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『唱え奉る河内國春乃井学園御詠歌部』第16話

第1話(末尾に全16話分のリンクあり)
(文字数:約3900文字)


16 言わなくて いいような事も 書いておく

 僕は意外にも思わなかったんだけど、新発田は結構信心深くて、神様でも仏様でも構わないけど自分なりの「お祈り」を済ませるまでは、工具を手に取らないしハンドルを握らない。
 不充分な仕事は誰かに大損をさせるか、最悪命を奪うって叩き込まれている。
 だから毎回は来られないし、熱心でもねぇよって言いながら、顔を出せた日にはもらった資料をじっくり見ているし、晃を質問攻めにもしている。
「神南備。そろそろ良い?」
「うん」
 僕は神南備をまず家まで送り届けてから帰るようになった。
「大好き」
 靴の紐を結んでいる隣で、ささやかれたから、周りに人目が無い事を確認してから唇に軽くだけど、キスする。
「付き合ったって別にこれまでと、大して変わらないって思ってた」
 ってわざわざ言われてしまうくらいに、僕は、付き合うって決めたら「好き」とか「可愛い」とか、毎日しっかりと伝え続ける方だった。

 十一月の後半に幸さんは、一回だけ部室にやって来て、
「ごめんなさい。家業に専念する事になったから、部活はもう、続けていけなくて……」
 みんな事情は分かっていたから笑顔でうなずいた。ちょうど仕事で来られなかった日で、新発田は噂の美人に会えなくなった事を悔しがっていたけど、知らないなら知らないままでいた方が良いような事もあるよなって、僕は思った。
「さすがにちょっと、さみしいです。僕、幸さんに声掛けられて入部したから」
 笑いかけたら幸さんは、
「え?」
 って本当に不思議そうな様子で返してきた。
「ごめんなさい。あの頃私色んな一年に声掛けてたから……。みくりちゃんと同じクラスだし仲良いから、初めから二人で来たみたいに思い込んでた」
 いや、そんなはずないって、口から出そうになったけど、
「姉さん」
 声を掛けてきた晃を振り向いて、
「今まで、手伝ってくれてありがとう。もう、大丈夫だから」
「うん」
 うなずいてみんなに見せてきた笑顔は、心からみたいに幸せそうで、納得なんかしていなかったけど部室を離れて行く幸さんを、呼び止める気にもなれなかった。
「忘れたわけじゃない」
 晃は電車の中で言ってきた。
 神南備を家まで送り届けてから、駅に着くと晃と帰りの電車が同じになる機会が増えた。晃は今深見駅近くの、お父さんの昔からの知り合いの家に下宿している。
「ウツワに定められてしまうと、迷っていた当時の感覚を身に甦らせる事が難しくなる。私は去年の一年で済んだが、姉は一生だろう」
 扉辺りの吊り革を掴んで横並びで、暗くて何も見えない窓の外を見ている。
「私も生まれた時から一貫して、弟だったように言われている。現に今、弟だから逆らいようがない」
 晃は微笑みながら言うけど、僕からはため息が出た。
「良かったのか悪かったのか分からないねそれって」
「夫になる人や、生まれてくる自分の子供には全力だ」
 それを聞いたら僕も、どうしようもない感じに笑っちゃって、
「何だ。じゃあずっとやってもらってた事だ」
「ああ。敵うわけがない」
 晃の微笑みもだから、どうしようもなかったんだなって気が付いた。

 深見駅で下りて、乗り換えホームに向かおうとした腕を、
「張山。悪いがちょっと相談がある」
 って掴まれた。
「いやさっきの電車の中で言って。僕ここで乗り換え」
「それほど時間は取らせない。今の下宿先がつまり、御詠歌協会の関係者なんだが、マガキくんの話が出て今後は顔を合わせる機会もありそうだ。どう声を掛け何の話をして良いかが分からない」
 知らないよ僕だってマガキさんの事は後ろ姿しか覚えてない、って返しそうになったけどふっと思い付いて言ってみた。
「まず『くん付け』で呼ぶのやめたら?」
「ん?」
「男でも女でも、年下から『くん』で呼ばれるとイラッてする人結構多いよ?」
「そうなのか? 今までそこを言われた事がなかったんだが……」
「そういう『キャラ』なんだなって許されてただけだよ今まで。あと敬語も多分もうちょっと足した方が良いし」
 あんまり気を遣い過ぎても晃らしさがなくなるかな、って思いかけたけど、晃らしさって、敬語程度のものじゃないよなって思い直した。

 家の最寄りの無人駅を出たらもう暗くて、懐中電灯で照らした道を歩きながら考えていたけど、もしかしたら、
 今は全く違う所にいて、そっちを望んでいるわけでもないからこれは、言わなくていいような話だけど、

