裸の心で、舞ってこよう
はじめまして。
2022年5月よりヘラルボニーに入社いたしました、小森樹子(こもり きこ)と申します。
現在は、HERALBONYのプロダクト企画・ショップ運営を統括するブランド部門に所属しております。
いつかこのnoteを読んでくださった皆様と、ショップで直接お会いできる日があれば幸いです。
入社エントリーということで、人生初のnoteにドキドキしながら向き合っております。
初心に返る意味も込めて、歩んできたこれまでを綴りたいと思います。
モジモジ青虫
幼少期は、内弁慶という言葉がピッタリな子どもだったとよく言われます。
家では内輪ネタのギャグを披露しまくるくせに、
幼稚園や学校では人前に出ることを極度に嫌い、いつもモジモジしているような子でした。
そんなモジモジキャラのまま迎えた小学5年生の夏、突如父親の仕事の転勤で4年間のアメリカ生活がはじまります。
月曜日から金曜日までは現地の学校に通うのですが、全く英語を勉強して来なかった私は、
「I want to go to the bathroom(トイレに行きたいです)」
というフレーズが書かれた紙切れだけを持たされ、登校していました。
生粋のモジモジキャラに、言葉の壁が上乗せされた私は、毎日下を向き、誰とも話さず、とにかく何の問題もなく(トイレにだけは行き(笑))無事に家に帰れることだけを祈りながら過ごす日々でした。
ある日、クラスメートから
「What do you think of Japan(日本のことをどう思うか)」
と質問されます。
日本のことをどう思うか・・・?
日本に対してどうも思ったことないわ・・・と、小学5年生の私は焦ります。
これは、非常にやばい。
知っている単語を何とか捻り出し、放った回答が、
「Japan is long(日本は、縦長だよ)」
・・・・
つっこんでいいのか良く分からない返答をします。
すると、予想外に周りのクラスメイトがざわつくのです。
そんなにリアクションが集まる回答をしただろうか?と不思議に思うと・・・
なんと、私の発音が悪すぎて、
「Japan is wrong(日本は間違っている)」
と、伝わってしまっていたことに気がつきます(笑)
訂正する言語力もなく、いつしか「日本から逃げてきた訳ありなアジア人」というブランディングで、益々負のオーラを纏ったモジモジ青虫が加速します。
脱皮の日は、突然に
アメリカ生活が1年たとうとするある日、クラスにイラン人の女の子が転入してきます。
彼女もあまり英語が話せず、私の隣の席に配置されます。
「仲間ができた」と安堵しながらも、少し先輩面でドヤ顔な私に、そのイラン人の子は問い詰めます。
「何でそんな暗い顔してるの?」
「日本はこんなに豊かで恵まれているのに、なぜもっと楽しまないの?」
彼女の家族は、より経済的に豊かな暮らしを求めアメリカにやってきたのですが、色々と大変そうな状況が伺えるにも関わらず、やたらと明るいのです。
毎日俯きながら時間を持て余すために折っていた折り紙を、私に代わってクラスメートに自慢してくれたり、
○○を日本語とペルシア語で書くとどうなるか?と、みんなが興味を持ってくれるような遊びを考えてくれたり、
彼女のおかげで、拙い英語でもコミュニケーションをとろうという気持ちになっていきました。
脱皮しよう。
彼女の勢いに圧倒されたのもありますが、何だか、急に悔しくなったのです。
モジモジしている自分を、いつか誰かが助けてくれる。
そんな風に思っていた自分がどこかにいたのだと。
長年のモジモジからの脱皮は決して簡単ではなかったですが、
浴衣の着付けを覚えて、家でファッションショーを開いたり
日本の可愛いラメペンで、クラスメートのネームプレートを作ってあげたり
小さくても、自分が持ち合わせて表現できることから距離を縮めていこう。
と、飛び立ちます。
舞い上がる
表現する。ということに魅了され、
日本帰国後、高校から大学までダンス部の活動に打ち込みます。
私の所属していたダンス部は、創作ダンスを軸とし、
ひとつのテーマを全身を使ってどう表現するか?どう魅せるか?ということをあーでもない、こーでもないと議論しながらひとつの作品を創っていく部活でした。
