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半魚人と「致せるか」問題

以前、私は映画「美女と野獣」を観た感想として、「野獣がいくら良い男で、かつ本当は王子様だとしても、全身がリアルに毛むくじゃらな時点で、『実際に事を致す(夜を共にする)』には、相当のハードルがある」点について投稿した。

しかし、この映画「シェイプ・オブ・ウォーター」の前では、「野獣と致す」なんて、楽勝行為とすら思えます!ということを電車の中で急に思い立ったので、投稿。

そもそも私の嫌いな食べ物は「ひじき、昆布、ところてん」……つまりは、海くさいものが苦手なわけである。なので、「半魚人と致す」ことは、私にとっては死を意味する。半魚人と抱き合うことを想像しただけで、彼の全身を包むウロコから漂う磯の香りに、突っ伏してしまいそうだ。

この映画は多分、「弱い立場の者同士の、打算のない崇高な愛」がテーマなのだと分かってはいるが、スーパーリアルな全身ウロコだらけの彼との愛って、打算がないにも程がある、というか「人間の女が、半魚人と致すことは、生理的に可能なのか?」ってことを、あまりにも無視し過ぎていると思う。

野獣はああ見えても、ブルーの高級そうな王子様が着るお洋服に身を包んでいたし、なにせ陸地で乾いて暮らしている。でも、この半魚人は、基本、主人公女子の住むアパートで、塩を入れた風呂の水に浸かっていないと死んでしまうのである。よって、彼と「致す」のは、ベッドの上ではなく、必ず風呂の中……。そこには勿論、「お風呂の中で彼としちゃった♥」的な甘やかさは微塵もない。

ビショビショに濡れたウロコ。痛そう、臭そう、冷たそう……百歩譲って、半魚人と魂の触れ合いがあり、精神的に恋に落ちたとしても、やはり人間の女が、風呂場で半魚人と致す(本当に挿入もしている模様)っていうのは、絶対に病気になる。

しかもこの映画では、主人公女子が、風呂の水を出しっぱなしにしたまま半魚人との行為に没入するので、部屋中が水浸しとなり、階下の映画館にまで水漏れという甚大な被害をもたらすのだ。もはやプールの中で致してる風情。狂ってる。普段はとっても真面目に生きている女子なのに、他人の迷惑、その後の処理についてまるで考えが及ばず、極度の半魚人ファーストに。そんなにすごいの?半魚人のあれって。

これはフィクションだ、高尚で精神的な愛を描いているのだ、と説明されたところで、私はやっぱり半魚人との行為には賛同しかねる。

今なら、野獣とはベッドに行けそうです!

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