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光の霊的なはたらき

こんにちは。暮らしの中の哲学研究所代表、
瑞穂です。
また1歳、新たに年を迎えた1月6日の朝に記事を書き始めています。

そしてこの日は、救い主の誕生を顕す輝く星を頼りに、東方の三人の博士が12日間の旅の末にベツレヘムにいるマリヤとヨセフのもとに辿り着き、生まれたばかりの幼な子イエスに捧げ物をする日、Epiphany(顕現祭、公現祭)でもあります。

「彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先にすすんで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
 そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、黄金、没薬、乳香などの贈り物をささげた。」

マタイによる福音書2:9−11
救い主が生まれたところは厩とも洞窟とも言われます。

日本ではクリスマスは12月25日に終わり。その後はお正月を迎えるための準備モードに切り替わりますが、、、
キリスト教文化圏では、
キリストが生まれる前の4週間の待降節、
キリストが生まれた後の12日間の降誕節、
そして今日の顕現祭までがクリスマスの大きなくくりなのです。


キリストの光のはたらき

キリスト起源にまつわる研究によりますと、西暦4世紀ごろに12月24日の深夜から25日の早朝にイエス・キリストが生まれたと定められたようです。
実は4月19日の夕方にイエスが生まれたと書かれてる聖書外伝があるそうなのですが、私が思うに本質は誕生日の事実の追求ではなく、2000年以上前に
「キリストとして地球に降り立った人がいた。
そして、愛と救いのはたらきかけを行なった。」
このように地球に与えたキリスト的作用にフォーカスして観ると、宗教の枠を超えた感覚で物事を観察するのに役立つのではないでしょうか。

12月24日を迎える日曜日4本のロウソクに火が灯されます。

アドベントクランツのキャンドル1本1本は、地球が生まれてからの進化を表すことを前回記しました。
地球に生まれたのは鉱物界、植物界、動物界、人間界の順です。
そして唯一人間だけが、鉱物、植物、動物を見て、美しいと感じたり可愛いと愛でたり、そこに美を見出すことができます。
人間がモノを見て美しいと感じると、愛られたモノは歓喜し愛の光に照らされ、そのスピリットは浄化されます。火を焚けば煙が上へ上へと上昇するように。
そして人々の光の眼差しが集まり大きくなるにつれて世界は輝きます。それは灯されたキャンドルがどんどん増えて温かさと安らぎを与えるように。
私たちの内なる世界もまた、外からの強く輝く光に助けられます。
私たちは希望に満ちた世界を外にも内にも作ることが出来ると知っていることが大切なのです。
それがクリスマスの精神であり、その象徴となるのがアドベントクランツです。

内なる光のはたらき

青々と茂っていた葉や熟した実は燃えるように鮮やかな色彩に紅葉し、12月に入ると燃え尽き焦げた色の種を残して、秋はすっかり過ぎてしまいました。
そして日照時間は日に日に縮まり、暗く寒く自然エネルギーを体感的に感じにくい季節に入りました。
けらども、冬至を迎えても太陽の陽射しはまるで変わらないように感じますが、天の動きを学んだ私たちは、確実に陽の力が日ごと大きくなることを知識の上でわかっています。

冬至前後だけを比べても目に見えて違いがわかりにくい太陽の光ですが、自分自身の内なる太陽と重ねてみると、どうでしょうか。
幸いにも日本文化には、年末大掃除からお正月へと、身の回りを日常の穢れを祓い、陽の光にあてたり磨き上げることで、ハレに変化させる慣習があります。
日頃忘れていたもの、あるいは、隠れていた目立たないものを輝かせること。
つまり、小さな闇に光照らす作業が掃除です。
これを私たちの心と学びに当てはめてみましょう。

1600年初めに書かれた消息文の中に、青蓮院流の書風を流行させた青蓮院尊純法親王が書の手習の弟子に書き付けた手紙が残っています。
『御清書愚存申入候寒中之御手習尤肝要候』
冬の間にこもって字を練習したり、勉強することを怠っていただろうとお叱りしている文です。
かつて冬とは、意識を外に向けるのではなく、自分自身と静かに向き合い、学び、手業を上達させ、心を技を育むための期間とされていました。

ルドルフ・シュタイナーは地球の意識と呼吸を霊的観点で見るように伝えています。
冬至を境に地球は少しずつ息を吐き始め、意識は外へ向かい始めます。そして夏至の頃に大きく吐き切るのです。夏至を過ぎると、地球は少しずつ息を吸い始める気配を見せます。そして立秋を迎え、意識は内へ内へと向かい始めると言います。

植物はその土の養分を冬の間に吸い、根を広げて地を固め、春を迎えた時に花開く準備をします。
お稽古も同じこと。自身の内側に光をあてる作業とも言えますね。

植物の光のはたらき

朝陽が昇り、日中にかけて少しずつ地表の気温が上がるように、太陽が地を熱し、鉱物や植物が温まり始めるのは冬至からおよそ45日ほど経過した、立春を迎える頃。
可愛らしい新芽が顔を出します。
発芽には大きなエネルギーが関わります。
私たちが何かを始めるとき、0から1になるまで、特にエネルギーを必要とするのと同じですよね。

正月七日目の、生き生きと生命力詰まった若菜を摘んで食す七草粥の行事は、本来の太陰暦で考えると立春前後にあたります。
空からと、土からと、植物たちが一年を通して集めた光を頂戴し、無病息災を祈って手を合わせいただく七草粥。植物を通して間接的に光を取り込む行為とも言えます。
「お食事とは食欲を満たすもの」という考えよりも、エネルギーが足りない身体の内部や心に「光を取り込んで、治癒へと向かわせるためのもの」と考えると、食への向き合い方も違ってくるように思います。

さて、長文をお読みいただきありがとうございました。光のはたらきについてはまだまだたくさん述べることがあります。
また次の機会をお楽しみください。

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