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短編小説 『リズムを崩すな!』

そろそろ目を覚ます時間だ。


チーン カチ カチ チーン カチ カチ


やつの尻尾がメトロノームのように揺れている。


タン タカタタン タカタ タンタン
タン タカタタン タカタ タカタタカタ


テンポは大体『ボレロ』くらいだな、と常々思っていた。


「さ、いくぜ」
言われなくても分かってる、今日こそやり遂げて、幸せになってやる。


チーン カチ カチ 
8:50  僕は目覚め、掛け布団を跳ね除けた。
   ベッドメーキングをする。

チーン カチ カチ 
8:55  洗面台で顔を洗い、うがいをする。

チーン カチ カチ 
9:00  パンをトースターにセットする。
   目玉焼きとウインナーを焼く。



チーン カチ カチ 
9:05  目玉焼きとウインナーを皿に乗せる。
   と同時にパンが焼き上がる。
        (リズムが崩れることを危惧し僕があま
   りにも懇願するので、母は渋々僕の食事
   を作るのをやめた。)

チーン カチ カチ
9:15  食後のコーヒーを飲みながら、父から
   ちょうど読み終えた新聞を受け取り、
   見出しをざっと眺める。

チーン カチ カチ
9:25  散歩に出かける。


ニット帽を被りジャンパーを羽織る。
スニーカーを履いて玄関のドアを開けようとしたら、ぐいっと自動ドアのように勝手に開いた。


「あら、おはよう、久しぶりねえ〜!
おばあちゃん、例の有名なケーキ屋さんでね、一番人気のロールケーキ買って来たのよ〜」


散歩スタイルの僕を両手で押し戻すように、祖母がずんずん家の中に押し入ってくる。
近くに住む祖母は、時折こうして突撃訪問してくるので僕の大敵だ。


チン カッカッカカカカカカカ


メトロノームが苦しげな音を立てている。
やつが何か言いたげに僕の目を見る。

いや、まだ、大丈夫だ、
戻れる!

僕はやつに目配せしながら祖母に言った。

「ちょっと、散歩に行ってくるから、、、」
「そんなの後でいいじゃない!
それよりほら、ロールケーキ、
新鮮なうちに食べちゃいなさい!」


ほらほらと煽られているうちに、廊下に母が出て来て、お久しぶりですだのありがとうだの散歩は後でいいじゃない、ねえ、だのと矢継ぎ早に言い、僕は二人の言葉とボディタッチの竜巻に巻き込まれ、気づいたらリビングのソファに腰掛けていた。

「家の中では帽子は取りなさい」
と言われ、いよいよ散歩に行けなくなった。



紅茶とコーヒーどちらにします?
じゃあ紅茶で。
ほら、あんた、紅茶人数分!

母がバタバタとロールケーキを皿に乗せ、ガチャガチャとフォークを用意する横で僕は紅茶を入れた。


やつは僕の一挙手一投足を宙に浮かんで眺めていたが、とうとうなんの感情もない声で言った。


「はい、アウトー」

いつのまにか、尻尾は動いておらずメトロノームの音も聞こえなくなっていた。



その瞬間から、僕の身体は灰色に変わっていった。紅茶をカップに注いでいる右手から、どんどん油粘土のようになっていく。

紅茶、まだなのー?
母が能天気に聞いてくる。

あっという間に全身が油粘土になってしまった僕は、お盆に4つのティーカップを乗せ、ゆらり、ペタ、ゆらり、ペタ、、、とどうにかテーブルまで持って行く。



テーブルにお盆を置こうと思ったら、手元が揺らいでガシャンと音が鳴った。


「ちょっと!どうしたの!?まるで顔が油粘土みたいじゃないの!!」
僕の顔を見て祖母が叫んだ。

僕は、粘土になってしまったためにうまく震わすことができない喉を精一杯震わせて言った。

「9:25は、、、散歩なんだ、、、。
それに、、、、、
ロールケーキは、、、、、食べる物リストに
入っていない、、、。」


粘土に切り込みを入れたような僕の口からは、掠れた吐息しか出て来ず、祖母は必死に聞き取ろうと耳に手を当てて首を傾げて固まっていた。


父  「ああ、またか」
母  「いつものことなので」
祖母 「ふーん、相変わらず大変ねえ」


それはさておきおいしい!ほんと、おいしいわこれ!


盛り上がる3人の声を聞きながら、僕は這いつくばるようにして階段を上がり、息も絶え絶えになりながら自分の部屋に辿り着いた。

そしてベッドに潜り込むと、うつ伏せに縮こまって布団を頭から被った。


「無理無理無理無理、絶対無理だ。この先一生、リズムを崩さずに生きていくなんて出来っこない。

実家にいるからダメなんだ、
早く一人暮らししないと!!」

やつは僕の頭から煙のように出て来て言った。


「一人暮らししたって同じことさ。
友達から突然誘われたり、親が訪問して来たり、仕事関係で呼び出されたり、そのほか予想もしないことがいくらでも起こるんだぜ」


「ああ、ダメだダメだダメだ!
どうして僕はこんなに不自由なんだ!」


猫と狐の幽霊を足して2で割ったような風貌のやつは、哀れみの最上級系といった具合に顔をぐにゃりと歪ませて言った。

「生まれつきだから、仕方ない。」


それを言われたら、僕はもう何も言えない。誰のせいにもできない。
油粘土の両目から涙が流れて、油粘土の鼻穴から鼻水が出た。


僕の情けない姿を見て、やつのピンと立っていた耳が少しだけ柔らかく下がった。


「まあ、そう絶望するなよ。君だって成長してないことはないんだぜ。


昔は、リズムが崩れたら花火人間になってたじゃないか。
手持ちのやつじゃない、打ち上げタイプのやつだ。

それに比べたら粘土人間は無害だ。誰も傷つけないし、何も壊さない。若干気持ち悪いだけさ。
俺から見たら十分、成長だと思うね。


次はそうだな、
クッキー人間を目指してみる、なんてどうだい?」

「クッキー人間?」

「ああ、粘土よりもカラッとしてるし、いい匂いがする」



「、、、、、考えてみる。」



僕は目を瞑った。



チーン カチ カチ チーン カチ カチ


やつが聞こえるか聞こえないかくらいの音量で尻尾のメトロノームを鳴らしてくれる。



「大丈夫さ気にすんな、少し寝たら元に戻れる」



チーン カチ カチ

世界一落ち着く音を聞きながら、僕の意識はベッドの中に溶けていった。




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