「勇気が無いわけじゃないんです」
 って口にしていたら幸さんは、
「え?」
 って振り返ってくれたのかもしれない。
「療養してて僕、一年遅れで、後輩ですけど同い年です」
 初めに声を掛けられた時に、僕が僕の事をそのままで話せていたら、
「だから普通って、どんな感じなのかまだ分からなくて……、普通に合わせるのも何か違う気がするし、普通、じゃなくても構わない、そこにいて全然平気みたいな所があったらいいなって、思ってるんですけど……」
 それを聞いても幸さんは、きっと御詠歌部に連れて行ってくれただろうけど、その場合の僕は、
「禅問答?」
 って多分思った時に口にしていた。
「部長なんだからせめてもうちょっとくらいは、ヒントとかくれない?」
 って幸さんが言ってくれるより先に、先輩だけど同い年だと思ってタメ口で。
「ほら。言われたわよ」
 って幸さんは部長に笑ってみせただけで、
「弓月くん、今どこから通っているの?」
 って質問にもその場合の僕は、
「かまど山です」
 って返していた。
「では、古和を知っているのかな?」
「知っているも何も、そこですよ僕の家」
 その会話も初日に、顔を合わせた時点でやっていて、
「常眼寺の笹森住職と言えば、当代切っての御詠歌の名手じゃないか!」
 そこには僕は、そこまで驚いたりしなかったかもしれない。まだ御詠歌が何なのかも分かっていない時だったから。
「電車で一時間、なら『かまど山』から通っているのか?」
「うん」
 足助とは僕、今みたいに仲良くなれていなかったかもしれない。
「バイト先はかまど山の近くの伝承館なんだが」
「ああ僕、歴史とか全く興味無いから」
 神南備も僕達の会話に口を出せる機会が減っていた。
「新発田のとこ二輪扱ってる?」
 先に新発田達の方に声を掛けていたかもしれない。
「張山バイク興味あるの?」
「普通に乗る必要がありそうなんだよ。今かまど山に住んでるから」
「すげぇ。ツーリングやり放題だ」
 神南備との距離は今よりも空いていて、
「弓月くん。今日も、お願い出来る?」
 幸さんとの距離は、二十分の間に今よりも詰め切れていたのかもしれない。
 多分、鬼神楽の話に幸さんの悩みも、もっと早いうちに僕だけ先に聞かされていて、そっちの話に気持ちを持って行かれて合宿の頃には、神南備は晃を選んでいて、
 寿命を削る事を承知で鬼神楽は、それでも晃が継いでいたのかもしれない。

 今は僕は、ここにいるから、とても考え切れないって初めからこれが正解だったみたいに、思えているけど、
 何も、決まってなんかいなかった。僕が、口にした事しなかった事、やってみた事にやらなかった事で、今の僕が出来上がっていて、もしかしたら今ここにはいない事だって、有り得た。
 僕は信じているんだけど、人生なんて、これっぽっちも平等じゃない。
 普通なんか無いし、正解なんか無い。運命なんて有り得ない。僕は今ここにいる今までの、全部でしかない。
「ただいま」
 家に帰ると僕はまず、仏間に行って、大抵部屋の隅でおじいちゃんが新聞を広げたまま、
「ん」
 とか返してくる。
 仏壇の前に座って線香を、二本でも四本でもなく、三本取って、火を付けて灰の中に挿して手を合わせながら僕は、今ここにはいなくなったはずの僕に話しかける。
「唱え奉る相互供養の御詠歌にー」

 いなくなったはずの僕がそばにいる。

   一樹の陰の雨宿り

 いなくなったはずの僕と生きて行く。

   一河の流れ汲む人も

 いなくなったはずの僕を、感じ取れるのは今の僕だけだから、手を合わせ切れる人なんてこの世には、今の僕しかいない。

   深きえにしのりの道……

 ありがとう、って聴こえる時がある。ありがとう。あの日に立ち上がってくれて。
 あの時諦めないで、歩き出してくれて、ありがとう。
 いなくなったはずの僕まで含めて、僕の中の黒い部分に、歪んだ部分に、僕にもワケが分からないようなぐっちゃぐちゃに壊れかけた部分まで、全部を肯定し切れる人間は、
 たとえどんなに難しくても、「不可能ではない」って言い切れる人間は、ただ僕一人しかいないんだって、
 分かっちゃった事を僕は、悲しいとは思わない。逆にみんなはなかなかそこに気付けないから、悲しくなってしまう気がする。本当は自分にしか出来ないはずの事を、他人に求めてしまうから。
 他人は与え切れるはずがないのに、そんなのは間違いみたいに思わされているから。

   受けて輝く嬉しさに……

 あ。ここから先の歌詞出て来ないや、って気が付いて、
「この先忘れちゃった」
 顔を向けた先でおじいちゃんは、広げた夕刊を下ろして老眼鏡もズレたまま、僕を見ていて、
「いきなり歌い出すで何事か思うたでよ」
 って明らかに引いちゃってて、
 普段お大師様唱えてて、僕が御詠歌部にいる事も知っているおじいちゃんでも、間近で唱え出されたらこんな反応なんだって、どうしようもないなって僕は、ちょっと笑った。

                                了

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