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2023年に置いて行きたい4/4:読書習慣の社会階層格差

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 薄々感付いてはいたんだが、
 お互いが異なる言語を話し合っている。
 文字に語句だけは同一言語に聞こえてもだ。

(文字数:約3400文字)



2023年の営業活動

  今年は8月に、
  関西に本社を置く出版社の、
  合同イベントがあったもので、
  赴いて機会があれば名刺を配りまくってきたのだが、

  関西で小説の出版は困難である事を、
  身に染みて理解できただけであった。

  その中でお一人私が結婚している事を知って、
  「ご主人はあなたの作品を読んでどんな感想を?」
  と訊ねられたのだが、

  「うちの人読んでくれません」
  と答えると、
  「それじゃダメですよ。
   まずは家族に読んでもらえないと」
  と呆れた感じに返されて、

  まぁそうだろうなと思ったんだが。


  12月は配偶者がかつて所属していた、
  射撃団体のイベントに行った。

  年1、2回は開催されているので、
  行く度に顔を合わせる、
  配偶者の後輩さんがいるのだが、

  この度彼が大阪芸大の文学部出身であり、
  小説を書く人である事を知ったので、
  もちろん名刺も渡してきた。

  「どんな小説ですか?」
  と後輩さんは私だけじゃなく配偶者にも訊ね、

  「いや。俺読んでないねん」
  と返されて、
  「真っ先に読んであげて下さいよ。
   奥さんかわいそうじゃないですか!」
  と呆れた感じに言っていて、

  おやおや?
  と私は若干の違和感を覚えると同時に、
  なるほど、
  と頷きもしたのだが。


そりゃ読むわけねぇよな

  以前から私の記事を読まれてきた方は、
  私が時々暴走して、
  「配偶者が私の小説を読んでくれない」恨み言を、
  つらつら述べてきた事を御記憶かと思われるが、

  それも世界的パンデミックにより、
  配偶者の勤め先も仕事が激減した結果、
  経済的にも精神的にも追い詰められた配偶者が、

  「早く結果を出してくれ(○ω○)」
  「売る努力をしてくれ(○ω○)」
  「もっと売れる努力を真剣に考えて実行して、
   早く俺を解放して楽にさせてくれ(TωT#)」
  とめちゃくちゃプレッシャーをかけて来やがったから、

  「まず貴方が私の小説読んでくれよ(T△T)」
  「私は浮かんだ小説を書かずにいられないだけで、
   自分の売り方なんか分かんないんだよ(#T□T)」
  と逆ギレしまくってただけで、

  そりゃ読むわけねぇよな、
  って事は実を言うと、
  配偶者から言われるまでもなく分かっている。

  (ちなみに仕事が戻ってきて、
   配偶者も徐々に落ち着いてきた今は、
   「時間掛かってもしょうがないよね」
   とか言うてくれてはります。)

  毎日余裕も無く働かされ続けている社会階層において、
  身内だろうが他人が書いた虚構の文章なんぞ、
  読んでいられる暇なんか、

  真剣に無い!

  長年毎年顔を合わせる機会があった後輩が、
  嫁同様に小説を書く人である事すら、
  今回話の流れで私が訊ねるまで、
  思い浮かびもしなかったほど、

  「小説を書く人」だという情報は、
  「小説を書かない人」にとって、

  悲しむ筋合いも無いほどナチュラルに、
  嫁や後輩当人と接するに際しても、
  何の障害にも得失にもならない、

  見事にどうだっていい情報なわけだ。

  他にも今年私の小説を、
  身近で読もうとしてくれた3名のうち、

  菩提寺の御住職からは、
  思い掛けないところで難色を示されたし、

  ボランティア仲間からは純粋に、
  点訳校正だけをしてもらえて、
  特に感想は頂けず、

  「お金払うからバイトと思って読んでくれ」
  という頼み方をした、
  掃除内職仲間の娘さんも、
  「私には難しすぎて……」
  と読み切れなかった。
  (お金は事前に約束しただけ払った。)



