台所ぼかし

かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page21】

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四、ありさの決断 ②

 ハルの話をありさは何かを思い出すように、空間に目をやり、しかしそこには視点があっていないという感じで聞いていました。そして、はたと思いついたように

「あたし、さっき川で、自分が転んで座り込んでた場所を見てきたんです。草が折れてつぶれてそこだけへこんでました。あのときはわからなかったんです。そこがどこなのか。ただ怖くて不安で……周りが何も見えない中で自分の気持ちだけがブワーって大きくなってた。自分のことばっかりで、周りの人の気持ちとか状況に気がつかないことがすっごく多いなって……だから……気がついたときには謝ったり、お礼を言ったり、ちゃんとしないと……ここに来られたのだって車に乗せて送ってくれた人がいたから……あたし、その人を悪人だと思って逃げちゃって……そのままじゃ申し訳ないから、会ってお礼をしないと」

「そうだね。翌日僕が電話してお礼は言ったけど、ありさちゃんが直接会いに行ってお礼をするのはいいことだと思うよ。なんなら今電話して都合を聞いてみようか。今ならみんないることだし」

 ミズキの父はありさを幡ヶ谷から青梅まで送ってきた渋谷区の設計士という男性に電話しました。

「5時ごろ、この間の駐車場で待っているって。設計事務所が近くにあるそうだよ。ありさちゃん、ハルさんとお姉さんと一緒にこれから行こう。ぼくが車で送っていくから」

 ミズキの父の早い段取りに一同は驚きながらも、「は、はい!」とばかりに従いました。ミズキは急な展開に固まっていましたが

「お父さん、あたしも行きたい!ねえ、いっしょに行っていいでしょう?」

 結局、陽子だけが留守番となり、5人で車に乗り込みました。ありさの目には、来るときにはまったく見られなかった晩秋の紅葉の美しい奥多摩の景色が飛び込んできました。

 まずは旧街道沿いのコンビニ。ここは通りながら確認しました。あの裏手から住宅や畑の間の道を走って逃げたのだなあと思いながら。住宅の庭には葉が落ちて熟した実が重そうにぶら下がっている柿が日の光を受けて朱色に輝いています。

 沿道には真新しい住宅に交じっていくつかの古い家屋、もう閉店して看板も色あせた昔風のお店、シルバーカーを押して買い物のおばあさん、落ち葉をほうきで掃いているおじいさん、赤ちゃんをだっこして、他のママさんたちとしゃべりながら幼稚園の送迎バスを待っている若いママ……秋の日差しが作る長い影と光の縞模様……様々な景色がありさの目に入ってきます。ありさはその景色や人の営みになんともいえないいとおしさを感じていました。

 車が高速に乗ると、あっという間に景色が変わっていきます。オレンジ色の夕日に照らされたグラデーションの美しい空の下の道はビルの街に入っていきます。

「確かこのあたりの駐車場だね」

 高速を降りて下の道を少し走り、車は右折。ありさがあの日に入ったファミレスの近くにゆっくりと近づきました。そのとき前方の駐車場の前で手を振っている人があります。

「あの人らしいね」ミズキの父に言われ、ありさはその人の顔をよく見ようと顔を上げると、その男性が近づいてきて窓ガラス越しに

「やあ、無事で何よりだね」

 ありさは正直いって、はっきりした顔の記憶がありませんでしたし、こんな落ち着いた感じの男性とは意外だったのですが、横長の四角い眼鏡のフレームを見て、あっ、この人だとわかりました。そしてちょこんと頭を下げました。

 駐車場に車を入れ、一同降りて、この男性に頭を下げそれぞれが順にお礼の言葉を言っていきます。男性は「いやいやなにも……」と言いながら聞いていましたが、

「僕の事務所、この近くなんです。お茶でもいかがですか。今日は日曜なんで他に誰もいないですし」

 その事務所のある建物は三階建てのビルで一階はガレージ、二階に事務所、三階が住まいになっているのでした。一同は二階の事務所に案内されました。

「これお母さんから。青梅のワサビと家で漬けた梅酒です。急だったものでこんなものですみませんて言うようにって」とミズキに差し出されて、男性は笑いながら

「おお、それはありがたい。今うちの家内は娘のお産の手伝いであっちの家に行きっきりになっちゃって、ずっと食事もファミレスとかコンビニの弁当とかで……このワサビで刺身を食べたらさぞ旨いだろうなあ。梅酒をロックでやりながらね……あはは、ありがとう。そんなわけでオフィスのレンタルサーバーのお茶ですみません」

