出来ない時点で、私にとって明確な拒絶であり、この世界の終わりに他ならないのだ。


最後に、このテキストの前半を入力したのは購入したばかりのiPhoneXSであり、後半および手直しはソニー純正最後期のVAIO Fit 14Eであることを忘れずに記載しておく。(pomeraは?)

14Eは2014年製とのことなので、通常であればそろそろ替え時だ。
一方pomeraは自ら進化を止めたガジェ……文房具だから、陳腐化することは殆どなく、PCよりもずっと長く同じ個体が人々に寄り添い続けられる。私とpomeraのように。
ま、次はSurfaceなんかもいいよね。

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