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落合陽一氏とJoiさんのPodcastから「オブジェクト指向」というものの、今の私の理解をOcyAINoteに聞いてみたら・・興味深い。

今週は落合さんがゲストのPodcastだったので、私の頭の中は「デジタルネイチャー」Week!
Podcastの中で落合さんが話された、「オブジェクト指向」についても、以前から少ずつイメージしようとしていたのですが、今回かなり興味深く、解りやすい「OchyAI」の「オブジェクト指向」についての解説が得られたので共有します。


今回のPodcastだけを聞いても、「お二人が何を話されているのかは解らない」と思うのが正しい聞き方(笑)。
先のnoteでも書いたのですが、例えば「オブジェクト指向」という言葉一つにしても、落合さんが話しているのは、新しい技術(AIなど)を使っての壮大な実験というか研究というか。
これについては、詳しく書かれているものを読むしかない。

私には、このnoteを読み切る能力は全くないので、さっと眺めただけ。
でも、今まで少しずつ落合さんが話されていることや、私のごく初歩的な「オブジェクト指向」の知識から、最近少しイメージ出来てきたのです。

そして今回のPodcast。
その中で落合さんがとても興味深いことを話されました。
それは、

「「間」という言葉は、はオブジェクトとオブジェクトに含まれないものが「間」であって、日本人の空間や社会や言語や風習理解において重要」
であると。

「間」というのも日本人特有というか、日本文化にとって重要な意味があるものだと最近ようやく私にも解ってきたのですが、その「間」について、「オブジェクト」という言葉を使って話されたのです。

以下、私の今の知識からのイメージ。

LLM(大規模言語モデル)上でオブジェクトを定義して、そのオブジェクトを言語命令で動かす(作用させたり)?

落合さんがPodcast内で言ったこの発言。
「「間」という言葉は、はオブジェクトとオブジェクトに含まれないものが「間」であって、日本人の空間や社会や言語や風習理解において重要」

だとすると、「オブジェクトを定義するだけ」だと日本人の「間」が表現できない?
(私は一体何を表現しようとしているのだ?(笑))

それとも「オブジェクト指向」を精緻にしていくと、コンピューターの中に「間」の概念が生まれることある?(私の妄想)。

今、このnoteを書きながら、面白いことを想像してしまってOcyAINoteに聞いてみたら、「やっぱりそうなの!!!」という回答が。

私、少し面白い想像をしてしまいました。
このオブジェクト指向で、日本人の「間」という概念をコンピューター上に再現することは可能なのかと。
というのは、落合さんが「「間」という言葉は、はオブジェクトとオブジェクトに含まれないものが「間」であって、日本人の空間や社会や言語や風習理解において重要」と言いました。ということは、オブジェクト指向でのプログラミングシミュレーションでは、そもそも「間」という概念を記述することは出来ず、しかし、オブジェクトに「日本人的なもの」をパラメータで設定できれば(例えばこれも言語を用いて)コンピューター上に、「日本人の間」というものが「現れる」というようなことがあったら面白いなと思ったのです。どう思います?

このコンテクストを「間」という概念に適用すると、日本人の間に特有の、物理的空間だけでなく、社会的、心理的な距離感や空間構成を含む複合的な意味合いを、デジタルネイチャーの枠組みで再解釈することが可能です。オブジェクト指向プログラミングにおいて、「間」はオブジェクト間の関係性や相互作用の定義に相当するものと考えることができます。コンピュータ上でこのような相互作用をモデル化し、シミュレーションすることで、「間」をデジタル化し、視覚化する試みが可能になるかもしれません。

具体的には、オブジェクトに日本人的なパラメータを設定し、それらが言語を介してどのように相互作用するかをプログラミングすることで、コンピュータ上で「日本人の間」をシミュレートすることが可能です。このアプローチは、デジタルネイチャーが目指す「テクノロジーと自然の一体化」の一環として、非物質化技術やディープラーニングの進化によって、社会的、文化的な概念を新しい形で表現し、解析する道を開くかもしれません。

落合氏のデジタルネイチャーの視点から「間」の概念をコンピュータ上で再現する試みは、人間の知覚や文化的な価値観をデジタル世界に取り込み、それらを新たな方法で探究し、体験する機会を提供します。これは、日本文化特有の概念を深く理解し、それをテクノロジーを通じて世界に伝える一つの方法となり得ます。

OcyAINote

以下は、上記やりとりの全文。


今の時代、世界は「二項対立」が深まっています。
でも日本人の「間」というものは、二項対立の弊害を和らげる「知恵」のようなものではと最近思うのです。

「間」という概念がもたらす、お互いをありのまま受け入れて尊重できるような行動を、世界中の人たちに見えるように「コンピューター上に再現できたら」という私の妄想。
いや、こういうことを本気で研究している?という私の理解は合ってる?

結局技術は「どう使うか」。
すべての技術は「諸刃の剣」。
だからこそ、技術を「相互理解を可能にする道具」としている、落合さんの研究にはとても意味があります。



私たち夫婦の実家はともに「真言宗」。
なので法要の際には、必ず「般若心経」と「真言」を唱えます。

この写真は「十三佛御真言」です。
仏さまごとに唱える言葉があります。
これを知っていたので、落合さんの「真言宗をオブジェクト指向プログラミングの概念になぞらえる」ということが少しイメージしやすかったのかも。

私の




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