子猫

年刊誌怪奇の別冊『短編集 別冊髑髏』に収録されたショートショートです。処女作です。

登場人物
 吉岡海斗:佐藤から小説執筆の以来を受ける。最近拾って飼い始めた子猫のモカを溺愛している。
 武藤政雄:吉岡の学生時代からの友人。吉岡に小説執筆を依頼する。
 モカ:道端にいたところを吉岡に拾われた〝子猫〟

本文
「小説?」
「そう!今度恐怖小説のアンソロジー同人誌を出そうと思ってさ。吉岡、お前、学生時代文学部だっただろ?何か書けるんじゃないかと思ってさ」
「面白そうだな。書いてみるよ」
「締切は一月末までだからそれまでに頼むよ。それじゃあな」
 帰宅後、飼い猫のモカに餌をやり、ひとしきり可愛がった。先日道端にいたのを家に連れ帰ってきた当初は外に出たがってよく泣いていたものだが最近は少しずつこの暮らしに慣れてきてくれたようで嬉しい。両親の遺産で働かなくとも暮らしてゆける身の上だが、孤独や刺激のない生活に飽きていたところだったので今の生活がとても楽しい。床に寝転がるモカを眺めているといいアイディアが浮かんできた。面白いものが書けそうだ……
「すまん、吉岡。俺にはこの話の何が怖いのかわからん。毎週自宅に人を招いてホームパーティーを開くような人気者の男の話のどこが怖いんだ?」
「僕としてはいいものが書けたと思っていたんだが……」
「うーん…頼んでおきながら本当にすまないが、これは載せられないよ。本当に申し訳ない。」
「いや、僕の方こそ期待に添えなくて申し訳ない。」
 帰宅し、モカをひとしきり可愛がった。やはり子猫はいい。その後テレビをつけてソファーに腰かけたが珍しく外出した疲れで睡魔に襲われそのまま寝入ってしまった。
「…次のニュースです。市内に住む女子大生の山下萌歌さんが友人との会食を最後に行方がわからなくなっており、道警は情報提供を呼び掛けています…」

著者解説

編集発行人の工藤正樹先生から依頼を受けた時、まず考えたのは「何を書こうか」ではなく、「何なら書けるか」でした。そして自分の人間性を分析してみた結果「信頼できない語り手」だなという結論に至り、その方向で書き始めました。私は悪魔的言い回しというか、嘘はついていないがストレートな真実は告げない優良誤認を狙う言い回しが好きでして、○○しろとは言ったが、××しろ(あるいは、するな)とは言われていないみたいな言い回し(悪魔と契約して願いを叶えた人間は大抵そういった願い事の盲点やその願いを叶える事で生じる思いもしなかったデメリット等の隙をつかれて破滅させられるではありませんか)ですね。自分の長所はそこだなと思って信頼できない語り手でいこうと思ったのでした。なので、この作品を読んで子猫を可愛がる男のほのぼのしたストーリーを想像していたのに女を拉致監禁レイプするような胸糞悪いもの見せやがって!死ね!といった感想を持たれた方に対してはこう言いたい。もう一度この作品を読み返してください。嘘は何一つついていませんよ?子猫という字面から食肉目ネコ科ネコ属の動物を想像されたのでしょうが、女の子を子猫ちゃんと呼ぶ言い回しがありますよね?私はそのつもりで書いておりましたが勝手に勘違いされたあなたの落ち度では?作中に出てきた「可愛がる」という言い回しについても頭やお腹や背中を撫でたりといった意味もありますが、それだけではなくて隠語的な言い回しもありますよね?スモウ・レスラーの先輩後輩間の「可愛がり」とか。直接的に描写するのはあまりに陰惨に過ぎて忍びないと思ったので婉曲に表現したら誤解を与えてしまったようで、これは申し訳ない。主人公のキャラクターのモデルというか元ネタですが、『ジョジョの奇妙な冒険』第四部の吉良吉影です。自他共に常識人として通っている人間が常識人のフリをしたシリアルキラーだったというのがもっとも怖いと私は思っています。そう思うのは私が子供の頃はテッド・バンディやアンドレイ・チカチーロ等といったシリアルキラーの手口の再現VTRを放送するテレビ番組をやたらやっていたような記憶があってこういった自分の隣人がそうかもしれないしそうでないかもしれない。どっちにしても人の心中など本人にしかわかり得ないし他人の家を隅から隅まで見る機会など無いので隣人がシリアルキラーではないという可能性は0ではないという事に対して強い恐怖を覚えた記憶があって「人が怖い」系の恐怖が自分の中では最上級だなと思っていたので超常現象は起きない人間の恐怖を描いた作品になりました。登場人物の吉岡海斗と武藤政雄のネーミングの由来ですが、私の本名と編集発行人の工藤正樹先生の名前を足したり変えたりという完全な楽屋ネタです。こういうわかる人だけ笑えるような狭い笑いが好きなんです。女性を拉致監禁というストーリーについては漫画家大越考太郎先生の短編集『猟奇刑事マルサイ』の中の一篇『ラチカン』から着想を得ています。〝子猫〟のモカについては最近は人名なのか犬や猫のペットの名前なのか判然としない名前の人が増えてきているな(所謂キラキラネームというやつです)と思った事から着想を得ました。この話には蛇足というか、別に無くてもこの話は成立するなという部分がありまして、言わずともお分かりでしょうが武藤政雄という登場人物自体と、彼が主人公の吉岡に小説執筆を依頼する関連のくだりです。このくだりをカットして無くしても一応本筋の話は成立しますが、いくつかの理由で多少の無理矢理感はあるなと思いつつも入れました。一つ目の理由としては編集発行人の工藤正樹先生が過去に発表した漫画作品の中で筆者の身近な、現実に存在する場所を舞台にしてはいるが作中の出来事はフィクションであるという作品がありまして、その現実と創作のリンクという表現法が面白いと思ったのでアイディアを拝借しました。恐怖小説のアンソロジーというワードと小説執筆を依頼という時点で、想像力豊かな読者の中には「これは、創作という体の編集発行人工藤正樹氏と筆者の間で起きた実話では…?」と思わせる(この作者、創作という体でマジでご婦人を拉致監禁してるのでは…?と思わせたかった。勿論現実にそんなことはやってません)ためにやりました。作品内で完結せずに作品外の現実にまで侵食する恐怖を描きたかった(日野日出志先生の『地獄の子守唄』みたいな感じの)のです。作中の、主人公吉岡が書いた小説が恐怖小説のつもりで毎週自宅に人を招いてホームパーティーを開くような人気者の男の話を書いてまったく理解されないというのは私の個人的な持論から来ています。ホラー漫画の大家と呼ばれる諸先生方って私の知る限り(梅図かずお先生、日野日出志先生、御茶漬海苔先生等)では気弱で人の良さそうな方ばかりで何故なんだろうと思っていましたが、もしかしてあの人達は実は人一倍常識人の恐がりなのでは?だからこそあれだけ人を怖がらせる作品が描けるのでは?だとするとそれと正反対の怖いものなしの豪傑や存在そのものが他人にとって脅威となるような異常者が感じる恐怖は常人にとって到底理解できないものなのでは?という考えからああなりました。常人は自宅に知人が来る事に、当たり前ですが恐怖など感じませんが、主人公吉岡がもっとも恐れているのは自宅に人が来て犯した罪が露見して彼にとっての今の幸せな暮らしを奪われる事で、それを無意識に婉曲に創作という形で表したら何が怖いのかまったく理解できない常人の感覚とはズレた作品が出来上がったという設定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?