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『唱え奉る河内國春乃井学園御詠歌部』第2話

第1話(末尾に全16話分のリンクあり)
(文字数:約5400文字)


2 若者が お唱えしたとて 構うまい

 ゴエイカって、何ですか? 
 なんて基本的すぎる質問は、人に訊く前に検索しろ、それが礼儀だ、とか鼻で笑いながら返されても当たり前みたいな気持ちでいたけど、
「うん。良い質問だ。まずは答えよう」
 部長は堂々と、これ以外に正解は無いみたいな笑顔を見せて言い放った。

「分からない」

 同い年なんだって、今ここにいる全員に知られても良かったら「禅問答?」って返している。
「部長である私自身が、さっぱり分からないままの手探りだ」
 はっはっはっ、って自信たっぷりに。まるで学年一の良い成績でも誇るみたいに。
「せめてヒントくらいあげなさいよ。それだからせっかく連れて来た子、ほとんど呆れてすぐ出て行っちゃうのよ」
 後で改めて自己紹介されたけど、部長の名前は小石川こいしかわひかるで、「あきら」に間違われる事が多いとか、なんで僕達の親世代って、ぱっと見てすぐ読める名前を付けようとしてくれないんだろう。
「一応の定義はある。『徳の高いショウニンや、仏そのものを讃える歌』だ」
 ショウニン、を「上人」に変換できるまで僕にはちょっと間が空いた。
「だけど……、じゃあさっきの『いろは歌』は……?」
「いろは歌の、詞を書いた人物は?」
「知りません」
「クウカイだ」
「誰ですかそれ」
 ぷっ、って教壇前の席から声がして、
「空海っ……! やだ空海知らないの弓月ゆづきの君」
「あ」
 振り向いた先に黒ブチのメガネがあった。ぐふぐふ女、って頭には一瞬浮かんだけど、人に言って良いとは思えないし僕は多分、そんな事を人に言って許されるようなキャラじゃない。
「同じクラスだったか」
「それも近くの……、ごめん。名前何だっけ」
「え」
 パッチリした目が、しっかり開いた時ちょっとドキッとした。
「うわーぁ。私の名前そう簡単に忘れてもらえないって思ってた」
「キャラが強すぎて名前を気にするどころじゃなかった」
「お誉めに預り恐悦至極にございます」
「誉めたつもりないんだけどこっちは」
 大げさな身ぶりに、小馬鹿にしてくるみたいなしゃべり方で、すぐに紛れてしまったけど。
神南備かんなびみくり。カンナビは検索でもして。みくりは、ひらがな」
「神職の家柄だな」
 言ってきた部長に、
「ってこう来なくっちゃ」
 親指を立ててドヤ顔なんかしてくる。
「知らないよ。神社とかお寺なんかに、知り合いいないし」
 部長も神南備も、小石川さん、だとどっちだか分からなくなるからみゆきさんも、「え?」って聞こえてくるみたいな顔になった。
「張山くん、今どこから通っているの?」
深見ふかみ市、の辺り、です。だけど、引っ越したばかりだから良く知らなくて……」
 引っ越した、ばかりって言うにはもう一年以上住んでるけど、祖父母の家の辺りからはほとんど出ていなかったし似たようなものだ。
「まさか、関東出身?」
 神南備が言ってきてイラッとする。
「だったら何」
「おお怖!」
 関東とか関西とか、ネタにされてるテレビ目に入るだけでもこっちはうっとうしいのに。
「気にする事は無い。ここは河内かわちだ」
 堂々と、言ってこられてついうなずきかけたけど、前半と後半が合っている気がしない。河内も確か関西の一地域だったはずだし。
「空海は、弘法大師の僧名だ。『弘法にも筆の誤り』なら聞いた事があるかな」
「ああ。はい」
 と言うより、なんだお大師様だ。おじいちゃんもおばあちゃんも「お大師様」とか「南無大師」とか呼び続けているから、生きている時の名前なんて知らずにいた。
「つまり『いろは歌』は、弘法大師を讃える歌として扱われる」
「そのくらいは知っとかなきゃ驚かれるよ?」
 部長ならともかく神南備に言われるのはイラッとくる。
「さっき」
 イラッとしたついでに思い出した。
「僕と、前の席の男子見て笑ってたの、なんで?」
「前の席ってだって、アスケくんでしょう?」
「おお、足助あすけ氏か!」
 名字を聞いただけで部長は目を輝かせてくる。
「高名な、戦国武将がいたんだ。南北朝期に、この辺りで戦った」
「南北朝」
 ってそれ具体的にいつなんだっけ。僕が知ってるって言えるのは、せいぜい家康信長秀吉くらいで、他の人達とかそれより前の時代なんかはどうだっていい。誰の子孫とかどっちの味方だとか、いつまで言い合ってなきゃならないんだって思うんだけど。
