「本物」

 本日(2024年4月2日)のわが爱読紙朝刊には、13面にジェラルド・カーチスのインタビューが、21面には真田広之のインタビューが載っていました。   

 ああ、さっき「佐藤」を書いたあと、日本酒をけっこう、そうだな、4合は呑んだな、へべれけに近いんだけど、最後まで書けるかな。

 カーチスは若い頃、『代議士の誕生』が日米で評価された政治学者で、1940年生まれと書いてあるから、もう84歳か。副題が「日本式選挙運動の研究」で1967年の出版。その本で取材対象となったのが、大分県選出の佐藤文生で、その孫だか甥だかが、わたしと同じ月島に住んでいて、いやもう20年ぐらい経つかな、当時はよくいっしょに酒を飲んだ。

 つまり、「佐藤」と「月島」がたまたま一致して、もう寝ようと思っていたのに、これを書いているわけです。

 で、わが爱読紙の記者は、小村田義之。大きな見出しは3本あって、「失われた政治の創造力」「裏金事件あっても動かぬ政治家たち 熱意も匂いもなく」「透明化進めぬ自民 いつまで許すのか 有権者が行動を」です。
 これは、わたしに言わせれば、なにも言っていないのに等しい。朝日新聞としては、社説やらなんやらで日々がなりたてている内容と、それほど変わったものではないと思います。

 小村田記者がなぜ今、84歳にもなったカーチスにインタビューしたのか、その動機はもちろんわかりませんが、見出しを見れば、現政権党を「批判」してほしかったんでしょう。

 でまあ、インタビューの冒頭は、小村田記者の〈現状をどう見ますか〉から始まります。カーチスは〈国民の不満がたまっていて、いつどういう形で爆発するかわからない〉などと答えます。ま、阿吽の呼吸です。

 ところが、小村田記者が、〈日本の保守政治がダイナイズムを失ったと思いませんか〉という誘導尋問に近い投げかけをしたあたりから、カーチスは古臭い、というか、『代議士の誕生』当時の政治模様との比較で話し始めるんです。はい、はい。小村田記者は何歳なんだろう?というぐらいのことしか、読んでいて刺激がありません。

 そして、そして、後半はかなり香ばしくなる。小村田記者の質問を列記します。

 〈そのせいか、政治家も小粒になりましたね〉
 〈人間味のあるリーダーが見当たりませんね〉
 〈保守とリベラルの対立と言われますが、それ以前の問題かもしれませんね〉

 これらはすべて誘導尋問ですね。さすが爱読紙の記者。

 インタビューの最後、カーチスさんの〆の言葉は、〈最終的には国民の責任なのです〉。はいはい。日本はまがりなりにも--下手すりゃアメリカなんぞよりよっぽどレベルの高い--民主制なので、十分承知ですよ。そのことはカーチスさんもご存じだと思うけど、記者の需要に応えてあげたのかな。

 次に真田広之。『SHOGUN』というディズニープラスで製作・配信されるシリーズ映画のプロデューサーをやっているそうなんです。アメリカ人の作家が書いた小説が原作で、1980年にもテレビドラマ化されているらしい。で、な編集委員によるインタビュー記事に付いた見出しは、〈ハリウッドで描いた本物の「日本」〉〈誤った東洋趣味と闘った20年〉〈この作品が異文化扱うニューノーマルだ〉です。真田さんは『ラスト・サムライ』(2003年)に演たあと、アメリカに移住したんだそうです。

 で、今回のSHOGUNでは、〈帯のサイズや襟の幅、ふすまの大きさや障子の間隔などを細かくチェックし〉たんだそうです。プロデューサーとして。プロデューサーなのに。

 いや、そんなんどうでもいいんじゃないか。

 〈日本人の役には全て日本の俳優を当てた〉そうです。まあ、わたしとしてはこれは微妙だな。日本がメーンな市場(書入れ場所)なので、あんまりヒドイ日本を描いたら、売れる映画も売れなくなるということでしょう。

 石飛記者の観劇評は、〈真田の努力のかいがあって、おかしなところはほとんで見当たらない〉そうです。


 こないだの米アカデミー賞で『ゴジラ-1.0』が視覚効果(Visual Effects)賞を獲りました。ご同慶。
 この作品、公開からしばらくして、知人から好感想を聞いて、さっそく観にいきました。面白かった。で、わたしの批評は「人に勧めるときは80点以上。自分的には50点」というものでした。実際は勧めまくったんですがね。それで、観にいった人は「傑作だね」と言ってくれました。

 いや、自分的には50点なんです。まず、会話がなってない。戦後すぐの時代、浜辺美波は美しかったけど、会話は高峰秀子の『流れる』ぐらいのしゃべり方をさせてもよかったのに。現代と変わらぬ調子の会話でした。だれかが「ムリです」なんて言ってたっけ。

 私が邦画を遠ざける理由のひとつは、私が日本に住む日本人だから、映画の中の会話や態度が、ふつうにはアリエナイことにすぐに気づいてしまうからです。これがアメリカ映画や、あるいは韓国映画でも、「ふーん、そんな会話するのがフツーなのか」でスルーできるのですが、邦画となると。先の高峰秀子だって、当時の人は違和感があったかもしれませんが、同時代を知らない私は、あの頃はあんな話し方をしていたんだ、と思うしかない。浜辺にデコちゃんみたいな話し方をさせてもよかったのに。

 ま、山崎監督は、日本だけではなく全世界でのヒットを企図してのエンタメ重視だったんでしょうが、それで、自分的には50点、人に勧めるには80点以上なんです。

 アメリカ人カーチスが見る日本、日本人が見てもおかしなところがないアメリカ映画、アメリカ人(はじめ世界の人)にもわかってもらえる日本映画。「本物」っていったい…。

 わああ、もう10時前だ。明日は4時起き。酒も飲み過ぎ。書いたもんは支離滅裂。でも、UPしよう。おやすみなさい。

 文意はわが責任。誤字脱字はお酒のせいで、ご容赦。


 


 


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