見出し画像

エッセイ:面白い友人

最近はそうでもないが、子供の頃何故かよく“見えてはいけないもの”と遭遇した。

いわゆる都市伝説とか、怪異とか、なんかそういう感じの名称で呼ばれるものだ。別に霊感があるだとかなんだとか変わった部分はおれ自身には一切ないのだが、2、3歳の頃はよくケサランパサランを追いかけまわして迷子になるメルヘン幼児だった。
一番恐ろしい思いをしたのは小学3年生の頃。体格だけはジャイアンだがキャラは完全にのび太だったおれは陽キャのクラスメイト達数名に無理やり肝試しに連れていかれた。場所は校舎の最上階の、滅多に使われることのない古いトイレ。子供が大好きな“出る”と噂のそこに一歩踏み込んだ瞬間、おれの耳にだけ女の声が聴こえてきたのだった。

――ねえ、赤いハンカチと青いハンカチ、どっちが好き……?

それを耳にした瞬間、おれは狂ったように泣きわめいて転がるようにその場から逃げ出した。転がるブタゴリラを追う陽キャ達、そして遠ざかる女の不気味な笑い声。その声はどうやら陽キャ達には一切聴こえていなかったらしく、口下手なおれの言い分に大半のクラスメイトは震えあがり二度とそこに近づかなくなった。そりゃそうだ、だって吸血されて殺されるのも、血まみれになって殺されるのも嫌だもの。しかしその時一緒に現場に向かった陽キャのうちひとりはいつまでも、いいなあいいなあおれもお化けの声聞きたかったなあと言い続けていた。

暢気すぎる。こんな奴になれればどれだけ平和だろうと思った。子供らしい好奇心だけで考えなしな言動が出来るその肝っ玉が羨ましかった。だってどうせ遭遇してしまうのだから楽しめた方が人生得に決まってる。それなのに、ごく常識的に怖がってしまう自分の平凡さがつまらなくて、無邪気な異常者のクラスメイトが羨ましかった。


おれがギターボーカルをやっているバンドでドラムを叩いている奴に、「一向に詞が書けない」と相談された。うちのバンドは彼を除いて全員がいちおう曲を作るのだが、彼が昔インスタなんかに載せていた、なかなかセンスのいい面白ポエムに目をつけたバンドリーダーのギタリストが自分の作った曲に詞をつけてみないかと提案したのだった。

最初こそノリノリで応じていたドラマーだったがどうやらドツボにハマったらしく、普段からドツボにハマりっぱなしのおれはWelcome to hellと完全に訳知り顔でLINEを返したわけだが、ヤツは割と本気で悩んでいるようだった。みんな出来るのにオレには出来ない、オレはバンドの足手まといだ、とメッセージが返ってきた。うちはたまたま“そういうバンド”なだけでボーカルしか作詞作曲をしないバンドだってたくさんあるわけだし、詞や曲が書けなくても立派なミュージシャンはいるよと励ましたのだが、ドツボのドラマーは普段の無邪気な明るさはどこへやら、「オレは平凡でつまらないからみんなみたいに個性のある詞が書けない」などと自虐する。

何を言うか、と思った。ヤツはおれの知る限りではあるが、かなり面白い人間だ。

未だに酒や煙草を買おうとすると年齢確認をされる程度にはベビーフェイスでピンクマッシュのイケメンドラマーは、小学6年生で親に勧められてジャニーズのオーディションを受けに行ったが急に人見知りを発動して嫌になって帰ろうとしたらしい。しかしトイレが我慢出来ずにオーディション会場でトイレだけは借りて帰ろうと、「その辺にいた用務員のおじさんに場所を聞いた」のだそうだ。ここまでで勘の良い人なら粗方察するかもしれないが……その「用務員のおじさん」が何を隠そうあの有名な事務所社長、“ジャニーさん”だったのだとか。
ほかにもシスコンが過ぎて3歳下の妹の人生初デートが心配になり、変装のために女装して尾行していたら待ち合わせ場所へ向かう途中だった妹のカレシにナンパされてしまったりだとか、数年前に片想いしていた職場の女の子に言い寄っていた男が地下アイドルだったからと言って、カノジョの気を惹くために自分も地下アイドルになり練習生からセンターまで上り詰めたりだとか、彼の周辺にはなにかと気の狂った逸話が多い。その全ては彼の過剰なまでの真面目さとバカ正直さと天然なキャラクター故のものなわけだが、そんな過剰にバカ真面目で天然な彼はどうやら本気で自分のことを「平凡でつまらない」と思っているらしい。

おれは彼のメッセージに、皮肉もなく、羨みもない純粋な気持ちで――いや、正直ちょっとだけ羨ましいとは思っているが――ほんまに自分はオモロい奴やな、と返した。


ここ数年はめっきり“見えてはいけないもの”を見てしまう機会も減ったわけだが、先日久しぶりに遭遇してしまった。真夜中の下北沢、スタジオ帰りの出来事だった。おれ達は基本事務所が借り上げているボロの録音部屋で作業することが多く、その日も作業を終えて録音部屋から帰るところだった。金曜の夜、締め切り間近になっても先が見えてこなかったので、仕事帰りにそのまま下北沢へ出て数時間ほど缶詰になることにしたのだった。

