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墓という概念

 高野山旅行記録の途中だが、
 奥の院に入る前に私自身の、
 「墓」に対する価値観をまず明確にしておく事も、
 無益では無いだろうと考えた。


普通ドン引かれる

  後の配偶者になるんだが、

  付き合って2、3ヶ月くらいしたあたりの彼氏が、
  「ゆき子さんは、墓地は好きですか?」
  と訊いてきたわけだ。
  それもディナー中に。

  「うん。好きだけど」
  「それは良かった」
  と付き合って2、3ヶ月の彼氏は満面の笑顔になった。

    「良い墓地があるんですけど、
     今度一緒に行きませんか?」


  「ちょっと待って。
   まずはまだ二十代の娘さんが、
   『墓地が好き』と答えた事実に驚いてほしい。
   その上で、どういった意味での『良い墓地』か、
   を明らかにしない事には、
   貴方は人によってはとんでもない誤解を受ける」
  今思い返してもわりと正確にそういった説得をした。


私にとっての墓地

  私の故郷の一族が、
  相当に特殊な成り立ちだという自覚はある。

  300年〜400年前に起きた九州の戦乱で、
  その土地の住民がほとんどいなくなった後に、
  関西から集団で移住してきた。

  以降300年以上もの間、
  住民は全ての家が同じ姓を名乗り、
  (そのため姓に加えて「家名」が存在する。
   母の生家は「もとえ」、
   父の生家は「むかえ」、
   母の生家の方が本家筋であり格式が高い。)

  近いにせよ遠いにせよ、
  全ての住民が親戚同士である。

  墓地そのものも、
  集落で最も日当たりの良い、
  四方を見渡せる開けた草地にある。

  小学生低学年くらいまでのそこは「墓地」ではなく、
  「ご先祖様のおうち」と呼ばれていたものだ。
  「お墓参り」にも「遊びに行こう」と誘われていた。

  おばあちゃんが私の手を引いて連れて行き、
  墓地の一つ一つに向かって話をする。
  「あの人は裁縫の得意じゃった」
  「あの人のおしゃべりは面白くて」

  全ての墓が親戚なもので、
  私はそこに立つ全てのお墓に線香を立てる。
  6体のお地蔵さんにも、
  私と同じくらいの子供のお墓にも、
  なぜか存在する無縁仏にもだ。

  盆にはもちろんご先祖様の皆が帰ってきて、
  目には見えないけれど地域中が賑やかなはずであり、

  「帰る日」の墓地にはたくさんの提灯が灯されて、
  子供達は墓地の前で花火、
  大人達はお墓の前にゴザを敷いて宴会をする。


  従ってこの私に、
  「墓地が怖いもの」という、
  知識はあっても概念が無い。
  親から受けた待遇への恨みは忘れていないが、
  先祖との繋がりは相当に深いように思っている。


良い墓地、とは何か

  「それを踏まえた上でさて、
   貴方にとって良い墓地とは?」
  と改めて聞き直したところ、

    「高野山の奥の院です」

  と答えられたわけだ。

  当時の私にとっては有名な観光地であり、
  せっかく関西に来たからには一度くらいは、
  と次の週末一緒に行くことを了承した。


  ……まさか月に一回のペースで通う事になろうとは!

    背景説明:配偶者の一族のお墓はふもとの集落、
         にあるんですけども、
         お義父さんの喉仏、
         だけは奥の院に納骨したんですね。

         喉仏だけなら所定の費用さえ払えば、
         どなたでも納骨できるとの事です。
         興味のある方はご検討下さい。


  余談ですが配偶者は真顔で何の引っ掛かりも無く、

    「お大師様は、生きてます」

  
と言い切れる人ですので、
  当時はお大師様の知識など全くなかった私ですが、
  徐々に受け入れるしかございません。


高野山の旅まとめ
  

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!