「足助の末裔と、弓月の君って……、出会うはずの無い二人が、時を越えて巡り合っちゃってんじゃない。何? 前世で約束でも交わしてた?」
「さっきから言われている意味がさっぱり分からない」
「そうよねぇ。空海も知らないくらいだもの」
「だから空海は……!」
 お大師様、って言ってもらえたらすぐに分かったんだ。
「神南備」
 大きな声を出したわけでもないのに、ぴしっと叱る感じが伝わってくる。
「知らない事は恥ではない。知らないままを良しとしておく事が恥だ」
 聞かされている僕は前半ですくい上げられて、後半でまた同じ所に下ろされた感じがしたけど。
「知らない者の心持ちを、知らずにいる事も同様。知識を増やす事のみが、知る事ではない」
 そして大っ変に、申し訳無いんですが……、その格好良さげなキリッとした声に、顔に、言い回しに、坊主頭のヅラが激しく邪魔をしていて、全体的にコントにしか見えません!
「そのカツラもやめたら?」
 兄妹だからはっきり言える幸さんの存在が有難い。だけど、
「せめて僧侶の気分でいたい。本来御詠歌は仏道修行の一環だからな」
 部長はヅラがズレていないか確かめただけで流してしまった。
「ああもう一つ、定義がある。御詠歌は、歌とは称されているが歌うものではない」
 見ている方が気を使ってヅラ部分を意識に入れないでおくしかない。
「唱え奉るものだ」
 何せ、やたら堂々と話してくるんだこの部長。本当なら同学年のはずなのに。
「声の美しさは求めない。巧みさを気にする意味も無い。ただひと節ひと節に仏への、敬意を込め感謝を思いながら、お唱えする」
「何のためにですか?」
「何のため?」
「あ」
 普段おじいちゃんおばあちゃんの前では、口に出せなかった気持ちがこぼれ出た。
「すみません。僕は……、さっきみたいに仏教とか、歴史とかも全く、知らないし……、そもそも仏様なんかに興味が無いんで、敬意も何も……」
「ハルヤマくん、だったね。『きよしこの夜』を歌えるかな」
「え。はい」
「『蛍の光』を聴いた事は」
「聴いた事くらいは。色んな所の、閉館の音楽で」
「♪テレビも家電もエアコンも 携帯電話もデジカメも」
「『ヨド○シカメラ』ですね」
 どうして家電量販店の店内ソングまでここで。
「全て、元は賛美歌だ。西洋の神を讃える歌が、元の意味など誰も知らないままにこれほど浸透しているからには、御詠歌を、若者がお唱えしたとて構うまい」
 堂々と、言い切られてしまうと人って多分、言い返す気すらしなくなる。
 あ、失礼しましたすみません、僕場違いでした、ってここで帰っちゃっても良さそうな、気もしたけど、
 本当に、そうしちゃったらもうこの人達からは、僕は今日限りのどうでも良い存在になるんだなって、思ったら、悔しいわけじゃない、それで当たり前みたいな気もするけど、
 今ここで、僕から決めてしまわなくても良いんじゃないかって。
「ヒロエさん! そこはウチチガエよ!」
 窓際から甲高い怒鳴り声が飛んだ。
「あっ、ごめんなさいマガキさん」
「間違えるくらいなら鳴らさないで! 仏様への無礼に当たるんだから!」
 扉を開けた時は十人未満、だったけれど、『いろは歌』が終わるなり席を窓に向けて寄せに行った人達がいて、そこからは僕達に目もくれずひたすらブツブツ何かを呟いている。
「あの、三人は?」
「彼等はガチ勢だ」
「急にくだけた言い回しになるのやめてもらって良いですか」
 学年カラーを見れば三年生もいるみたいなのに、どうして二年生が部長を務めているんだろう、と思っていたのが聞こえたみたいに答えてきた。
「ちょっと時期が悪い事に……、年に一度、深見市で御詠歌の大会があるんだが、それが五月の初めなんだ」
「大会……、あるんですか」
 やめておこうと思える最後のチャンスのような気もしたけど、
「我々は参加しない」
「え」
 あっさり取り逃がした。
「参加できない、と言った方が良い。年に一度、全国から、本気で修行を積み重ねた御詠歌に精通する全ての僧侶が、集まって来る」
 変わらず堂々と、話しているのにむしろ恐怖心が伝わってくる。
「寺どころか山全体の威信を掛け、日頃の成果を御披露する機会だ。一個人として出場する枠もあるが、もはや一般市民のレベルではなく、お寺の息子や御詠歌協会の娘達が、家に先祖に一族の期待を掛けられた上で、赴かされる」
 その三人、と知った上で改めて見ると鬼気迫る。
「学業にも気が乗らない、学校にも来たくないくらいのプレッシャーだろうが、家にだけ居続けるのもまた地獄だ。新入部員に声を掛ける余裕すら無いが、新入部員が来てくれるか、どんな人物かは気にしていて」

