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外の世界に触れてみる

英語の表現で

「(Who is) Living in the bubble」というものがあります。

英語の「バブル」と聞くと泡、もしくは経済のバブルを思い出すでしょうか。

この表現では、

似たような思想や考え方の小さな世界だけで過ごす(人)ことをさします。

ちょっと世の中の問題から離れた場所で、他の考え方を受け入れない(人)

みたいな感じであまりよくない表現で使われたりします。

日本語だと「井の中の蛙」って感じでしょうか?

私たちの多くは、多かれ少なかれ守られた小さな社会(バブル)の中で生活しているのではないでしょうか?

例えば、

私の周りの友達やコミュニティーはもちろん趣味や興味が似ているだけではなく、

社会的思想など考え方が似ています。

私自身、そして多くの友人は

ダイバーシティー(多様性)や違いを受け入れる、多くの人にとって住み良い社会が良いと考えます。

けれど、この「ダイバーシティー」自体が一種の考え方とも捉えられます。

一歩外へ出ると

世の中には、全然違う考え方の人たちがいます。

ヘイトスピーチ、ホモフォビア(同性愛嫌悪者)、女性差別・・・


私には理解できない!と昔はよく怒っていました。(今でも笑)

実は、恥ずかしいですが昔おじが同性愛者への差別発言をした時に喧嘩しそうになりました。

その時は、父が私が怒っていることを察して、中に入ってくれて

喧嘩にはなりませんでしたが、

それ以降、私がとった行動は、

おじにはできるだけ会わないようにする、というものでした。

私は、もともとこのおじが苦手だったし、

彼こそが、「Living in the bubble」で

自分がいつも正しいと思っている頭の固い人だ!避けるに限ると。

でも最近になって、自分もまたある種の守られた社会や考え方の中にいるのではないかと気付きました。

そしておじにとっては、私の方が理解できない人種なのだろうと。


ソーシャルメディアやネットの世界が広がり、

世界はどんどん二極化されていると言われていますが、

パンデミックなど世の中に不安や恐怖が起こったことにより

この二極化に拍車がかかったと思います。

世界の情勢などを見ても、ちょっと恐ろしく感じる時もあります。


そんな中、自分のとっている行動にふと疑問を感じました。

世界の二分化まで行かないまでも

私もある意味、自分の小さな世界を白黒に分けているのではないのだろうか?

私は、例えばおじに少しでも理解してもらえる努力をしたのだろうか?

おじを避けることは、確かに楽な方法で、

分かり合えないと反対の道を行くことです。

私はしばしばこのように、どうしても歩み寄れない!(多くの場合は、差別や偏見など)

全く違った考え方の人を避けてきたように思います。

私の友人の中には、ディベートを超えて怒り狂う人もいます

どちらにせよ

本当に理解を広めたいのなら、

避けても、怒っても、その距離は縮まらないですよね。

そして、自分から歩み寄る努力も必要ではないかと考えるようになりました。

相手の意見も聞くこと、自分の考えを感情的にならずに伝えること

敵を知り、己を知 れば百戦危うからず、です。


今朝の散歩中に星読みYujiさんと美容科の本島さんのラジオで、Yujiさんが

うちの世界ばかりでなく、外の世界(自分とは違った世界)の人たちと話すようにしています」と仰られているのを聴きながら、

それって、すごく大事なことだなぁと関心しました。

いきなり、両極端の、そして難しい社会・政治問題から入るのはハードルが高く、とてもチャレンジを伴う行動です。

自分のバブルに気づいて、

色々な価値観や世界観に触れることを積極的にしていこう!

と思います。

そしてやっぱり私は、多くの人が受け入れらる社会であって欲しいと願います。

そのための努力をし続けたいと思います。

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