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声の示すもの(海野紀恵さんのお話①)

『わからないことを、わからないままにしておこうって思えるようになったんですよ』

なにかの会話の流れの中でふわっと何気なく。
涼やかな、そして少し晴れやかな
あいかわらずの美しい声で、目の前の方はそうおっしゃいました。

海野紀恵さん(以下、紀恵さん)はずっと放送局でアナウンサーをされていました。いまはフリーランスとして独立されていますが、実家のお寺を継ぐべく在職中に得度され、世界初の「尼ウンサー」となりました。現在は放送局は退社され、フリーランスでのアナウンサー、ライター、そしてご実家のお寺のお坊さんという3足の草鞋を履かれているスーパー忙しいお姉さんです。

ちなみに退社の際は、地方局のアナウンサーとしてはこれまた世界初かもしれないネットニュースに取り上げられたことも話題を呼びました。


放送局にいらした頃は、テレビ番組だけでなくラジオ番組を担当されることが多く、耳心地の良いお声から語られるナレーション、朗読、ニュース読み、フリートークはどれも定評がありました。(もちろん今もですが)

リスナーや取材先の方に寄り添った優しく温かい語り口、そうかと思えば、ごくたまに発せられる女王様のようなSっ気発言に、私たちリスナーはおおいに翻弄させられたものでした。

私のような、紀恵さんよりも年上の世代からは「小柄な可愛い美人ちゃん」として、また若い世代からは「姉御/姐さん」として慕われています。

テキパキとクールになんでもこなすビシッとしたキャリアウーマン、そして穏やかだけど芯のある紀恵さん。
リスナーや視聴者から熱い信頼を寄せられていて、困ったことや悩み事があったらこの人に話を聞いて欲しい、と思える存在です。
私も、何度となく番組に(と言うよりももはや紀恵さんあてに)メールを送って、一方的に話を聞いてもらっていたものでした。

そんな紀恵さんが長く勤めていた放送局を退社されると聞いた時、「ああ…やっぱりな」が9割、「なんで?」が1割入り混じった、とても複雑な感情になったのを覚えています。

「やっぱりな」と思ったのは、ここ1年くらいのなんとなくの雰囲気です。これと言った決め手も根拠もないのですが、ラジオから聴こえる紀恵さんの声や話が、なんとなくふっきれた?というかさっぱりした?というか、そういったものを感じたからです。

「なんで?」と感じたのは、その時に紀恵さんが置かれていたポジションから、です。

紀恵さんの所属されていた放送局のアナウンサー陣は、入社1~5年くらいの新人若手チームと、20年以上のベテラン陣と、大きく2つに分かれていて、紀恵さんはそのちょうど中間にいらっしゃいました。
一般的にはそういったポジションにいると、新人若手を指導しつつ、自分自身も次のリーダーを担うポジションにある者として、この組織をどの方向に動かすのかを考え、上の人から会社の方針を受け継ぎつつも自分の考えを持って主体的に動かなければならない。
組織に属していれば、これからこの組織の中で自分はどう動くべきなのか、どう動かすべきなのかを常に考える必要がある、一般的にはそのような位置にいる世代でもあります。

そんな、次世代を担う重要なポジションにいるなか退社を決められたということは、きっと電波には乗せられない「腹に据えかねたもの」、表には出せない本当の理由があるはず…。

「僧侶としての活動の幅を広げたい」というのが公式な理由であることに間違いはないと思いますが、レギュラー番組も複数抱えていた中、退社に至った本当のひと押しは何だったのか…。

自分のやりたいこと、話したいことが、属している組織という縛りがあるとできなくなるからなのか。
はたまた、バブルの名残のあるオラオラ上司に愛想をつかしたのか、同僚の女子アナにリアルに辟易したのか、いわゆるZ世代の後輩の扱いがわからなくなったのか…。

元来、野次馬気質でゴシップネタも大好きな下衆な私は、すぐにいろいろ勘ぐりました。

表に出せないのであれば、個人的にでもいいからタテマエではない紀恵さんの「本心」を知りたい。紀恵さんの「いまの本当の気持ち」を知りたく、その旨をお伝えしたところ、こちらからのお願いをお受けいただき、お忙しい中紀恵さんにお話を伺うことができました。

冒頭の一言は、そんな紀恵さんとお会いして数分、何気ない会話の最中に発せられたものです。

『わからないことを、わからないままにしておこうって思えるようになったんですよ』

実は私は、紀恵さんが放送局に在職中から何度か対面でお話を伺う機会があったのですが、その時の印象にはない、かなり意外な言葉だったので
思わず息を飲みました。

わからないことをわからないままにしておく、というのは
普通のことのようでいて、実は難しいものです。

いまはわからなくても、いつかはわかるかもしれない。そのままずっとわからないかもしれない。

それをそのまま余白として持って抱えたままにするというのは、何かがわかった時、ピンと来た時の逆でもあるので、ある種のストレスにもなります。

わからないを知る、わからないということを自覚する、しばらくモヤモヤを抱えたままにしておくことは、今の自分に足りないことを認めるようで、それはとても勇気の必要なことだとも私は思っています。