   チリーン

 三人が持っていた、鈴みたいな物が一斉に鳴った。
「歓迎の意は示している」
「いや。歓迎されてもちょっと、まだ色々と怖いんですけど……」
「え? ええぇぇぇえぇ?」
 こっちではまた何か騒がしい声がするし。
「どうした神南備。かなり良い声の伸び方をしたが」
「御詠歌一覧、見せてもらったんですけどこれだけ、ですかぁ?」
「これだけ、とは」
「大日如来のお歌は?」
「無い」
「弥勒菩薩のお歌は?」
「無い」
「虚空蔵菩薩は? 愛染明王は? 空也上人は?」
「残念ながらどれも、いや空也上人は確かあった気がするが、流派が異なる」
「そんなぁ……」
 分かりやすくガックリ落とした肩に、部長が手を乗せた。
「嘆く事は無い神南備。良く聞け。未だ誰も作っていない、というだけの話だ」
 聞くなりガバッっと跳ね起きて、メガネの奥の目を光らせる。
「という事は」
「左様」
 挿していた事に僕は気付いてなかった扇子を、胸から取り出しバッと開いて、
「無いのなら、自ら作ってしまえば良い!」
「御意!」
 神南備と、思い付くままにそれっぽいポーズを決めている。
「未踏の道こそ突き進め!」
「道端に、倒れようとも我が身の自由!」
 はっはっはっ、おっほっほっほっと二人並んで高笑いしているその一方では、ブツブツ声の合間に鈴の音がチリーンチリンと鳴っているし、初日の印象は控えめに言っても、カオスだ。
「なんか……、ものすっごく気が合ってませんかあの二人」
「のめり込みやすいタイプみたいね。それも周りに押し流されてじゃなく、自分の意志で」
 少し退いた感じで周りを見ている、幸さんの方が、僕は落ち着ける気がしたけど、きっと幸さんは僕じゃなくても、誰に対しても同じ話し方に笑い方を見せてくる気がした。

 お風呂上がりに仏間にいた、おじいちゃんの背中に訊いてみた。
「おじいちゃん、御詠歌って知ってる?」
「うにゃっ?」
 って思っていた以上に驚かれて、開いていた新聞を下ろして老眼鏡も外してくる。
「知っておるが。何でや」
「いや。ちょっと今日学校で、耳にしたって言うか……」
 驚いた様子に驚いて、濁していたら、おじいちゃんのクセで口の両端だけで笑ってくる。
「弓月も一個は知っておるで」
「え」
「『追弔ついちょう和讃わさん』よ」
「ああ」
 それで聴いた事があったんだ、ってその時は思った。
 この近所でお葬式があると、血の繋がりはなくても普段から顔に名前を知っているわけだし参列しているけど、お経の途中で確かにいつも歌が入ってくる。
 おばあちゃんは、いつもそれが聴こえる度に泣き出して、全員じゃないけど他に居合わせた人の泣き声も聴こえてきて、意味も良く分からない歌をただ聴いているだけでどうして泣けるんだろうって、僕は少し冷めた感じに見ていたけど。
「あれって偉いお坊さんじゃなきゃ、歌っちゃいけないものじゃないの?」
「いいやぁ。お坊さんに合わせて口くらいは動かしても、覚え切れる者なら何も葬式でなくても、毎日線香上げて拝む時に、声を張っても構わんでよ」
 本当に「歌う」って言い方使わないなって、聞きながら思っていた。あと、そうか。「張る」って声にも使うのかって。
「そうやなぁ。弓月が覚えてくれて、じいちゃんが、死んだ時にでも聞かせてくれたなら」
「やめてよそういう言い方するの」
 ふっへっへっておじいちゃんは、思わず息が漏れるみたいな笑い方をする。
「じいちゃんは本当のところどうでもええが、ばあちゃんは喜んでくれるでよ」
「ああ」
 そうだね、って口に出しながら、部長のやけに堂々とした「分からない」を思い出していた。
 自分でも、本当はやってみたいのかも、やりたくないのかも、おばあちゃんが喜んでくれたってその時はおじいちゃんが死んだ後で、おばあちゃんのそばにいてあげたり葬儀を手伝ったりする方が、よっぽど役に立つはずで、歌えなくたって困らないし、何の意味があるのか分からない。
 変な言い方だけど、妙に飲み込めた。さっぱり分からない、が、結構正しい。

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