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おやつはまだか 2022年4月10日週次投稿

書くのが面倒なときのつっかえ棒、週次投稿でございます。
今週は週末のことをポロポロ書いてみて、あとは思いついたことがあれば、という感じで。



下の子が見たがっていた『魔女の宅急便』をTSUTAYAでレンタルして、それを家族で見ていた。

自分の子どもかそれとも自分を重ねてしまうのか、冒頭から動揺して泣きそうになってしまう。
その気持ちと釣り合いを取るように、出てくるキャラクターのことを図々しいなと腐したり、こんな展開になるかね、と意識的に頭の中で水をさしまくった。そうでもしないと演技ひとつに気持ちがかき乱されて、まともに見ていられないのを自覚していた。
華やかな格好をした女の子を見て、しかもその子にずぶ濡れじゃない、なんて言われたら、、そうかそうか、それが諦めて帰っていくトンボに視線を送ることさえできない演技につながるのね、みたいな話の筋に意識を向けてやり過ごそうとする。

― 何でジジは喋れなくなったの。
下の子が内容に関心をもってくれているのがわかって、まだ映画が続いている最中に聴いてきてくれることが嬉しい。

― 何でだろうねー。何でだかはわからないけど、ジジがいたらキキはこんな風に自分のことを考えられなかったかもしれないね。
と話す言葉はある程度解釈の範疇ではあるものの子どもにそれを伝えるとなると動揺を静めようとするには内容が逆効果で、声がほとんど嗚咽気味にふるえてしまった。もっと子どもに面白い言い方もあったはずだ。

私は作品を鑑賞するときに、ある程度解釈したり考えたりすることはやったほうがいい、それでより面白く鑑賞できるならラッキー、と素朴に思っていた。ただそういう意識が作品の場面に向き合ったときの自分の内面の防衛として働く場合があるという自覚はあまりなかったと思う。
テレビを見ているときに内容に茶ちゃをいれていた父、球場でヤジる男性、そういうのにも関係しているときがあるかもしれない。

奥さんはジジは気がきかないとか言っていた。うちにいる猫との関わりもあって出てきた言葉だろう。猫一般に気がきくとかそういう考えを自分は意識したことがなかったから奥さんの猫との接し方に変な感じがすることがある。奥さんの方からも私にそういうことを考えていることもあるかもしれないからタイミングがあれば聞いてみたい。



ひとりで日曜の夕食の用意の買い物をするついでにサイゼリヤに寄り道をして、白ワインを飲んで青豆のサラダとサラミをつまんでしまう。
青豆のサラダがベーコンからチーズに変わったのを、どうなんだろうと思っていたけど、いま振り返ると何でベーコンがはいっていたのかわからないと思うくらいにはハマっている。

酒が適度にはいっていたからか、家から出るときにリュックにいれていた本の最初のあたりをパラパラしていて胸がいっぱいになる。ちょっとダメだ、と思ってテーブルに肘をついて右側の通路から見えないように顔の横に手をかざす。
内容を面白く感じるのと同時に、そこに書いてあることが自分には充分と思うくらいにはわかるようになったこと、書いた人が何を考えながら書いていたかということに想像が伸びていくのに嬉しさを感じていた。
別にこれで終わりでいいじゃん、楽しめるようになったんだから、と思わないでもない。自分で認めるところのゆったりした成長の実感に、どこか抑圧的な雰囲気が伴うことを今これを書きながら気がついた。
スーパーの入り口に着いたタイミングで、いつ帰ってくるのか、おやつはまだかと子どもが催促していると電話があった。

なんとなく最近飲んだお酒をペタペタ。飲酒のことを書きたい気持ちはあるものの、どういう扱い方をすればいいか考えあぐねている。

がぞ

樽平や浦霞本醸造も最近飲んだ。皆んなうまい。
別に日本酒だけ飲むわけではなく、普段はイオンの発泡酒や泡盛のお湯割りとかも。

酒のラインナップを見てピンとくる方もいるかもしれないけど、自分にとって丁度いい日常酒がどのあたりかというのを適当に模索している。
(そういう意味では画像の立山特別純米は少し違った。本醸造、普通酒の方がいいのかもしれない。)
うまいけど若干何か足りない。別に物足りなさはないけど大して面白くもない。自分の酒との付き合いでいえばスーパーでそういう酒が買えれば概ね満足ということになる。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。