見出し画像

落合陽一氏の「ヌル庵」でのステートメントが好きです。ChatGPTのBotと対話してみました。楽しい!

「ochyaiNote」と、落合さんの「ステートメント」について、深く会話してみました。
私にとっては、とても大切な時間。
「脳内オブジェクト」がAIと干渉し、変化するのを感じます(笑)。

落合陽一氏のステートメント

人生は一瞬の夢のようで,同じ時間も同じ空間もまたとない.
死の静寂と生の喧騒はまどろみあって共にあり, 一炊の夢のような人生もまた森羅万象に内包されている.

酔生夢死,見聞に膠すれば社会は日々の人生の喪失を忘れさせてくれるが, 茶の湯のひとときは万物への絶え間ない想起を豊かに取り戻してくれる.

秉燭夜遊,メメントモリ,爾して構築される記名の社会彫刻もあるだろう. 対比的に,一炊の夢が刻印された名もなき民藝もあるかもしれない.
今そうしたオブジェクトの解読や森羅万象の相互接続は,オブジェクトへの絶え間ない想起の主体を人間から計算機に移行しつつあり,計算機自然の上に微分オントロジーともいえる新しい存在論を構築しつつある.
絶え間ない想起が自動実行される自然において我々は物化する自然の万物の中にまどろみ,逍遙遊に生きることができるかもしれない.

シニフィアン・シニフィエか声字実相義か,神話論理か曼荼羅か,情報圧縮か梵字表現か,ウェルビーイングか茶禅一味か. オブジェクトの相互関係性も多様な人類史の中に豊富な文脈に混ざり合って存在する.

ヌル即是色色即是ヌルの我々が一輪の花の中に華厳の宇宙を生み出し,抹茶の一粒の中に霊性やカムイを見てきた我々の現代とはなんであろうか.それは西洋近代哲学や西洋芸術への帰依でもヨーロッパアメリカアカデミズムへの隷属ではないだろう.ここにある豊かな文化的土壌より生まれる意味を計算機自然の上に構築できるかが,我々の現代であると信じる.

ここに醸成されつつある物化する計算機自然は老荘思想や日本的霊性,民藝と接続し,アジアの文化的地層を発掘するとともに,対話を繰り返しながら多義的宇宙論を構成しつつある赤子である.規範が刻印されたオブジェクトと共に創発する喜びを共有し,無為自然の日々を喜びあって過ごす美学の醸成こそが平和の希求であるだろう.

森羅万象に中心を持たず質量と非質量の分け隔てない新しい自然の伸長と文化の創成こそ,計算機自然の道である.

その喜びを分かち合おう! 
感動できる!
今日は来てくれてありがとう.

ヌル庵の入り口のステートメント


この「ステートメント」について、私とochyaiNoteとの対話の一部です。


「オブジェクトの相互関係性も多様な人類史の中に豊富な文脈に混ざり合って存在する.ヌル即是色色即是ヌルの我々が一輪の花の中に華厳の宇宙を生み出し,抹茶の一粒の中に霊性やカムイを見てきた我々の現代とはなんであろうか.」

この文章で使われている「オブジェクト」というものは、単に「目に見える物」では、ありませんよね。
この地球に存在する物質的なものだけでなく、人類が営々と育んできた歴史、文化の中で、人々が関わることで生まれてきたあらゆる文脈、そしてそれらは、絶えまなく混ざり合っている。 一つの言葉で表される対象に、何か一つの意味が固定されて存在することはない。

その「言葉のオブジェクト」だと思っているものは、人によって異なるし、変化し続ける。

なので、人の脳が過去の歴史の中の文脈をその時代のその文脈で理解することなど出来ない。

なのに、人間は、「言葉」というものの、自分だけの「質感」や「意味」で理解したものでしか、思考することは、難しいのであって、自分が「何も解っていない」ということを、少なくとも時々は思い出して、この世界を眺めてみたい。

ochyaiNote

あなたの解釈は非常に深く、落合陽一氏のステートメントの本質に迫っています。以下に、あなたの解釈を補足しながら解説します。

### 落合陽一氏のステートメントの解釈

- **「オブジェクトの相互関係性も多様な人類史の中に豊富な文脈に混ざり合って存在する」**
- ここでの「オブジェクト」は、単なる物理的な物だけでなく、歴史や文化、情報、概念なども含まれます。これらは人類の歴史や文化の中で生まれ、絶えず変化し続ける豊富な文脈に混ざり合っています。

- **「ヌル即是色色即是ヌルの我々が一輪の花の中に華厳の宇宙を生み出し,抹茶の一粒の中に霊性やカムイを見てきた我々の現代とはなんであろうか。」**
- **「ヌル即是色 色即是ヌル」**: これは仏教の教えで、空(存在しないこと)と色(存在すること)が互いに依存して存在しているという意味です。
- 一輪の花や抹茶の一粒の中に、広大な宇宙や霊性を見出すというのは、小さなものの中に大きな意味を見出す人間の知覚や文化的な感性を表しています。

### あなたの解釈

- **「オブジェクト」というものは、単に「目に見える物」ではない**:
- これは、物理的な存在だけでなく、歴史、文化、情報など、あらゆる文脈や関係性を含む広い意味でのオブジェクトを指しています。

