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愛は言動である(良くも悪くも)

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 Pixivで公開してきた小説以外の文章を、
 noteに移して行きます。

(文字数:約800文字)


 座右の銘としているヴィクトル・ユゴーの絶筆、

   エメ、セタジール
   Aimer, c'est agir.

 直訳すれば「愛する事は行動する事」であって、
 さすがは文豪、
 一言で全てを言い当てていると思うのだが、

 自らも誤認しかねない、
 という自戒の意味で、
 「愛は言動である」と変換して心に刻んでいる。

 例えば、
 「好き」という心持ちがあるとして
 わざわざ口に出し相手に届ける行為が、
 「愛」だ。

 その行為の良し悪しは、
 心持ちの美しさによって決まる。
 ゆえにどちらかをないがしろに出来るものではない。

 裏を返せば、
 悪口や暴力の類いも残念ながら「愛」だ。
 しかしその心持ちは決して美しくない。
 可能ならば言動に変えない方が無難だ。

 ここで一つ重要に思えた事がある。
 美しさを決めるのは絶対に自分ではない。

 いやそんなはずはない、
 私のこの思いは美しいはずだと
 強く信ずるのであれば、
 相手の立場や周りからの目線も考えた、
 美しい言動に変換しなくてはならない。

 言動になっていないならば、
 それはどこまでも「心持ち」だ。
 自分一人では磨いて研ぎ澄ますまでが精一杯、
 他人に示す事でようやく「美しさ」が判断される。

 全ての違和感は、
 この個々人それぞれによって異なる、
 「美しさ」の感じ方に基づく。

 救いがあると思ったのは、
 同時に心してかかる必要があると感じたのは、
 受けた言動の良し悪しを決めるのは、
 相手や周囲がどう言おうとも、
 また心持ちの美醜がどうあろうとも、
 受けた側でしかない。

 おそらく私の感覚は
 あまりに分析的過ぎて大多数の人には好まれないのだが、
 分析できたならある程度すっきりする事は保証する。

以上
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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