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初めての取材はアポ入れから声が震えた

「なんでライターになったんですか?」と聞かれると、まず最初に出る言葉はいつも「いやあ、流れで」だ。最近は「フリーになるぞ!」と決めて会社を辞める人が増えている気がするけど、それでもやっぱり「いやあ、流れで」という感じでフリーになるひと、わりと多いんじゃないかな。

わたしの場合は「自分が何をしたいのか、見極める時間をつくろう」と会社を辞め、ブランクの時間をとっていたときに声がかかった。「あなた、時間あるんだったら京都の取材、手伝ってくれませんか?」。2008年の晩秋、当時淡交社さんが発行していた「キョースマ!(京都に住まえば)」という雑誌、を編集していた140Bさんからである(「キョースマ!」はのちに休刊)。

「へ? 雑誌の取材、ですか?」

どうせヒマなら、やったことないことにトライするのもいいかもしんない。そのくらいの軽い気持ちで引き受けて、すぐに泣きをみることになった。

もともと人見知りで、20代の頃は「知らない人に電話するなんてムリ」と言い放っていたワタクシである。歳を重ねて「まあ、電話ぐらいはできるけど…」レベルにはなっていたものの、駆け出しの頃は本当にアポ入れがつらかった。

で、最初のアポ入れはどこだったかというと、年末の搔き入れ時に向かわんとする京都の台所・錦市場の老舗。言い忘れないようにと、話す内容をすべてメモして正座し、深呼吸のちお店に電話をかけた。

「あの、わたし、淡交社が発行する『京都に住まえば』という雑誌で、○○という特集の担当をしているライターの杉本です。取材のお願いで電話しました!」

いきなり電話でこんなにたくさん説明しても、相手はすぐに理解できない。案の定、一瞬の沈黙ののち、電話のむこうで女性の声が響いた。

「おとうさーん! なんやえらい緊張した雑誌の人からでんわー!」

錦市場、おそるべきサマリー力。

ということが言いたかったわけではなくて、そんな緊張しぃのわたしがなぜか人前でしゃべるようになるなんて、人生わからないものだなあと思うのです。ちなみに今は「ライターの杉本です。○○の取材のお願いでご連絡しました」とシンプルに言っています。

もうすこし、ライター生活を振り返りながら、「なんで編集学校をするのか」まで書いていこうと思います。

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きのう、「あなたのノートがスキされました」というメールがぱらぱら届いて、ちょっとデレデレした初心者です(ありがとうございました!)。TwitterやFacebookをはじめたときに似たワクワク感が新鮮です。


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