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“自分が、主役だ” 思い描く未来を叶える!

皆さん、初めまして。2022年7月1日に入社した伊藤良太です。
岩手ビッグブルズ(岩手県のプロバスケットボールチーム)から
へラルボニーへ移籍。

小学4年生から始めたバスケットボール。
プロ選手の夢を抱き、歩み続けた僕も。今年で20年目。
2022年6月末で、プロバスケットボール選手のキャリアを引退。
バスケット選手がなぜへラルボニー?なぜ岩手の企業?
沸々とした感情を抑えつつ、
思いの丈を書きます、お時間ある際にお付き合いください。

本題へ行く前に、ひとり、大切な人を紹介させてください。
僕に麻雀や将棋の面白さを教えてくれた大好きな祖父。
出身は岩手県奥州市前沢、約1年前に知る。(遅い……)
祖父はALSという難病を患い、亡くなっている。(なぜ祖父が、不公平....)
※僕は宇宙兄弟のシャノン博士やセリカさんの想いに感動して涙する人間です。最近ハマっている漫画なのですが、話が脱線しそうなので、本題へ。

転機の社会人3年目

大学3年の時、プロ選手の道 or 就職活動の選択。
就職活動を選択した僕は、大学で選手の引退を決断した。
選手をする気はなかったが、入社した会社の擁する実業団チームへの入部依頼を断れず、中途半端な気持ちで再スタート。
しかし、中途半端な思いで好きなスポーツを表現することが苦しい。
練習の準備がままならない状態で、お客さんの前で表現することが耐えられない。
(どうしても気持ちの折り合いがつけられない……)
今思うと、心の葛藤と常に戦っていた。この生き方で良いのか、何と戦っているのか……
周りの目?肩書き?安定?いつ何が起きるかわからないのに……
社会人3年目、会社のバスケ部を退部し、2度目の引退を決断。

新たな気持ちでスタートをした自分に、ある日転機が起きた。
偶然にも元スポーツ選手として、小学5年生の子達に講演する機会を貰ったのだ。
帰りのバスで、(ただ夢を語った自分が苦しい…中途半端な人間が話す言葉に熱量はあるのか……)というやるせない感情と向きあっていたとき、ふと目にとまった記事があった
知られざる「文化と教育の地域格差」
"挑戦する機会のない子どもが日本にいる”という、地方と都心部での文化格差に関する記事だった。

この瞬間、
"考えろ、自分の環境にもっと謙虚になれ、やるべき事があるだろ"
消えかけていた自身の熱量が沸々とよみがえった。
"子ども達に挑戦する機会・キッカケ"を与えたい。
使命感に駆られた瞬間だった。
この日から、"子ども達に挑戦する機会・キッカケ"を作ることが僕の原動力であり、ビジョンとなった!


職業講話の様子

念ずれば、花開く

2018年3月、社会人4年目の人事異動発表の当日、
僕はどこの任地でも受け入れる覚悟と想いを抱いていた。
やるべきビジョンはただひとつ、子ども達に挑戦する機会・キッカケを作ること。
上司から、任地は"岐阜県岐阜市"だと伝えられた。
当時岐阜といえば、社会人リーグのバスケットボールクラブがまさにプロ参入を目指すタイミングだった。しかも、地域格差の大きい地方へ行き、活動することができる。やるしかないと思い、以降は上司の話が耳に入らなかった。(本当にごめんなさい)

上司との面談直後、知人に連絡して岐阜のバスケットボールクラブ代表と繋がりたいと相談し、プロチームへの入団テストへ参加する旨を伝えた。働きながらプレーする覚悟を決めた。

その後、チームは見事プロリーグに参入。僕も無事入団テストに合格し、ビジョン実現のために仕事・プロチーム活動・地方創生研鑽会に参加した。

転勤1日目には、真面目な顔で、仕事とバスケで岐阜の地域を盛り上げ、子ども達に挑戦する機会・キッカケを与えると社内メンバーへ伝えていた。
最初は、社内でも変わった目で見られていたと思う。
それでも会場へ来てもらえれば、楽しい・面白いと言ってもらえた。
岐阜市の試合はもちろんだが、地方のなかでも郊外である郡上市、下呂市、関市の試合は特別な思いがあった。プロの試合に触れる機会を特別にしたかった。
その後、プロチームに所属したことでスポーツの可能性・価値は確信に変わり、
本気で子ども達に挑戦する機会・キッカケを作るビジョンを実現したいと考えて会社を退職、プロ一本でやっていくことにした。
(何かと戦っていた自分と決別する意味もあった。)