大学でも、ストリートダンスサークルに所属したにも関わらず、技を極めることよりも、伝えたいテーマコンセプトをどう表現したら良いかを仲間とひたすら考え、作品を創ることに没頭しました。
高校・大学でできた友人は、今も一生のソウルメイトです。
舞う力となるものは
話はだいぶ飛びますが、私には4歳上の兄がいます。
一緒に育つ中で、「何でこんなに変わってるんだろう」と幼いながらに常に思っていました。
家族団欒の場では、いつも話題からズレた毒キノコや宇宙の話ばかりするし、なんかいつもいじめられているし。
ひどい時には、不良グループに騙されて、家にあった現金を全て盗まれたこともありました。
「普通」のお兄ちゃんが欲しい。
そんな風に思いながら過ごしてきました。
いつしか、
私も、両親も、学校の先生も、なぜそうなってしまうのかの理由が分からず、兄自身を否定するように接していました。
次第に兄の精神は不安定になり、家の中は荒れ、
パトカーや救急車が家の前に止まっていることも何度かありました。
兄が20歳の時に、発達障害という診断を受けました。
当時高校生だった私は、人生で一番のショックと深い後悔に陥ります。
それは、兄に「障害者」というラベルが付いたことに対してではなく、社会との関わりが「普通」にできないことは、兄だけが悪いと責めてきた自分自身のこれまでの捉え方や言動に対してでした。
なんて酷いことをしてきてしまったのだろう・・・。
自分の内側から沸き起こる怒りと後悔がエネルギーとなり、
「知らない」ことで生まれる差別や偏見、社会側にある障害をなくしていきたい。
そんな想いだけを胸に、鼻息荒く、
「障害のない社会をつくる」をビジョンに掲げる株式会社LITALICOに新卒で入社をしました。
私は、どこへ行きたいのか
前職では、
主に発達障害や発達が気になる未就学から18歳までのお子さまを対象とした教育事業や、障害のあるお子さまを持つご家族に向けた相談サービスに携わってきました。
当時、事業がはじまったばかりのスタートアップフェーズで、
特に専門的な勉強もしていなかった私は、のめり込むように必死に勉強しながら、サービスを必要としてくださるお子さまやご家族のために走ってきました。
とにかく毎日必死すぎて、現場の教室運営をしていた時は、よく生徒から
「先生、また眉毛消えてるよ」「鼻汗ふきなよ」と指摘されていました(笑)
今振り返っても、本当に青春だったとハッキリ言えるほど、前職での経験は私の人生の宝です。
気がつけば、LITALICOで10年の時を過ごしていました。
当時の兄の気持ち、両親の葛藤、学校現場の大変さを、
少しずつ、じわじわと、染み渡るように実感する時間でした。
10 年たっても、まだまだやれることで溢れている会社でしたし、怒りを原動力に向かいたい!と思った社会に対する課題感は、果たしてどれくらい変わったのだろうか。
自分にも新しい家族という存在ができ、ふと立ち止まる瞬間がありました。
私は、果たしてどこへ行きたいのだろう
私にとって、怒りではなく、
理由なく心が動き、トキメキ、夢中になれるものは何だっけ。
そう立ち止まった時に、出た今の答えが、
表現・魅せるを通じて、目の前の誰かの心を動かすコトに向かいたい。
その力で社会を少しでも前進させるコトに向かいたい。
でした。
そんな想いを胸に、出会ったのが、ヘラルボニーでした。
これまで着てきた服を脱いで
そこからは、ほぼ心おもむくままに
人生初の職務経歴書を書き、再び鼻息荒く面接をしていました。
前職にヘラルボニーへの転職を報告する際、
きっと「なんで辞めるのか」と問い詰められるだろうと、ドキドキしていたのですが、
大変お世話になった尊敬する方からいただいた言葉。
これからはじまる、ヘラルボニーでの時間、
仲間と一緒に大きな空を舞えるよう、また新しい青虫になってがんばりたいと思います!
皆様、これからどうぞよろしくお願いいたします。
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