台所ぼかし

かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page17】

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三、奥多摩で ⑤

 ありさが心療内科を訪れていた日の夕方、春日部のハルの下宿では月に一度の「くらやみ鍋」の準備をしていました。何種類かの野菜の入ったコンテナを見て考えている様子の長島にハルは

「長島君、今日の鍋は何?」

「あ~、農家さんからもらった里芋でいも煮をしようと思ってるんですけど、何味がいいですかね。味噌もいいけど、しょうゆもいいし、たまには塩味なんていうのもいいかと……」

「ふ~ん、肉が豚なら味噌はいいね。牛ならしょうゆかなあ……」

「ハルさん、残り物の肉だから、鶏、豚、牛混合です。これまとめるならやっぱりしょうゆがいいですよね」

 くらやみ鍋は東日本が巨大な地震に見舞われたときに始まった、駐車場での近隣を招いての鍋の会です。あの日、余震の中、真っ暗な家の中にいるより、外で火を焚いて、とにかく人と一緒に温かい鍋を囲むということが心強かったのです。とくに、一人暮らしのお年寄りや、働いている親が帰宅できずに夜を迎えた子どもたちにとって、誰かと話しながらご飯を食べられるということは余震の恐怖を忘れるくらい楽しいひと時になったのか、食べ終わってもなかなか帰らずにしゃべっていました。

 それから毎月一回行われることになった駐車場でのくらやみ鍋、真夏の暑い日はBBQ、ランタンの薄明りのもとに集まる人が増えてきました。お年寄りや親が夜遅くまで働いている家の子ども、シングルマザーなど、下宿の掲示板に張り出される次回の予定を楽しみにしているのでした。下宿の冷凍庫の残り物だけでなく農家や食料品店から食材の差し入れが入るようになりました。担当は下宿の一番の古株の長島という青年。鍋奉行というにはちょっと頼りない感じの長島は、ときには年下のありさからキビシイ指摘を受けながらも、「あ~、そうですね」と言いながら、いつも汗をかきかき、取り組んでいるのでした。

 担当は長島といっても大量の里芋をむくのは包丁を使える住人の総出。鍋の仕込みが終わると全員でおむすびを握ります。

 その夜もたくさんの人が集まりました。駐車場のテーブルで大きな鍋が湯気を上げているそばで汗をかいている長島。その周りに椅子は用意してありますが、晩秋の野外は冷えるので、どんぶりにもらっては中のリビングやキッチンに座って食べる人がほとんどでした。中では住人がにぎったおむすびをほおばりつつ、いも煮を楽しむ子どもや大人で大にぎわいです。

 そこに長島が入ってきて

「あの、高校生くらいの女の子が外でこっちを気にしてうろうろしているから、鍋に参加したいんだと思うんですけど、ぼくが声をかけると離れちゃって、それでもまた近づいて中を気にしてるから……。女子が声かけたほうがいいんじゃないですか?」

 玄関から外をのぞいたみちるが

「あの子、たぶんありさの友達じゃないかな」といいながら外に出ていきました。

「しおりちゃんだっけ?ありさに用なの?」と軽く声をかけたみちるに、その女の子は

「あ、ゆいです。あ、しおりは友達で……、あ、はい、あ、いえ……」とはっきりしない返事でまだ中を気にしています。

「ありさは今ここにいないの。休んでるから心配してきてくれたの?」

「そうなんですか……。学校はやめたんです……か?」

 そのとき、二人の間に横からすっと、箸を乗せたいも煮のどんぶりが……

「ねえ、いも煮を食べていきなよ。美味しいんから。さ、そこに座って」

 いつの間にかそこに来ていたハルがゆいにどんぶりを持たせて背中をそっと押し、駐車場の椅子に座らせ、自分も隣に座りました。

「中は人でいっぱいだから、ここでいいでしょ。ね、あんた、夏まつりの時にありさのところに遊びに来た子だね。あのときはもう一人いたけど、今日は一人?」

「はい……あの、ありさ、退学届……出したん……です……か?」

 そのとき、エプロンの中のケータイが鳴り、道路に出て電話に応対したみちるが

「はい!……はい!ありがとうございます!はい!わかりました!はい!」

 小躍りしながらハルに近づいて

「ハルさん!面接受かりました!来週から実習と引継ぎを兼ねてとりあえず4月まではバイトで入ってくれないかって」

「そう!みちるちゃん、よかったね!」

「はい!」とうなずいたみちるはこみ上げてきそうな涙を抑えながら中に入っていきました。

 ハルはゆいに向きなおり、

「ねえ、いも煮、冷めちゃうよ。あったかいうちに食べなよ。そうだ、おむすびもあるよ。ねえ、長島君!中からおむすび持ってきて」

 おむすび2つ乗せた皿をその子の膝の上に置き

「まだ夕飯食べてないでしょ。お腹すいてるんじゃないの?そういう顔してるよ。鍋の時はね、おむすびは具を入れない塩だけのおむすび。これ農家さんからもらった新米。ほら、つやつやしてるでしょ?お米の甘さと塩が絶妙!ああ、美味しそうだね、一つ食べちゃうよ」

 そういってハルは皿のおむすびを一つつかみ、美味しそうにほおばりました。

「あんたもほら、食べて、食べて。話はそれから」

 ゆいはうつむきながら一箸一箸、いも煮を口に運んでいましたが、おむすびを口にしたとき、ハッと顔を上げて、小さな声で

「美味しい……」

「そうでしょ?あたしはこれあったらおかずいらないくらい。お米ってほんとに美味しいよね」

 小さくうなずいて、それでも黙って食べていたゆいでしたが、だんだんと気持ちがほぐれてきたのか、ぽつりぽつりと話し始めました。

「おまつりのときはここでBBQでしたよね」

「そうそう、恒例のね。あのとき帰ってきて一緒に食べるかと思ってたのに。ありさがミズキちゃんと帰ってきたけど、それも実は別行動してたとかで、ミズキちゃんを迷子にしちゃだめじゃないって叱ったんだった。あの時に何かあったの?ケンカしたとか?」

「いえ、別にケンカはしてないですけど……あのときからありさとはちょっと……というか、しおりがちょっと……」

三、奥多摩で⑥ に続く




 

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