見出し画像

#1『苦役列車』西村賢太

よく「人生を変えた一冊」という本の紹介を見る。そんな本との出会いは一生に一度あるかわからないが、私はこの本と出会った。大学を卒業して就職した会社を半年で辞め、ダラダラと就活もせずに2年近くを無職で過ごしていた私は中学生のとき以来久々にこの本を手に取った。貫多の力強い生き方に励まされたのか、はたまたその無様さに開き直れたのか自分でもわからない。とにかく私はこの本を読み終えたとき、就活を始める決心をしていた。

考えてみると編境読書会の記念すべき第一作がこの本でなければ私はこの読書会には参加しなかっただろうし、この文章を書くこともなかった。もしかしたら「苦役列車」は私の人生を二度も変えてくれるのかもしれない。

「苦役列車」は144回芥川賞受賞作である。作者、西村賢太の「風俗に行こうと思っていた」という受賞の言葉は当時話題になった。 「苦役列車」の特徴は石原慎太郎が身体性や肉感と評した、全体を貫く人間の汚らしさだろう。それは着飾った人間の心の汚さではなく、野生動物のワイルドさでもなく、家畜の豚が人間の残飯を貪っているような汚らしさだ。

冒頭から男性なら経験があるであろうなんとも生々しい表現で始まる。

“曩時北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。しかし、パンパンに朝勃ちした硬い竿に指で無理矢理角度をつけ、腰を引いて便器に大量の尿を放ったのちには、そのまま傍らの流し台で思いキリよく顔でも洗ってしまえばよいものを、彼はそこを素通りにして自室に戻ると、敷布団代わりのタオルケットの上に再び身を倒して腹ばいとなる。”

まったくこんな行動を小説に書かなくたっていいじゃないか(書き加えておくと読書会の参加者には女性もいたのだが印象に残ったシーンとしてこの部文を読み上げてくださった。聞いているこっちが恥ずかしかった)。

読書会でも話題になったのは次の場面だ。

“ちょうどその男はサラダの容器に分厚い唇をつけ、底に溜まっていた白い汁みたいなのをチュッと啜り込んでいるところだった”

読んでいるだけでも食欲がなくなってしまう。私小説とはいえどこまで実際にあった話かわからないがこのシーンは間違いなく実体験だろう。こういった細かな描写には目を背けたくなるが、それでいてページをめくる手が止まらなくなるのは、西村賢太の実体験に基づいた私小説の力強さゆえだろうか。  

父親は性犯罪者であり、自身は中卒という強烈なプロフィールとその期待を裏切らないキャラクターはやや演技的ですらある。しかしそこには機械の歯車のようなキャラクターとは違う、体臭をともなった一人の人間が描かれている。人生の不条理を書こうが、労働の苦しみを書こうが、結句、インテリどもの文学ごっこでは本物の人間を書くことなどできないのだ。人並みの人生からはドロップアウトした西村賢太が作り上げた19歳の青年北町貫多のどうにもならない日々を是非楽しんでほしい。

筆者:N.A

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?