台所ぼかし

かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page16】

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三、奥多摩で ④

 ありさはミズキが学校に行っている間は診療所の待合室でお年寄りや小さな子の世話をし、合間に家事を手伝い、ミズキの帰宅後は一緒に過ごす生活、スマホはほとんど見ない生活に心地よさを感じていました。

 木曜日の午後はミズキの両親と一緒に大きな総合病院に行き、ミズキの父が何かの会合に参加している間、心療内科の八木原先生に会い、近況などの話をしました。それが終わって、病院のフロアの椅子に腰かけて、今度は陽子が八木原先生に呼ばれて話をしているのを待っている間にも、通りがかりの医師、患者と思われる男性、入院中の子どもなどが何か話したげな感じで寄ってきてはひとことふたこと言葉を交わしていくのでした。

 診療室の中では

「先生、PTSDっていうんですか?恐怖を感じたことの後遺症はあるんでしょうか」と陽子。

「はあ、今はそれは感じられませんでしたが……。暗いところ、一人でいることは、まあ、だれでも少なからず怖さは感じるので。実際に体に触れられたとか、傷を負わされたことがなかったことですし、暗い中で得体のしれない恐怖を感じて一人でいたことが恐怖だったのなら、同じ場所に昼間誰かと一緒に行ってみるとか、その怖いと思った人に昼間、誰かと一緒に会いに行ってみるとか……。実態がはっきりすると恐怖も薄れていくかもしれません。それよりも何かトラブルを抱えているとすれば、人間関係かなと。あれからスマホはほとんど見なくなったそうです。スマホの中の人間関係といえば、あの年頃なら友人関係ではないですかね。あるいは、ネットの中の顔が見えない人の誹謗中傷というのもあります。学校を辞めたいといって家を出たなら、やはり学校の人間関係に何かありそうですね。続けて来られるならもう少し時間をかけて話を聞きますよ」

「そうですか。担任の先生の指導の仕方がネチネチとしていて耐えられないと言っていたそうです」

「学校は生徒も先生も心の問題を抱えやすいところですからね。私のところにも教師はよく来ます。生徒や親とのトラブルももちろんありますが、多いのは教師同士のいじめのようなもの。いわゆる、パワハラとかセクハラとか最近はモラハラとか……心のバランスを保てない教師が長期に休むことになったり、休めばまだいいほうで、上司や同僚からされたいじめを生徒に同じように向けてしまったり。どこかで止めないと、今度は生徒が……」

「いじめで自殺する子もいますから、ほんとに怖いですね」

「はい、今は目に見えないいじめが深刻なんです。誰かに話すことはかなり有効なので、ここに来てくれると半分くらいは解決します。あとは現場以外のところに避難させたり、関係者に改善を求めたりできますから。いじめられている人を救うのが第一ですが、本当は、いじめをする側の心のほうにケアが必要なんですよ。そこまではなかなかいかないのが現状ですね。大人のモラハラも、実は本人も周りの人も気づかないけれど、モラハラしてしまう人のほうが、ある意味、心の病というか……。これは子供時代の親からの偏ったしつけ、ある意味虐待のようなものとか親からの過度な要求に必要以上に応え過ぎてしまったとか、原因はその人の育った環境にあることが多いです。本来、家庭は心安らぐ場所のはずですが。親にあるがままの自分を受け入れてもらった子とそうでない子は大人になった時に違いが出ます。満たされなかった子どもの思いを大人になっても心の奥底に隠していて……、もちろん本人は自覚がない場合が多いんですが、他の誰か、ターゲットがいると、その人に復讐してしまうことがあります。正義とか正論とか、職場の規律や生産性という抗えないものを盾にして。そして、ターゲットのほうも子どものころの親から受ける自己肯定感が少ない人がなりやすいようです」

「ありさちゃんは、小さい頃に両親を亡くしているから親から受け入れられる安心感は少ないんでしょうか?」

「確かに、スタートは違います。でも、親を失ってから育った場所で大事にされていたなら、そんなに問題はないと思います。そして、自分なりにここは安心できる場所、安心して頼れる人というのを手探りでみつけていっているんじゃないですかね。今、友人関係でトラブルを抱えているなら、そこから離れるか、トラブルに向き合うかは自分で決めていくことは可能です」

「先生、ありがとうございます」

「ミズキちゃんは最近来ないですが、元気そうで何よりですね」

「そうなんです。その節はお世話になりました。春日部に行った日以来、またよくしゃべってくれるようになって、絵も描くようになって……、転機になったんですよ。その時にお世話になったありさちゃんだから、今度は私たちが助けてあげたいんです」

「今度、ミズキちゃんに診察室に飾る絵を描いてほしいと伝えてください」

「はい、わかりました。それでは失礼します」

 三、奥多摩で⑤ に続く





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