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でっかくてちっぽけな世界 七緒栞菜

 子どもの頃に、物理的に大きく感じられていた世界の中をたくさんたくさん歩き回れば、大人になったときにこの世界はちっぽけに感じられてもっと気楽に生きられたのかなとか、よく考える。

 七夕まつりとか、市のお祭りとか、幼い頃に歩いたお祭りの道は、どこまでも続いているような気がしていた。
 家の食器棚の上の方に手が届かなかった。手を伸ばして取ろうとすればお母さんが取ってくれた。
 水道で手を洗う時には背伸びをした。何とか手を洗えても、肩より手の位置のほうが高くて袖が濡れた。

 こういう些細な「自分が小さい」と感じる日々を積み重ねてきたことで、大きくなった時に「世界がちっぽけ」に見えてきたのではないかと思うのだ。「なんだ、こんなもんか」っていうちょっとの安心感がなかっただろうか。お祭りの道なんて、ただの十字路。食器棚の上段には今ならひょいと手が届く。水道で手を洗う時に袖が濡れるかなんて、考えることすらなくなる。

 だから、「自分が小さい」と思えることの内容を増やしたり大きくしたりすれば、大人になるにつれて相対的に「世界が小さく」なっていくような気がした。だって、例えば、5歳で海外とかに行っていたら、世界ってそれこそちっぽけに見えるんじゃないでしょうか。(もちろんその頃には行ったことなかったし、この間初めて海外に行ったけど!)

 でも本当は絶対的に「世界はでっかく」て、「私がちっぽけ」なのだ。そんなことはわかっている。でも、「ちっぽけな私」が「でっかい世界」をたくさん踏みしめていくことで、気が楽になるのだと思う。今の私が、「私はちっぽけだ!」と感じられる限り感じることによって、未来の私がきっと「あ、今まで経験してきたことはこんなもんか」って安心できる気がするのだ。

 なんだか、山中のこの記事をふと思い出した。

 でっかい世界をいっぱい感じる。自分がちっぽけであることを喜ぶ。

 学ぶことは、だから大事なんだろうな。

 安心感や気楽さを得るために、私は学びたいのかもしれません。

 世界は当たり前にでっかい。でも、いつか、その一部がちょっぴりちっぽけにも思えるかもしれない。そんな風に思いながら過ごしていきたいから、とりあえずじゃんじゃん世界を踏みしめて行かなきゃだな、なんて思います。


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