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言葉を愛した者の業(映画『永遠と一日』)

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 数学博士であり、
 サイクルロードレースの選手でもある、
 アンナ・キーゼンホッファーさんは言いました。

 「本当に物事を分かっている人は、
  『分からない』としか言えないものだ」

(文字数:約1000文字)


  『永遠と一日』
    1998 ギリシャ
    テオ・アンゲロプロス監督
    ブルーノ・ガンツ

  パルムドールも受賞した、
  名作の誉れも高い映画ですので、
  偏光個人の感想はざっくりいきます。

  誤解している情報に、
  理解が及んでいないところも、
  あるかも知れませんが、

  それ以前に分からない。


  「分からない」
  に真正面から向き合った内容で、
  全編を通して「分からない哀しみ」に、
  満ち満ちている。

  しかしその哀しみは大きく分けて二つ。

  そして何よりも主人公が、
  詩人である事、
  生涯を通して詩人であった事が、
  深く関わっている。


哀しみその1、若き日の妻の面影

  余命いくばくもない主人公が、
  私物を生前整理していて、
  若き日の妻からの手紙を見つける。

  その当時の自分は詩作に夢中で、
  妻からこれほど情熱的に愛されていた事には、
  気が付いていなかった。

  感謝を伝えようにも、
  妻も既に他界している。


哀しみその2、現実の見えてなさ度合い

  知り合った外国人の子供を、
  保護者の元へ連れて行く手伝いをする。

  主人公は詩人であり、
  言葉を駆使してきたつもりでいたが、
  その子の言語が分からない。

  人生も終わりに近付いたその一日で、
  「使い方すら分からない単語」を、
  三つも教えられる。

  言葉に表し難い光景にも出会う。


 そうした諸々の哀しみが、
 海へと沈み行く夕陽に向かっての、
 主人公の叫びに繋がるのでしょう。

 その時その場で目の前にいた、
 人間達よりも、
 言葉を愛してしまった者の業、
 としか言いようがありません。

 私自身が主人公とは、
 同類のように感じるので尚更。

 あとは要所要所で繰り返される、
 テーマ曲の美しい旋律に身をゆだねれば、
 どうにか最後まで観られるかな。

 だけど観切れなくても大丈夫よ。

 何かしらの美しさが少しでも、
 心に残ればそれで良いんだよ。
 映画ってものは。

以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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