  これこそが私自身も所属する、
  庶民階級の現実だ。


  私とて立場が変わって、
  「自主制作の映画観て感想ちょうだい」とか、
  「私が作ったゲームプレイしてみて」とか言われたら、

  知り合いであればこそ突き返しはしないまでも、
  知り合いであったとて大迷惑。

  毎日の仕事に自分の人生に忙しいんだ。
  そんなもんに割いている時間も神経もねぇって。

  だよな。
  

  

振り返って思う私の(故郷における)異常性

  とは言え配偶者はまだ、
  自分と異なる価値観であっても、
  否定せず受け入れようとしてくれる人だ。

  私の故郷に比べれば、
  まだ断然扱いが良い。

  振り返れば私が故郷で異常とされたのは、

  具体的に挙げられる言動としては、

  部屋にこもってたった一人で、
  本を読み続けていられたから
だ。

  本好きで、
  それを周囲に知らせても嫌がられもしてこなかったし、
  むしろ好意的に受け止められた方々には、
  おそらく恐ろしい以前に信じ切れもしないだろう事に、

  本気で、
  ただただ、
  それだけなんだ。


  人間とは、
  そして人間が求める人生とは、

  外に出て仲間たちと楽しく過ごし、
  居場所を作って帰属意識を持てる集団に入り、
  そこで得た役割を着実にこなしてこそ、
  幸せを感じられるものであり、

  それ以外に幸せなど存在しない事は、
  故郷においては火を見るより明らかなのである。

  そうした幸せ全てに背を向けるかのように、
  自室で一人で机に向かい続ける我が子は、
  そりゃあ両親からは異常な化け物にしか見えない。

  父親も本の虫だったはずだが、
  男性だからだ。
  女性は本来集団内での気遣いが必須とされ、
  自ずとそれを求める生き物と思われていた。

  文章は新聞を読んでいれば充分。
  本は世間に知られ話題になりまくっている物を、
  仲間内での話についていけるだけ読めば事足りる。

  クッソつまらねぇ読書行動に私には思えるんだが、

  読みたい本を求めて本屋巡りをする私の方が、
  両親からは知性に教養をひけらかしたがる、
  女性として致命的に嫌な奴に映るという。
  (#ノ∀<)アイタタ。
  

根本的な見解の相違

  私は自分の幸せを、
  疑ってなどいなかった。

  一族の呪いで異常な子に生まれたと、
  気の毒だが今後も一生幸せにはなれないと、
  思い込んできたのは私の周囲である。

  私は自分の美しさを、
  疑ってなどいなかった。

  目には見えない要素であっても、
  黒と白だけで成る文章のひたすらな羅列にも、
  美しさを読み取り感じ取り切れる自分を、
  内心誇りに思っていた。

  見た目も女性らしく見えない上に、
  女性らしく装う努力もしないお前を、
  好きになれる人間は男女問わずいない。
  結婚なんか出来るわけがないし、
  仕事も良いものは見つからないか、
  見つかったとしても職場で嫌われまくるだろうと、
  思い込んでひたすらに言い聞かせてきたのは、
  ただただ私の周囲である。

  私が幸せになれる可能性すら信じず、
  私にほんの少しの美しさも、
  見出そうとしなかった人々を、

  縁あって近くに生まれ合わせただけの、
  他人と心得て何が悪い?

  そう心得ずしてどうやって、
  私が私という存在そのものを許し切れると?


ついでに言ってしまうんだが

  人類はとっくの昔に、
  死の恐怖を乗り越えている。

  誰の何の役にも立たないまま、
  誰からも嫌われた状態で、
  生き長らえる方がより恐ろしいという、
  価値観によってだ。

  だからこそ、
  役に立たないように見える者や、
  一人でも楽しく過ごせている者を、
  集団で、
  影に日向に貶めにかかる。

  いずれは自分たちも死んでしまうとしても、
  アイツらよりは幸せだと、
  思い込みたいがためである。

  空気を読んで集団に溶け込み、
  求められる役割を、
  自分を殺してまでこなしてきた結果、

  アイツらよりは幸せになれたと、
  思い込みたいがためである。

  自分たち以上にアイツらが幸せを感じる事など、
  あってはならないわけだ。

  集団に所属する意味など、
  実はその程度だ。

  もうそろそろやめにしないか。

  幸せと美しさと特別である事は、
  一人一人がそれぞれに感じ取らないか。

  出来るだろうと私は思うが。
  

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!