会社メンバーおよそ150人にも来ていただいた。岐阜での最終戦。

プロスポーツ選手として、岩手県へ

プロ選手の初日は、岩手は盛岡の有名な夏祭りである「さんさ祭り」当日だった。
不安と期待が入り混じった気持ちで踊ったさんさは忘れられない。
日々のプロ生活のかたわら、大学の友人と職業講話の活動を行うなかで、子ども達と触れ合う機会も増えていった。
今度は中途半端ではなく、子供たちにキッカケを与えることができている実感もあった。
活動をするうちに、あることに気がついた。
子ども達の挑戦する機会は、先天的な環境以外にも影響しているものがある。親や友人が、挑戦したい子どもの背中を押す空気感。
自分の感情を大切に、周りと違う道でも、ワクワクする方へ、
そんな、歩みやすい空気感を創る必要性を感じた。

へラルボニーとの出逢い

プロ1年目、シーズンがコロナで中断になるとは夢にも思わなかった。
スポーツの価値・可能性を信じ、ビジョン実現に向けて職業講話やYouTube企画にも取り組んでいたが、すべて中断を余儀なくされた。
スポーツは不要不急とも言われ、選手として何ができるのか?
悶々と悩んでいた時期に、
Twitterに流れてきたアートマスク。
"カッコいい"。せめて、マスクくらいはおしゃれになりたいな!
どこで購入できるんだろうと調べていたら、ヘラルボニー?
初めて聞いた会社名!とネットで検索。
"異彩を、放て。"
"え?ビジョンが熱い、カッコいい!岩手創業の企業だ!”
この日の衝撃も忘れないだろう。

岩手でカフェをやっている知人へ連絡したところ、面識があると聞き、会わせてほしいと伝えた。数日後、初対面の場を設けてもらうことができた。

代表の文登さんと出会い、ヘラルボニーを創業するに至った想いを聞き、
また僕がスポーツ選手に転身した想いを話した。
その2ヶ月後、岩手ビックブルズとヘラルボニーのコラボユニフォームが形となった。本当に嬉しかった瞬間。

※文登さん、小林覚さん、私、ブルゾー(試合は逆転勝利、プロ生活で1番の試合)
※震災から10年、復興記念試合で披露したユニフォーム

僕は、岩手ビックブルズとヘラルボニーが成長し続けた先には、
岩手が、復興の地域ではなく新たな文化を日本・世界へ発信できる地域になると信じている!

ヘラルボニーの一員として

"誰でも挑戦しやすい社会"の実現が、今の僕のビジョン。
「障害は欠落ではなく個性」であり、
「普通じゃないことは可能性でもある」。
知的障害のある人たちの個性が尊重されあう社会の先に、
多くの方にとって、挑戦しやすい社会が待っていると信じている。

1人の力は大したものではない、
熱い思いを持った芯のある仲間達と一緒に挑戦できるのがヘラルボニー。
仲間の力が最大限発揮しあえる時、それは個の力が何乗にも発揮できる瞬間である。
チームスポーツも同じ。仲間たちが挑戦しやすい環境を創りたい。
この会社・チームが目指す目標・目的の旅のなかで、
何かで実を結ぶ瞬間に、みんなで涙を流せるほど嬉しいことが待っている気がする。

岩手の想い

僕の歩みはこれまで述べてきた通り、
合理性のかけらもなく、ビジョンと直感で生きている。
その結果、岩手でプロバスケ選手に。そしてヘラルボニーへ。
人との縁は不思議なもので、当初は偶然の連続だと思っていた。
最近は人生を思い悩んでいた自分に、祖父から"使命"をプレゼントされた気もしている。
ヘラルボニーに入社する前の2022年4月、前沢にある祖父の実家へ突撃訪問した。
偶然にも、祖父の弟夫婦と、はとこに初めて会えた。
そこで、中学生のはとこがバスケを始めていた事には驚いた。
(ちなみに1対1で抜かれた時、引退を決断した笑)
彼らにとって、突然現れた変な男が"はとこ"で"岩手ビッグブルズ"の選手だと信じてもらえないと思い、練習着をプレゼントした。
喜んでいた顔をみた時、岩手にいる意味が偶然ではなく、
必然だったのかも。と思えた。
こんな偶然のプレゼントを、意図せず届けるために、行動し続けたい。
おじいちゃん、ありがとう!そして、仲間と共に走り続けます!

※2歳の誕生日かな?祖父からプレゼントされた瞬間。


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