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アルベール・カミュ『異邦人』

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 Pixivで公開してきた小説以外の文章を、
 noteに移して行きます。

(文字数:約1500文字)


   『異邦人』
    アルベール・カミュ 
    昭和29年(平成22年123刷) 新潮文庫

あらすじ:
  平凡な一社会人ムルソーが、
  友人達と日常生活を送っていた中、
  ほとんど成り行きで人を殺してしまう、
  第一章。

  審理が進むうちに、
  人類が憎むべき異常者と結論付けられてしまう、
  第二章。


センセーショナルな部分ばかりが印象に残り、
「太陽が眩しかったから」
という部分だけがやたらと引用もされて、

読んだ事が無い人には、
相当誤解をさせていそうな作品だが、

読んだ人同士もお互いの感想に、
わりかし誤解し合っている気がする。

私はと言えば数年前に読んだ際いたく感動し、
「これは本棚に残しておくべきだ」
と取っておいたものを、

先日読んだアンソニー・ホロヴィッツ
『メインテーマは殺人』の中で、

アンソニーとホーソーンがそれぞれに感想を述べていたので、
引き出して再読してみた次第。
じっくり読み返す気で読んで5時間かかったかな。

再読してもなお私は、
「これは実に良い話だ」と思うのだが、

「ムルソーに同情するのか」
と怒ってくる人や、

「ムルソーと自分を重ね合わせるのか」
と嘆いてくる人の様子も、

わりと容易に目に浮かぶ。

同情はしていない。
人を殺した事は裁かれるべきだ。

ただ最後の2、3ページで、
それまでの印象が劇的に変わり、
清々しさに美しさまで感じさせてくれる。

この感覚を味わうだけの価値は充分にあると思うのだが、

読み手によっては、
人生経験に価値観によって、
それまでの印象が変わる事を強く拒んでしまうだろうし、

反感すら覚えて「嫌な話だ」と、
結論付ける事もあるだろう。

そうした感覚も否定できない。

カミュと言えば「不条理(absurde)」
といった知識まで、
誤解を広げてしまっている気がする。

若者が凄惨な事件を起こす度に、
引き合いに出されている気がするが、
「不条理」なのはムルソーの人物像ではない。

ムルソーに対する審理の進め方であり、
トマ老人に対する葬儀の進め方だ。

要するに、
「イメージが一人歩きする恐ろしさ」
を語っている。
令和の現在にも通用しまくる話だと思うのだが。

夏の太陽は日本でも年々、
健康を損ない正常な判断力を失うほど、
苛烈になっているし。

第一章でのムルソーの行動に経験が、
第二章で様々な証言者の口から語られるのだが、

証言者は誰一人嘘をついていない。
少なくとも嘘をつこうとは思っていないのだが、
法廷の中では、
陪審員たちには、
全く異なる印象に聞こえてしまう。
証言者すら一切信用ならない人物に見えてしまう。

ムルソーは殺人者ではあるが、
状況の積み重ねがそこに至らせたもので、
それまでの状況が一つでも違っていれば、
殺人は起きておらず、
おそらくマリィと結婚していたはずだった。

母親の死に対し涙をこぼすよりも、
胸の内で「お疲れ様でした」と呟く事を好む質で、

それはムルソーが、
フランスの中では片田舎のアルジェで育ち、
無神論者、
というよりも単にキリスト教徒ではなく、
神を信仰できる機会に乏しかっただけで、

死刑に処せられるほどの、
罪人ではなかったはずなのだが。

初読時にはそこまで印象に残らなかったけれど、
再読時にわりと実感できたのは、
当時のフランスの処刑方法はギロチンで、
ギロチン刑の不愉快さを、
ムルソーはわりと率直に述べている。

そこに関しては少なくとも、
現在は廃止されて良かったと素で思った。

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