かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page22】
四、ありさの決断 ③
「あ~、カレーのいい匂い!」
春日部の下宿に戻った三人はほぼ同時に言いました。日曜の夕食の定番のカレーは前回作り置きして冷凍してあるルーにその時の具材を加えるだけの簡単なものですが、その時々の具材のエキスが溶け込んだ深みのあるルーにまた新しい具材が加わるその味は、一週間の疲れをいやし、また明日から頑張ろうという気にさせるのです。
「ありさ、おかえり~!」まず裕太が飛びついてきました。
「早く!早く!食べようよ。僕が作ったカレーだよ!みんな食べないで待ってたんだから!」
裕太がありさの手を引いて食卓に座らせると、そこには住人が皿にカレーを盛り付けて待っていました。
「でも裕太は味見担当だけっ!だったよね~。今日のカレーはね、ココナツミルク入れてみたの。どうかな?さあ食べよう!」と恵美。
「いただきま~す!」一同が食べ始めると、ありさが
「あの……あたしのことでいろいろと心配かけてすみません。裕太にはびっくりさせちゃって、ごめん!」
「うん、オッケー!ねえねえ、早く食べなよー」
「うん、ありがと。おいしい……」
口に運ぶとほの甘いココナツの香りとあとからくる辛味を味わって、その夜はありさに何か聞くでもなく、明日の英気を養って各自は部屋に戻って休みました。
翌朝、ありさは学校に向かいました。教室のドアを開けると、すでに登校してざわついていた生徒たちが一斉にありさに目を向け、一瞬静かになり、女子の数人はひそひそと小声で話し、ありさが自分の席に座るのを目で追い、しおりとゆいはそれぞれの席で机の下の方にケータイを出して何かを書き込んでいるようでした。そこに、遅れてきた松田が
「あれ~!ありさ、来てたんだ!けが治ったのか?もう学校辞めるんじゃないかって噂だったぞー」
「今日は診断書出しに来た。辞めるかどうかはわかんない」とそっけなく言うありさ。
朝のHRのチャイムが鳴り、ありさは少し身構えましたが、入ってきたのは担任の戸部ではありませんでした。ほかの生徒にもこれは意外だったらしく、ざわざわする中に「なんだよ、エッサかよ」「エッサだ」「なんでエッサ?」のつぶやきがあちこちから漏れました。
エッサというのはこの教師のあだ名で、本名は高村というまだ二年目の若い体育科の教師なのですが、授業ではエッサエッサという掛け声で準備体操をさせる、常にジャージ姿のいかにも体育会系の教師で、このクラスの副担任をしているのでした。
起立礼のあいさつをさせたあと高村は
「え~、戸部先生は健康上の理由で担任の業務をしばらく降ります。代わりに僕がこのクラスの担任代行を務めます。戸部先生は教科の授業を受け持つのは変わりありませんが、以後、クラスのことは全部、僕を通してください」
それを聞いてまた生徒がざわつくのにかまわず
「それでは出欠の確認をします!」
出席簿とクラスの生徒を交互に見ながら
「今日の欠席は……藤崎……藤崎、あ、いる……な。今日から出席だな」
ありさはすっと立ち、机に置いていた数枚の書類を持って、高村の前に立ち
「診断書です。あ……でもやっぱり戸部先生に直接渡しますから」と引き返そうとするのを高村が留めて
「いいんだ。僕が担任代行だから、これは僕が預かる」とありさが持っていた書類をありさの手から引き取りました。そしてその書類に目を通して
「けがの診断書……完治したんだな。なに?こっちは……目の虹彩の色素が……なに?」
「カラーコンタクトではなく裸眼の色だという診断書です」
これはミズキの父が担任と話すときのために書いておいてくれたのでした。実はもう一枚あって、それは心療内科の八木原先生の「継続して診療を要する」とする診断書で、本当に必要になった時だけ提出しようと思っていたのですが、高村に全部取られ、朝、教室に入った時の空気も居心地悪い雰囲気だったことで、これでこの学校にサヨナラならそれでもいいやと自分の席に戻りかけたそのとき
「あ、なんだそうか。ああ、こういう診断書があると、やったやってないの不毛な言い争いにならなくて済むな。おい、みんなもな~、言われて嫌な奴はこういう風にちゃんと診断書だしとけよ~!パーマだろって言われたくなければくせ毛の証明書とか……」と言った高村の言葉に……
(不毛な言い争いって……)
ありさはピタッと立ち止まりました。自分の体のどこかでカチーンと音が聞こえた気がしました。というか、カーン!とゴングが鳴ったのでした。
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