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と言うより旧正御影供

 正式には旧正、すなわち、
 旧暦において正しい、御影供(みえいく)であり、

 入定された当日、今年は5月10日に、
 奥の院の御廟で執り行われるものだ。

 御逮夜(おたいや)はあくまでも前夜祭。
 それはだって、
 空海の地上における最後の夜は、
 弟子たちと伽藍で過ごされただろうからな。


 事前に確認していた予定表を、
 確認した上で誤解していたんだが、

   18時〜  御詠歌と舞の奉納
   18時半〜 諸堂法会

 とあったので、
 御詠歌は30分くらいで終わるものと思っていたら、
 ガンガン歌い踊りまくっているその最中に、
 僧侶たちがめっちゃ移動しまくり出したやないか。


 ごめん。御詠歌。

 だって、だってだってね。
 御影堂を始めとする大伽藍内の12のお堂、
 普段は公開されていない全てのお堂の、
 中が見られてそれぞれのご本尊が拝めるんだよ?
 (後で知ったけど今年は、
  5月14日〜7月6日の期間公開するそうです。)

 高野山に勤める僧侶の大多数は、
 御影堂に集結するんだけども、

 他11のお堂には、
 一人で法会を執り行う事が可能なほどの、
 修行を修めた僧侶が一人ずつ入って行くんだが、

 その内の御一人が、
 配偶者の菩提寺の御住職だ。


 いつもより良い法衣を御召しになられた御住職、
 ミツケタゾ!(ジョジョ風)

 (どのお堂を担当するかは教えられていない。
  直前に割り振られても対応できるほど、
  日頃から諸仏の経典を習得してはると思う。
  ※昨年までの流れである程度推測できるとも思うが。)

 道中や堂内に入られている間に、
 話しかけるなどもってのほかなので、
 まずは御住職を確認した後、
 私は諸堂を巡るしかないわけだが。


 ここで皆さんに、
 真言宗系の寺に行った際、
 仏像のそばに書いてあったりする謎の文言、

 真言って何なん?

 って話をします。

 人によっては、
 興味をそそられたりもすると思うけど、
 気持ち悪く感じたり、
 ワケ分からなくて怖かったりもするよね。

 修行を続ける僧侶からは叱られちゃいそうなほど、
 めっちゃざっくり言ってしまうけどあれって、

 仏様の(インドにおける)ご本名です。

 中にはやったら長いのもあるけど、
 「偉大なる」とか「慈悲深い」とかの修飾語がついて、
 仏に合わせたお願い事もついでに言っちゃってる感じ。

   例)不動明王真言(多分純粋なお名前はカタカナ部分)
    のうまく さあまんだ バザラダン
    せんだまかろしゃだ そわたや
    うんたらた かんまん

 私の推し仏である大日如来なんか、
 宇宙の真ん中にいるお方だから、
 存在自体が尊いから、

    おん アビラウンケン そわか

 って比較的シンプルー♪
 (しかし実は大日如来が人の世に現れた姿が、
  不動明王だったりする。)

 御前に立って手を合わせるって時に、
 お名前もお呼びしないのはどうなの?
 ってくらいの話なので、
 (ぶっちゃけ日本名でも構わんと思うんだが)
 気が向いたら唱えてみて下さい。

 ちなみに1回か、
 3回か7回繰り返すのが正式とされているけど、
 7回は気をつけていないと今何回目だったか忘れるので、

 まぁ覚えてきて唱え慣れたくらいの人は、
 3回で良いんじゃないかな。


 諸堂での法会が終了し、
 出てきた御住職にご挨拶。
 (「お堂でたった一人の法会さみしいよー」
  って後ほど言ってた。)

 私には菩提寺の御住職なものだから、
 近所のおっちゃんっぽく接してしまうんだが、
 実質的には結構偉い方なので、

 相当に偉い方々がそばを通る度に挨拶してくれるぞ。
 もちろん私も挨拶を返すけれども、
 隣にいる私はあの方々の目に何者だろうな(汗)。


 とは言え菩提寺は実は高野山の町中では無く、
 南海鉄道高野線の沿線集落にあるので、

 御住職は御影堂での御影供にだけは参加できないという。
 それはだって、
 高野山の町中に寺院を持つ僧侶達は、
 空海の直弟子の末裔だもの、って……。


 そういうとこちゃいますか?


 伝統やら領分やらがあろうから、
 今すぐ無理にとも言えないが、
 何かを堅く守り続ければその一方で、
 庶民一人一人の心は遠ざかって行くんだぜ、

 って極めてざっくり思った。


高野山の旅まとめ

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