聖書読書記録(37週目259日間)

2023年9月17日~9月23日
  マルコによる福音書1−1〜結びまで全部
  加えて巻末付録
  「新約聖書における旧約聖書からの引用個所一覧表」
  その中の「マルコによる福音書」部分も、
  対応させながら読む。

内容:
  四種の福音書の一つであり第二番目。

  異邦人たちへの布教のために書かれた文書みたいで、
  「マタイによる福音書」の内容を、
  ほとんどそのままなぞっているけれども、
  「山上の垂訓」は存在しないし、
  預言書からの引用もかなり少ない。

  「イザヤ書」からの引用が主だけどその中に、
  「マラキ書」「ダニエル書」「ゼカリヤ書」
  が混じっているのは、
  当時の民衆の耳や口に馴染んだ文句だったかな?
  

ざっくり感想(実にざっくり):
  選んだ12人が「使徒」と呼ばれるようになった。

  マタイの時から書いてはあったけど、
  彼らも行く先々でイエスいなくても、
  癒しの力とか使えちゃうんだよね。

  群衆が増えてイエスや使徒の行く先々に、
  しょっちゅう群がっているイメージ。

  イエスに癒しを求める人々の、
  名前や事情やその時の様子なんかも、
  ちょっとずつ詳しく書き込まれている。

  なんとなくだけど、
  おじいちゃんが何度も同じ話繰り返すうちに、
  自分が好きな所や強調したいポイントは、
  ちょっとずつ話が盛られて行く感じに似ている。

  マタイではそこまで強く意識しなかったけど、
  「外から人の体に入るものは、人を汚さない。
   人から出てくるものこそ、人を汚す」
  という文句は含蓄があるので記憶しておこう。

  12人以外にも癒しの力を持つ者の話が出てくる。
  使徒たちが自分たちに従わないからって、
  やめさせようとしたのを、
  「逆らわなきゃ味方だよ」ってイエス止めてる。
  このエピソードはわりと重要かもしれない。

  マタイにもあった、
  「ダビデの子についての問答」が、
  比較的軽くあしらわれてるな。
  異邦人向けだもんな。

だいぶ気になる変更点四つ:
  1、ユダの自殺が記載されていない。

  2、イエスの死を見届けた女性たちの中に、
    なぜかサロメがいる。なんで。

  3、イエスの復活を見届けた女性たちが正気を失い、
    見たものを誰にも何も伝えなかったって、
    明らかに意図的な印象操作がされている。

    結びの最後に()に入れて、
    「弟子たちに手短に伝えた」って、
    書き添えてあるけれども、その「手短に」も余計。

    ホントのところ女性たちが伝えまくったのを、
    男性ども序盤はまともに聞きやしなかったんじゃねぇの?

  4、それより復活したイエスの方からわざわざ、
    11人の使徒たちの食事中に現れて説教。
    マタイでは使徒たちの方からガリラヤに向かって、
    結構神々しいラストだったのにね。

  

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