「あらためまして、僕ははこういうものです」と名刺を差し出しながら「ところで君の名前を聞いていなかったね」

「あの、あたし、ありさです。藤崎ありさ。高1です。このあいだは助けていただいて、青梅まで送っていただいて、ほんとにありがとうございます!それなのに逃げちゃってすみません」ありさは立って深々と頭を下げました。

「ええ?高1なの?二十歳くらいに見えたよ。ああ、よかったなあ、ああいう連中に連れていかれなくて……ほんとはおじさんだってちょっと怖かったんだよ。逆襲される場合だってあるでしょ?でもね、考えてたら行動できない。行動しなくてあとで後悔するのも嫌だしね。あの時はこっちも必死だったんだよ。それに、車を走らせてから、女の子を乗せちゃってあとでこの子の親に何か言われたら困るしね……とにかく家まで送ってちゃんとお話ししなくちゃって思ってたんだけど……君がコンビニからいなくなっちゃって、焦ったよ。何か事情があるのか、僕が疑われたかでしょ。あはは……とりあえずコンビニの店員には名刺を渡して、何か親が言ってきたら電話してくれって伝えておいたんだけど……知り合いのちゃんとした人に保護されて無事を確認したからね、ほっとしたよ」

「あの……あのときはいろいろあって……誰も信じられなくなってて、助けてもらったときはほっとしたんですけど、そのあと安心して眠くなって、目が覚めたら真っ暗で……山で……とにかく逃げなくちゃって思って……せっかく親切にしていただいたのに、ほんとすみません」

「いや多感な時期だからね、いろいろとあるよね。うちの娘も中高の時は結構難しかったからよくわかります。でもね、ちゃんと助けてくれる人がいるということは、君が間違った人生を送っていないという証だからね。これからも家族や友達を大切にしてください」

「ほんとにありがとうございます!」一同頭を下げました。

「そろそろおいとましようか」ミズキの父が言ってみな立ち上がり

「私とミズキは帰りますが、ここからならハルさん、みちるちゃんは電車で大丈夫ですよね。ありさちゃんはどうする?」

「あの、叔父さんの所に寄って、今日はひとまず春日部に帰ります。ほんとにいろいろありがとうございます。ちゃんと会う人に会ったら、かならず奥多摩には行きますから。決めたことはその時にお話しします」

 ありさとハルとみちるはそこから歩いて叔父のアパートに行き、チャイムを鳴らしましたが応答がありません。みちるが叔父のケータイに電話すると、数分してドアが開き、ぼさぼさの頭でジャージ姿の叔父が顔を出しました。

「お?みちるとありさ?どうしたの?あ、今さ、お客が来ててさ、中はちょっと困るんだけど、そうだ、どこかで飯でも食ってきなよ」とジャージのポケットから千円札数枚を出しました。

「お金はいいです」と叔父の手を差し戻し、みちるはきっぱりと

「あの、あたし、就職決まったんで。4月からは病院の栄養士になります。そのときはまた書類に保証人の名前とか印とか必要になるかと思いますからよろしくお願いします。それから、ありさも学校を変わるかもしれませんし、そのときは保護者として顔を出してもらうことがあるかもしれませんが、よろしくお願いします!」

 みちるの毅然とした態度に叔父は少したじろぎながら

「あ、そうなの?ありさ、何かあった?」

「あたしはまだ決まってないけど、いろんな人に助けてもらって、自分で答えをだすから、叔父さんにもそのときは何か頼むかも」

「お、おおう……わかった」

 最後にハルが

「初めまして。私はこの子たちの住んでいる下宿の大家の玉置ハルです。あなたがお忙しくてこの子たちのために動いてやれないこと、おせっかいながら親代わりの大人としてやらせてもらってます。ありがたいことに、この子たちを応援してくれる人たちも少なからずいますので。あなたには身内でしかできないこと、よろしくお願いします!」

「あ、はい……わかりました。なにかあったら連絡ください」

 三人は帰り道

「やっぱり叔父さんは頼りにならないね」

「でもさ、きっちりキメるところはキメてもらわないとね」

「さあ、どうだか……」

「頼りなくてもね、後見人としてあなたたちのお父さんお母さんが残した財産の管理はする義務があるから。みちるちゃんはもう成人したんだから、相続のことととかはっきりしないとね。おこずかいとか、入学祝いとかじゃすまないから。壮介に法的なことは相談するといいよ」

 四、ありさの決断③ に続く



 



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