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連載小説 『喋る後輩 最終話 〜言わない僕〜』

職場が、静かだ。
まるで、風のない日の湖面のようだ。

昨日も、静かだった。

一昨日も、静かだった。

今日も一日、静かだろう。


皆が皆、挨拶は交わすものの、そこから先が出てこない。
共通の話題はなんだっけ?
人と話をするって、どうするんだっけ?
一体、何を話したら、、、?
と、探り合っているうちに就業時間になってしまう。


どうしてだろう、こんな職場だっただろうか。
以前はもっと、そこかしこで笑い声が漏れ、笑顔が弾け、誰も彼もが何の壁もなく自分が思っていることや感じたことを話していたような気がするのだが、、、。


いつから、こんな静かな職場になったのだろう。
何が原因なんだろう。



あ、そうか。



彼が、退職したからか。



よく喋る後輩が、先月一杯で退職した。

「すんません、ほんと、すんません、、、。
色々教えてもらったのに、何にも恩返しできずに退職するなんて、、、。」

もともと八の字の眉毛を、更にデフォルメの効いた似顔絵の様に歪ませて後輩はしきりに謝った。

「何も悪いことじゃないんだから、謝る必要ないって。
今、地元に帰らないと絶対後悔すると思うし。お父さんの看病、徹底的に協力してやれよ。」

長男である後輩は、目を潤ませながら、はい、と小さく返事をした。



思った通りに、静かに一日が過ぎた。
一人暮らしの暗い部屋に帰ってきた僕は、とりあえずテレビをつけ、座椅子に座って半額の刺身を食べながら、ハイボールを飲む。


彼の存在はもしかしたら、職場にとってとても大きいものだったのかもしれない。

つまの大根をもしゃりと口に詰めながら、僕は思った。

自分が喋り過ぎてしまうことに悩んでいた彼だが、その性格に皆んな無意識に助けられていたのではないだろうか。


彼は誰彼構わず、エピソードトークを話していた。たまに面白いトークもあったが、大抵は小さくてしょーもない話がほとんどだった。


みんな思ったに違いない。

こんなつまらない話を人に話してもいいんだ、じゃあ自分も、、、。



どんどん職場内での会話が増えた。
笑顔も増えた。

人見知りで有名な新入社員、新井さんが日を追うごとに口数が多くなっていったことは、間違いなく後輩の功績だったと今でも思う。


休憩時間の雑談ができていると、仕事上の報連相もしやすくなる。
誰もが働きやすい雰囲気を、後輩は図らずも作っていたのだ。



最後のサーモンの一切れを飲み込み、ハイボールをぐいっと飲み干した時、LINE通話の着信音が鳴った。


画面を見ると、退職した後輩からだ。

「お久しぶりです先輩!!
今いいですか!??」

1か月ぶりくらいの後輩の声に、懐かしさを覚える。
「おお、久しぶり、別に問題ないよ、家で酒飲んでたとこ。」
なぜだか妙に、落ち着いた声を取り繕ってしまった。


「いやー、聞いてくださいよ!!
久々に実家で生活して気づいたんですけど、もうここ、廃墟ですよ。

大工のじいちゃんが6、70年前に建てた家なんですけどね、まず風呂に入ろうとしたらノブが取れたんすよ。カランコロンカラン、って。

それから、俺の部屋の壁に90センチくらいの亀裂が入ってるんですけど、日に日に大きくなってきて、今ではちょっと外が見えるんすよ、、、。

あと、、、」

実家がいかに廃墟であるか、
田舎の生活がいかに窮屈であるか、
やることが無さ過ぎて毎日山のようなほうれん草のおひたしを作っていることなどを、後輩はダムの放流のように喋り続けた。

「ちなみに父は今のところ全くもって元気です。」
おまけのおまけのように、軽く付け足した。


後輩は笑った。
僕も笑った。
うん、そうだ、これが彼の持つ力なのだ。


「そっちはなんか、変ったことありました?」

「ああ、田中さんが川崎に異動になって、代わりに長谷川さんがきた。慣れるのに苦労してるよ。新井さんはなんだかんだうちで頑張ってる。

そんなもんかな〜。


あと、あれかな、お前が辞めてからなんか、さび、、、
めちゃくちゃ静かになったよ、はは。」

「よっぽど俺の存在がうるさかったんすね!すんませんでしたね!」


それから1時間くらい、僕らは長電話をした。切るタイミングがわからなかったのか、分かってて切らなかったのか、それは自分でもわからない。


流石にそろそろ切ろうという雰囲気になり、後輩が言った。

「先輩〜、また電話してもいいっすか?
なんか東京生活の話を共有できる人ってこっちになかなかいなくって、、、」


「えーーーーーーーーーーーーー、






いいよ。」



「うわーーーーーーーーーーーーーーー、






あざっす。」



LINE通話を切る。
時間も時間なので、すぐにベッドに潜り込む。



久々に、何かが満たされたような気がして、
僕はあっという間に眠りについた。

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