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サービスという言葉の語源は、「奴隷」です。

全国のサービス業で働く皆様、本日も大変お疲れ様です。
僕も含めて、あなた方のお陰で世界の笑顔の均衡は保たれているのだと思う。

コロナが流行った頃、飲食店に勤めている僕は思った。
お店で飲食をする事は、不要不急の外出なのか。と。

また、緊急事態宣言における不要不急の外出の抑制が長く続いた後、
今度はGo To Eatによる外出の緩和を超えた解放。
かなり売上的にも助けたられた部分は大きいですが、正直、あの忙しさはもう経験したくない。

出勤から退勤までひっきりなしに予約の電話が鳴り続ける。予約用紙を排出するFAXは故障し、電話のなる音が嫌になるスタッフ、壁に貼り付けられた予約用紙はバックヤードを超えてホールにはみ出す勢いだった。
そして、その後に訪れた第2弾の緊急事態宣言。
ある構想が浮かんだ。

政府「コロナって奴が流行ってきました!不要不急の外出は控えて下さい!」
飲食店「…俺たちの給料はどうなる」

政府「コロナのせいで飲食店がピンチです!食事代を一部負担するので、飲食店に行ってください!!」
飲食店「いつもの月より倍も売れてるよ。嬉しいけど、スタッフの人数も準備も全然足りないよ、出来ないよ、限界だよ」

政府「飲食店に皆が行ったおかげでコロナがまた増えたよ!!今度こそ行かないで!!店側も、時間を短縮して営業して!時短してない所は実名で報道するから覚悟してね!」
飲食店「やっと準備も人も揃ってきたのにまた削減かよ」

飲食店「……私、都合いい女じゃないのよ」


と、まあ少なくともうちの飲食店ではそうであって、他はわからないが現場の意見ではある。
他にも思った事は色々あるので、以下を見て欲しい。


さて、前置きが長くなるのはビジネスマンとして良くないね。
僕らの笑顔の拠り所である、サービス業。
ちなみにこのサービスという意味をご存知だろうか。

サービス、尽くすこと、奉仕することが主な意味合いだが、その言葉の語源は
ラテン語のservus、意味は「奴隷」である。

僕も昔は結局お客様は神様が今も残ってんじゃんと思っていた。

だが、真髄は違う。
仕事とは常に、相手がお客様であろうが取引先であろうが同僚であろうが、「相手の求めている事を倍で返す」が基本だと思う。

お客様が来店し、席を案内した際
「ここ、入口に近くて寒いので席を替えてもらっていいですか?」
そして席を替える。これは仕事ではなくあくまで作業だ。

「この書類をいついつまでにやっといてほしい」
その書類を期日までに仕上げる。これも作業。

お客様が来店した際に、
(あ、この人この前も来てくれてたな。確か旦那さんが魚介食べれないんだった)と察し、
注文を頂いた歳に魚介の入っているものは全て抜いてお持ちするかその場でお聞きする。
これが、仕事だ。

書類は当たり前に期日までに完成させ、内容確認が終えたら支持されるまでもなく必要なコピー数で印刷する。グラフが多いと分かりづらいと以前別の企業に言っていた取引先のためにグラフを減らす。
これが、仕事だ。

奴隷はあくまで、指示された事を全うする作業人でしかない。
感動に対して、お金は支払われるものだと思う。
要求を超えて尽くそうとしてくれることに、感動を覚える。
首輪を付けられて足蹴にされている訳では無い。

お金を払ってサービスを受ける側

サービスをして貰いお金を払う側
は等しく並行関係であり、そこに上下は存在しない。
上下は存在しないからこそ感動を届ける事が出来るし、お客様は神様じゃないとも言える。
だから、この言葉の語源が嫌いだ。

僕らサービス業の人間は全員、「仕事」をしている。
奴隷なんぞに成り下がるつもりはない。
国民の休日も、土日も、ましては勤労感謝の日だって、僕らは必死に尽くそうと、要求を倍にして返してやろうと踏ん張っている。
そうやって、今日も、僕は、社会は1歩前へ進む。


奴隷なんぞに、成り下がるつもりはない。

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