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面影が繰り返し通り過ぎる

先日投稿した記事で、こんなこと書いて大丈夫だろうか、おかしく見えないだろうか、と思っていた文章に意外なオチがついたので、その報告をしてみる。

この記事は、散歩中に頭に想起されたことを自分の記述能力、時間や疲れの制約の及ぶ限りでそのまま書いてみようとしたもので、
文章の終盤にこんなことを書いた。

国道を右側で歩いて、向かいから走ってくる車に乗っている人の顔をみると、何故かほとんど皆んな綺麗だったり、整った顔をしているように見える。

どうでしょう。
ちょっと何いってんの?
というか、少し変なことが書いてあるような気がするでしょうか。

でも、自分としては何でそんなことが起こるんだろう、と素朴に思いながら正直に書いていたわけです。

そういう疑問がありつつ、今日も散歩の帰り道に国道の右側を歩きながら、通り過ぎていく車の中の人の顔をフロントガラス越しに見ると、やはり同じ印象を受ける。
どんな年齢の男女にも関わらず。

さて、もうこの時点で気づいた方がいらっしゃるでしょうか。


そうです。
それは車のフロントガラスによる盛りだろう、という認識に至りました。

車のフロントガラスは、それを通して顔に若干緑青白いようなトーンをレイヤードし、細部の印象をいい塩梅に捨象して、その顔にある種の面影感のような効果を与えていたのでした。

通り過ぎていく車のスピードや運転への集中、朝の日差しの角度もその効果を際立たせていたということがあるかもしれません。

それにしても、まさか盛られていたとは。

これに気づいたときは、やっぱりそれなりに嬉しかったのですが、
自分の体験から否応なく神秘性みたいなものが剥ぎ取られるというか、そういうアンチ神秘体験感、痛快さみたいなものがありました。

何でも正直に書いてみるものですね。
InstagramやTikTokの盛り文化みたいなものを全然知らなかったら気がつかなかったかもしれない。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。