緊急事態宣言下の下北沢の夜は早い。飲食店はほとんど20時で閉店していて、おれはコンビニで適当に買ったカップ麺を食べ終えてから終電の時間に気づき、慌てて荷物を片付けた。
仕事道具をまとめて仕舞ったギターケースを背負ってひと気のすっかり失せた通りを足早に歩く。汗でTシャツが背中に貼り付くのが気持ち悪い。ライブハウス・下北沢シャングリラの前を通り過ぎた辺りでおれは思わず足を止めた。“それ”が、ファーストキッチンの前あたりにぼんやりと佇んでいたのだ。
おれは勘の良いガキなのですぐに察した。淡い輪郭のみを有し、色はなく、まるで透き通った布を束ねたようなかたちをした“それ”が、風もない夏の終わりの道端でゆらゆらとありえない動き方で揺れていた。

あ、あれ、あれや。「くねくね」や。

気付いた時にはもう遅く、おれの足はアスファルトに釘打たれたかのように身動きを失っていた。膝は伸びきったまま棒のように佇み、後に引こうにも、終電に駆け乗ろうにも、二進も三進もいかない。まるでクーラーの壊れた部屋で一晩眠りこけてしまった時のような、脳味噌がどろどろと溶けて液体になってしまったかのような感覚。少しずつ、少しずつ何も考えられなくなって、固い地面にめり込んでいきそうな自重だけを全身で感じていた。
これが“正気を失う”という感覚か。勉強になるな。と思えたのはつい数日前のこと。この時は早くここから逃げ出さなければ、という焦り=正気が、少しずつ規模縮小されていくのを恐ろしく感じることしか出来なかった。

その時、近くに人の気配を感じた。首も捻れないので最初は誰が来たのかわからず怯えることしか出来なかったが、その人物はすぐに聞き覚えのある声で喚き始めたので正体はすぐにわかった。
「組長!? どうしたの、そんなところで何してるの!?」
いわゆる強面と言われる類のおれにつけられた物騒な渾名についての説明は割愛させてもらうが――その声の主は件のドラマーだった。おれは反射的に視線の先を顎で指し示し、そしてすぐに後悔した。もしもコイツも“あれ”を見てしまったら、完全におれの道連れになってしまうじゃないか!?

やめろ、見るな! そう言いたくても声が出ない。声を出すための機能がすべてその動作の仕方を忘れてしまったようだ。おれは池の水面に浮かぶ鯉にでもなってしまったかのようにパクパクと口を動かすことしか出来ず、ただただそこに立っていた。脂汗でずり下がってきた眼鏡を直すことすら出来ない。ドラマーも暫くそこに立っていることしか出来なかったようで、手にしたコンビニ袋の白と迷彩柄の短パンの裾が視界の端で揺れる。眼球だけで盗み見ると、伸びたピンクの前髪のせいで表情がよく読めないドラマーが徐に言った。
「ねえ、オレむかし怪談の本とかすげー好きだった時期あったからいちおう知ってるんだけどさあ、あれって、あれだよね? “うねうね”?」
微妙にちゃう。ちゃうけど言えん。クソッ、ツッコミ魂は黙ってられんのに声帯が用を成さない。
「これって、見たら正気失くすんだったっけ……?」
知ってるんやったら見るのやめえや!!! と、大声で叫び出したいおれの気持ちを知ってか知らずか、ドラマーは次の瞬間耳を疑うようなことを口にした。
「でもオレ、大丈夫みたい。やっぱりオレ、普通じゃないのかな……?」

言った瞬間、彼は緑色に光りはじめた。まるでメロンソーダのような色味の光彩をカメラのフラッシュのように一瞬、全身から放ったかと思うと……そのままおれの横をすり抜けて目の前の怪異へと駆け寄っていったのだった。
「待ってて、アイツ、やっつけてくる」
そう言って駆けて行った後ろ姿は、迷彩柄の短パンを身に付けた男ではなく、緑色のミニのスカートにたっぷりのチュールを仕込んだワンピース姿。ツインテールに結い上げられた髪の毛が犬の尻尾のように揺れ、背中にはセーラー服みたいな襟と大きなリボンがついている。
そう――まごうことなき、魔法少女だ。

ドラマー……だったはずの魔法少女は、右の手のひらに手品のようにハサミを出現させ、やおら「くねくね」を左手で掴んだ。
「すごーい、触れる! 気分もなんともないし……もしかしてオレ、普段からずっと正気じゃないってこと? え、オレ今なに言ってるかわかんない???」

ああ、わからんわ。マジカル☆ハサミ1個で雑草刈るみてえに「くねくね」を刈り取れるそのド根性もな。
だから言ったはずだ、ヤツはおれの知る限り、“かなり面白い人間”だ、と。


因みに彼がその“普通じゃない”力でいともたやすく刈り取った「くねくね」はたった今、録音部屋に集合したおれ達バンドメンバーの目の前に置かれたガスコンロの上の鍋の中で、ネギや水菜、鶏肉やキノコなどと一緒にあごだしでじっくりコトコト煮込まれています。

【終】


この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,974件

2018年設立、架空のインディーズレコードレーベル「偏光レコード」です。サポート頂けましたら弊社所属アーティストの活動に活用致します。一緒に明日を夢見るミュージシャンの未来をつくりましょう!