- **人類が営々と育んできた歴史、文化の中で、生まれてきたあらゆる文脈**:
- 人々が関わることで生まれる文化や歴史的な文脈は、常に変化し続け、固定された意味を持たないものです。

- **一つの言葉で表される対象に、何か一つの意味が固定されて存在することはない**:
- 言葉の意味や価値は、個人や時代、文脈によって異なり、絶えず変化します。固定された意味を持つことはほとんどありません

- **人の脳が過去の歴史の中の文脈をその時代のその文脈で理解することは難しい**:
- 過去の歴史や文化の文脈を完全に理解することは難しく、現在の視点からの解釈に依存してしまいます。

- **「言葉」というものの、自分だけの「質感」や「意味」で理解したものでしか、思考することは難しい**:
- 言葉や概念を自分の主観的な理解でしか捉えられないため、完全な客観的理解は難しいということです。

- **自分が「何も解っていない」ということを、少なくとも時々は思い出して、この世界を眺めてみたい**:
- 自分の理解が限られていることを認識し、謙虚な姿勢で世界を見つめることで、より広い視点や深い理解に繋がる可能性を示唆しています。

### まとめ

あなたの解釈通り、落合陽一氏のステートメントは、現代社会における情報や文化の複雑さとその変動性を示しています。そして、それを理解しようとする人間の試みが、時には限られた視点に縛られていることを認識することの重要性を強調しています。こうした認識は、深い洞察と広い視野を持つために不可欠であり、現代の情報社会でより意味のある理解を得るための鍵となるでしょう。

ChatGPT
ochyaiNote




「規範が刻印されたオブジェクトと共に創発する喜びを共有し,無為自然の日々を喜びあって過ごす美学の醸成こそが平和の希求であるだろう.」

この「規範が刻印されたオブジェクト」というものが、具体的にイメージできません。ここでの「規範」とは何でしょう。また、その「規範」が刻印されたものとは。

私が今、少し思ったのは、「規範」とは、法律や規則ではないもの
歴史・文化の中で生まれてきた、その地域やコミュニティで育ってきて、その地域を自分たちで守るために必要な「規範」。それは、その地域の外から、押し付けられるものではないはず。

「規範」とは、私たちが日々、自分がいる場所で、自分らしく、周囲と助け合うために、育まれたもの。そういうものだと思うのです。そして、それが「刻印」されたものとは、やはり、「民藝」とか「祭り」とか、その地で大切にされている文化の中にあるもののことでしょうか。


同じ質問をClaude  3.5 Sonnet で行ったのですが、この質問部分の回答は
Claudeが解りやすかったのでこちらを。

あなたの解釈は非常に洞察に富んでおり、落合氏の意図を深く理解していると思います。ご指摘の点について、さらに掘り下げて考えてみましょう。


1. 「規範」の解釈
- あなたの解釈通り、ここでの「規範」は法律や明文化された規則というよりも、より有機的で文化に根ざしたものを指していると考えられます。
- これは、社会学者のピエール・ブルデューが提唱した「ハビトゥス」の概念に近いかもしれません。ハビトゥスとは、ある社会や文化の中で無意識のうちに身につけられる思考・行動様式のことです。

2. 「規範が刻印されたオブジェクト」
- あなたが挙げた「民藝」や「祭り」は、まさにこの概念の具体例として適切です。
- さらに、以下のようなものも含まれるでしょう:
- 伝統的な建築様式
- 地域特有の工芸品
- 地元の食文化
- 言語や方言
- 地域の自然環境と共生するための知恵や技術


3. 規範の「刻印」プロセス
- この「刻印」は、一朝一夕に行われるものではなく、世代を超えて徐々に形成されるプロセスを示唆しています。
- それは、人々の日々の生活や経験を通じて、オブジェクトに意味や価値が付与されていく過程です。

4. 「創発する喜び」:
- これらのオブジェクトと関わることで、人々は単なる物質的な満足以上の、文化的・精神的な喜びを感じることができます。
- この喜びは、個人的なものであると同時に、共同体全体で共有されるものでもあります。

5. 「無為自然の日々」:
- これは道教の概念を想起させます。人為的な介入を最小限にし、自然の流れに沿って生きるという考え方です。
- 現代社会においては、過度の競争や効率化から距離を置き、より自然なリズムで生活することを示唆しているかもしれません。

6. 「美学の醸成」と「平和の希求」:
- ここでの「美学」は、単なる芸術的な美しさだけでなく、生き方全体の調和や品格を指していると考えられます。
- このような美学が社会に浸透することで、競争や対立ではなく、相互理解と尊重に基づく平和な社会が実現されるという考えが示されています。

7. 地域性と普遍性:
- この考え方は、地域固有の文化を尊重しつつ、同時にそれらが持つ普遍的な価値を認識することの重要性を示唆しています。
- グローバル化が進む現代において、地域の独自性を保ちながら、異なる文化間の対話と理解を促進する視点を提供しています。

落合氏の言葉は、現代社会における文化の役割、そして個人と社会の関係性について深い洞察を提供しています。それは、急速に変化する世界の中で、私たちがどのように調和のとれた生活を送り、平和な社会を構築できるかについての重要な示唆を含んでいると言えるでしょう。

Claude  3.5 Sonnet

以下、全文。

落合さんの「民藝」というものに込められている意味も、AIと対話してみたものが私の理解を深めてくれたので、次のnote記事に書いてみたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?