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未来は本当に「ゆたか」になるのか?

産業革命、情報革命。私たちの生活はここ200年ほどで大変便利になりました。

飢餓の心配はなくなり、多くの病気が治すことができます。誰もが安全に大人へなることができる素晴らしい社会になりました。

にも関わらず、「精神病」や「過労死」などの社会問題は一向に改善されません。生活が便利で豊かになっているにも関わらず、なぜこのような歪みが存在するのでしょうか。

それは、豊かになったはずの余剰部分で更なる低価格化、労働の高度化が進んでいるからです。

本来、技術革新で労働生産性が上がるなら、私たちの労働時間は相応に削減されるべきではないでしょうか。

それが、無駄な労働を圧縮した分は更なる利益追求のために低価格化、私たちは更なる労働生産性と労働時間の提供を求められます。

私たちを便利で豊かにする技術革新は、「資本主義の競争原理を激化する」ことにしか機能していないのが現実です。

働き方改革など叫ばれていますが、この先の未来はより高度で難解な資本主義の競争が待ち受けています。

あくまで私の主観ですが、この先の社会のついてざっくりと述べようと思います。

たしかに労働時間は減っている

昭和30年代より、私たちの労働時間は如実に削減されています。

削減された分が私たちに還元されていれば良いのですが、現実は労働の高度な専門化、低価格化のために生産性の向上が求められます。

その一方で、経営のスリム化により労働者に支払われる賃金は安く抑えられます。

要するに、求められる労働水準は確実上がっているにも関わらず、受け取る賃金は相対的に安くなっているのです。

労働時間の削減は喜ばしいことですが、こうした別の問題が生じてしまっています。

AI時代はどうなってしまうのか

「単純労働はAIが代替し人間はよりクリエイティブな仕事に専念できる」

楽観的な未来予想ですが、収束する先は「一部の知能労働者の過酷な競争」と「土俵に立てなかった人たち」にニ分されるのではないでしょうか。

今現在として、技術革新が更なる利益追求のため私たちの「ゆとり」に繋がっていないのです。AIの発達で訪れる未来で、私たちの生活が「ゆとり」に溢れているなどとても想像できません。

資本主義の競争は誰も止めることができないチキンレースのようなものです。

「効率的に、生産的に、数字を追いかける」
資本主義の止まらないレースはさらに過酷さを増すでしょう。

先の見えない不安が労働者をすり減らす

終身雇用の限界、受け取れそうにもない年金制度、上がり続ける税金に社会保険料。

年功序列型賃金はとっくに時代遅れです。

労働時間が削減された分の収入を確保するために高度な労働環境についていくために過酷な競争が必要になりました。

単純労働が削減され、スキルのない労働者の再就職が難しくなりました。

みなが将来に不安を抱え、収入源を増やそうと副業がブームになっています。

SNSに目を向ければ、あらゆる分野の成功者たちが「手に届くような存在」として情報発信やコンサルティングを行っています。

理想と現実に苦しむ人は数知れないでしょう。
総じて、精神的に疲れやすい社会になりました。

こういった環境が、一つの職場にしがみついてしまう「過労死」や過度な不安、絶望による「精神病」を生み出す一つの理由ではないでしょうか。

未来は怖いが止められない

悲観的な意見を述べましたが、実際のところ未来のことは誰にもわかりません。

見えない未来を予想して一喜一憂するよりも、先の見えない社会にどう立ち向かっていくか考えなければいけないのです。

人間の競争が止まることはないでしょう。誰もが自助を求められる努力社会です。

AIはどんどん私たちの労働を代替していきます。残された「人間にしかできない仕事」は高度で専門的、独創的な仕事になるでしょう。
そのような仕事が誰にでも務まるとはとても思えません。

単純な労働時間は削減傾向にある中で、より短時間で成果残す努力をしなければいけないのです。社会に生きる全ての人が、激しく変わる社会の変化に対応し、自身の役目を模索し続ける必要があるのです。

自身の労働単価をいかに向上させるか、何が社会に求められているのか自分のアタマで考え続ける。

私たちには、「ゆとり」とはほど遠い厳しい未来が待っています。

今後の活動資金にさせていただきます!どうぞよろしくお願いします。