放送局に勤めていたころの紀恵さんも、今と変わらずとても気さくで優しく温かい方でした。

ただ、ご自分が「違う」と感じたことにはスパッと切り込んでいく、間違っていると思うことはご自分が正しいと感じられるところまで絶対に食らいつく、そんな印象もありました。

本が好き、読書がお好きで、とても博識な紀恵さん。ご自分の中にしっかりとした芯があって
そんなご自分の確固たる信念と、そうでないものに対して、闘っている(と感じられた)姿もあったと
テレビで拝見したりラジオを通じて聴いたりもしていました。
(実際番組のコーナー内で後輩の方を公開でリアルお説教することもしばしば(笑)。先輩や年上の方に対しても、屈せずまあまあしっかりめの苦言を呈される姿もありました。)

だから、「わからないことをわからないままにしておく」という発言からはかけ離れたところにいると思っていたのです。

今回、私が話を伺いたかったのも、(言い方が悪いのは百も承知ですが)きっと…ご自身としては不本意ながらも退職せざるを得ないのではないかと予想したからです。
つまり、やり残したこと、本来であればやり遂げたかったことがあったのではないか…と。正直な紀恵さんなら、率直に伺ったらそのあたりのことをぶちまけてくれるかもしれない。

もしそうなったら、いまから聴く話は表にはどこにも出さずに、秘したまま墓場まで運ばなければ、とカクゴしてお話を聞いていた矢先の発言でした。

『わからないことを、わからないままにしておこうって思えるようになったんですよ』

あ、紀恵さんが変わった。

ひとくちに「柔らかくなった」とは違う
いままでとはちょっと違うところに居る
そんな感じが、声から、空気から、一瞬で伝わりました。

私は、1番聴きたかったことを切り込みました。

「あの放送局に…未練みたいなものは無いんですか?例えばやり残したこととか。紀恵さん、朗読とかにもすごくチカラを入れられてたじゃないですか。わたし紀恵さんの朗読もすごく好きです。でも今はもう番組もコーナーも皆無で、局内で引き継がれる方もいらっしゃらない感じですよね。それに後輩さんの指導とかも。番組とかでもサポートされてて多分私たちの知らないところでも指導されてたと思いますけど、そういうのを引き継ぐ人って今いないじゃないですか。自分が辞めたあとそれがどうなるのかも気になりませんか?自分の温めていたことをほかの人がしれっと奪い取ってやったりとかしたりするのってムカつきませんか?」と聞くと

「それがですね。」と紀恵さん。

この空気、この前置き、この声。
来るぞ、来る来る。これは確実に真実を話してくれる…。大丈夫です。受け止めます。わかります。吐き出してください。どうぞ。
グッと私の体に力が入りました。

「未練、無いんですよね。自分でも不思議なくらい。」

あ…これは、本当に思い残すことがないな…。

目の前にいる紀恵さんの「声」を聴いて、
言葉が、声が、文字通り私の「腑」に落ちていきました。

そもそも、今回のインタビュー(…というか、もはやそれは「いちオタク(私)が大好きな推し(紀恵さん)に会う会」でしたが、)は本当はメールのやり取りで行うつもりでした。
ご時世問題もありますし、何よりも私の個人的な興味でお時間を割いていただくのが申し訳なさすぎるので、メールでお聴きして、私の個人的な備忘録のひとつとして留めておかなければ、と思っていました。

それが紀恵さんの方から「できればお会いしてお話したいです」と言われたので、私は何度も自分の耳と目と脳を疑ったものでした。

「ちゃんとお会いして、『声』で伝えたいんです」

「声って、その時の空気とか、言い方とか、声色とか、音程的な高低とか、速さとか、いろいろな情報が含まれていて、それってやっぱり文字だけでは伝わらない…伝えきれないっていうことをより一層感じる様になったんです。だから、可能であればお会いしてお話したいです」

そんな風におっしゃって、時間を作って会ってくださった、目の前にいる紀恵さんの「声」。

だから、聴いてすぐに理解できました。
これは紀恵さんの思っている本当の想いだ、と。

紀恵さんは、後悔していない。
というか、もうすでに新しい世界に飛び込んでいる。前を見ている。

紀恵さんが進化している

と、はっきりと感じた瞬間でした。(続く)

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