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『はてしない物語』

振り返って思い返してみたら、
私の『人生を変えた一冊』は、
やっぱりこれになってしまうんだろうなぁ。

  ミヒャエル・エンデ作
  『はてしない物語』 1982年 岩波書店

映画『ネバーエンディングストーリー』の原作だけど、
映画も大好きである事前提であえて言わせてもらうけど、

  原作の50分の1も表現できていないから!

  しかしそれはそれで結構だから!
  映像化に挑んでくれた事自体が感動だから!
  あと完璧に映像化できれば良いってもんでもないから!

ちょうど主人公の少年バスチアンと、
同い年くらいの10歳辺りに図書館で見つけ、
借りたが最後丸一週間ドハマリして読み倒し、
大人になってから取り寄せて買いました。

この本だけは絶対にまさしくの『装丁買い』!
文中に書かれてある装丁そのままでなければならない!
この出版社様のこだわりも大好きポイント!


なるべくネタバレは慎みたいのだけども、
映画版は原作の半分までであって、

物語世界に引き込まれた少年バスチアンが、
後半は主人公になって物語世界を旅するんだけども、
実はバスチアン本人すらも気付いていない、
しかも本人にも制御できない時限装置付きで。

  一時期はもんのすごく嫌な奴になる。

  幸いの竜フッフールの声が割れるんだよ!
  泣いたよ私はあのシーンで!

主人公がもうこの先読みたくないってくらい、
絶望的に大嫌いになる話というものが、
10歳当時の私には衝撃で衝撃で、

(どんだけ嫌な奴かって例えば、
 「キスマイフット」って聞いた途端に私は思わず、
 「バスチアンか」ってツッコミを入れたくなってしまう。)

だけどそこまで来ちゃったらもう、
読むのをやめる事が出来ないの。
先が気になってしょうがないの。
そしてそこからが真骨頂。

  時限装置の存在に気付かされるその「場所」が、
  とんでもなく怖い。
  そこからはバスチアンを応援するしかなくなるほど。

『はてしない物語』には、
それこそ『はて』が無いのに、
『はて』を見つけて元の世界に、
つまり人間に戻らなきゃいけない。

  物語世界は行きっぱなしで良いものじゃなくて、
  実は戻る事が何よりも大事で、
  バスチアンは戻れるのか、
  『はて』はどこにあるんだってところが実は重要。

終盤の重要キャラである、
アイゥオーラおばさまと、
ミンロウドに暮らすヨルが大好き過ぎて、
あからさまに自分の小説の基底部分にも存在しています。

と言うよりこの本を読んでから、
日本語の語彙力と表現幅に圧倒されて、
小説を書きたいと強く思うようになったし、
作品世界に引き込む事よりもむしろ、
『戻る事』を重要に考えている。

序盤のバスチアンが、
読みたくないと言っていた部類の話だとは思うんだが、
なるべく「アクア・ヴィタエ」は内包させたい。


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