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「デジタルネイチャー」は「自由への扉」の哲学だと思った。

落合さんも6月が調子いいんですか?

私の誕生月の6月は、花粉症の季節が終わり、真夏の暑さになる手前。
紫陽花の花が咲き始めると、なんだかホットする。

湿度も上がってくる今の時期、私の体調への負担が軽い時期なのかもしれない。

来年で「デジタルネイチャー研」が10周年とのこと。
AIが急速に進化する中、落合さんも「デジタルネイチャーの哲学」について、「まとめ」の時期に入ったようです。
次々とnote、本が出てきてます。

私が「デジタルネイチャー」の本を初めて読んだのは多分3年ほど前だと。
落合さんの研究のことが知りたくて、「そうだ、本読めばいいんだ!」と思って興味深く読んだ記憶はあるものの、内容はさっぱり覚えていませんでした。

でも昨年の11月に落合さんが「ochyaiNote」というChatGPTのBotを「note記事」で提供してくれました。

そのおかげで、私もずっと気になっていた「デジタルネイチャーの哲学とは何?」ということの、自分なりの「問い」を「ochyaiNote」に答えてもらえるという、「還暦過ぎオバサン」にとっては夢のような体験が出来るようになったのです!

落合さんがXでのポストでつぶやいているのを見ては、浮かんできた「問い」を「ochyaiNote」に聞いてみる。
そしてその内容をnoteに書いてみる。
そんなことを繰り返して半年以上。
私の中の「デジタルネイチャー」のイメージも大きく膨らんできています。

そして落合さんのnoteや本の発言も、かなり表現が明確になってきました。



還暦過ぎの私の人生で初めて「これからの世界はどうなるのだろう」と思ったのは、DNA編集が出来るということを知った時だと思います。

自然の中で長い年月をかけて変化するDNAが、人の手で簡単に操作出来てしまうことを知ったとき、この世界の自然のバランスがどうなっていくのだろうと思いました。

でもコンピュータが加速度的にこれからも進化する世界では、計算機と自然が相互に干渉し、そのサイクルも加速度的になるということ。

ここまでのイメージだと不安になりますよね。

でも落合さんの「デジタルネイチャーの哲学」は、そのような世界を生きるための哲学だと解りました。

それには「コペルニクス的転回」が必要なものの、私にとってはそれは「自由への扉」のようにも思えてきました。
そして有難いことに、私たちが住んでいる日本の風土と歴史の中の哲学に、これからを生きるための哲学があるのです。

「デジタルネイチャーの思想」が東洋哲学と結びついてると。


この本でも、明治時代に「近代西洋哲学」が入ってきてから(西洋が自分たちの考えを押しつけていったと)、日本人にそれまでには無かった「人間中心のこの世界の見方」というものに、明治のインテリの一部の人たちは悩まされるようになります。

でもこの本の対談でお二人は、それ以前に日本にあった「東洋哲学」の中で生きていた人たちに戻ればいいと。
ほんの150年前に戻ればいいだけ、日本人の場合は。

西洋の人たちは、その点大変です。
長い年月培ってきた「アイデンティティ・クライシス」が起きているし、深刻だと。

日本人はそれ(近代西洋哲学)を輸入して「悩むのが偉い」と思ってきたので、これからは悩みから解放される時代になるのかもしれない。
「自由」に「必要」とか「悩み」が不可分のものとしてくっついていたのを切り離せるチャンスかも。

暦本純一


技術の進化を止めることは出来ません。
「デジタルネイチャー」とは、この世界(宇宙)と一体になって変化していく「物理現象」だから。(今の私の解釈)

だからこそ、そんな世界を生きるため、技術を少しでも私たちが生きるために「都合の良い自然を有難く」利用するためには、「コペルニクス的転回」で私たちの「歴史と文化」をもう一度よく理解したいと思うようになりました。

私は、これからの世界を「自由」に生きたいから。
ただ「覚悟」が必要だと思ってます。
でもそれは「楽しい、生きている!」と思える「覚悟」です。
(笑)


あっ、書き忘れていた。
冒頭に引用している落合さんのnote。
この後半部分の「デジタルネイチャー」を表現したような、デジタルネイチャーの世界で生きているような素敵な文章があります。
それを読みながら、自由な未来を想像しています。





覚悟と楽しさ

最後に述べられている「覚悟」と「楽しさ」の両立は、デジタルネイチャーの哲学が持つ前向きな姿勢を反映しています。技術の進化とその活用には確かに覚悟が必要ですが、それは同時に新しい発見や創造の喜びを伴うものであり、そのプロセス自体が生きている実感をもたらすという点で非常にポジティブなメッセージです。


「デジタルネイチャー」は、デジタル技術と自然の調和を通じて、新しい自由と可能性を追求する哲学です。これは東洋哲学との結びつきを持ち、人間中心の視点を超えた新しい価値観を提供します。この哲学は、技術進化の現実を受け入れつつ、どのようにそれを有益に利用するかを探るものです。そして、この自由には責任と覚悟が伴うことを強調しています。

ochyaiNoteの感想(一部抜粋)


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