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古の新羅の都ぞ、鄙と言うなかれ

 日本で言えばスナックに当たるんだろうか、入口の扉がバタンとやや乱暴に開くと、現れたのはメガネっ娘だった。三ッ編みのおさげに、そばかす顔。小さな肩とまだふくらみきらない胸が上下して上気した様子だ。
 その胸を隠すように両手を十字に交差させてなにやら抱えている。

 さっきまで主人公たち3人の席に付いていた女の子が店の奥から破顔で駆け寄ると、一言二言打ち合わせ。それから、二人して主人公たちの方に向いて、メガネっ娘が日本語で言った。

 「わたしはスヨンです。えー、えー、この女の…」
 隣をチラと見た。
 「えー、中学校の、えー、えー、同級生です。えー、日本語を勉強しています。えー、えー、あっ、こんばんわ(汗)」
 ペコリとお辞儀した。
 隣で、店の子が「そういうことなのよ」とでも言いたげなドヤ顔をした。

 主人公たちは顔を見合わせると、「なるほどー」と頷きあった。

 主人公たちはその日の朝、下関からのフェリーで着いた釜山で高速バスに乗り換えて慶州にやってきた。『コッピを食べたら-』『ブルーライト・ヨコハマ-』、そして未だ書かれぬ『美人薄情』の旅から2年後、1990年のゴールデンウィークのことである。前回の旅が面白かったと主人公が吹聴して回ったので、前の相方とは別の友人2人が一緒に行こうと言い出して、それじゃこんどは趣向を変えようと新幹線と関釜フェリーを使って来た。

 慶州では、晩飯代わりに駅前の城東市場で酒をかっ喰らい、もう一軒行こうと乗り込んだ場末っぽい雑居ビル二階の店にいた。銀座や新地といった感じの盛り場はなかった。今は知らないが、高層ビルというものもひとつもなかった。

 入口に近いテーブル席に案内され、かわいい女の子が付いてくれたのだが、日本語も英語もてんでできなかった。いや、それで主人公たちに全然不満はないのだが、しばらくすると、彼女はちょっと待っててというような身振りで店の奥に消えていたのだった。それで、この展開である。


 「やあ、こんばんは、こんばんは。そうなのー、日本語勉強してるんだー」と、3人は2人の女の子を席に招いた。メガネっ娘は着席すると、抱えていたなにやらをテーブルの上に置いた。教科書とノートと辞書だった。もちろん日本語の、である。
 「わー、辞書まで持ってきたんだー。えらいねー」


 メガネっ娘の奮闘努力の甲斐あって5人はあれやこれや話が弾んでいる。そのうち、メガネっ娘が「私の日本語学校、あした来ますか」と言い出した。「先生、うれしいです」

 という次第で、翌朝、仏国寺を訪ねるために借りたレンタカーで、メガネっ娘から教えられた日本語学校に出向いた。二、三階建ての茶色い小さなビルだ。漢字で「長沼日語学院」と書いた看板が掲げられていたそうだが、おそらく「長沼」は主人公の記憶違いであろう。
 前でメガネっ娘が待っていた。

 「おはようごじゃいますっ」弾んだ声であいさつした。
 約束の時間通りに着いたんだが、主人公は、メガネっ娘が一時間ぐらい前からずっとそこに立っていたんじゃないかと思ってしまった。

 メガネっ娘について学校の中に入ると、

 「あー、どーも、どーも」
 細長い瓜実顔で、いや茄子顔で七三、いや八二、いや九一の髪型をした校長先生が迎えてくれて、名乗った。頭髪密度からしてもかなり年配のようだ。
 「わたしはしぇんじぇんに長崎に住んでいましたよ」
 「へえ、そうなんですか」
 「村上しぇんしぇいにお世話になりましたとばい」
 「そうですか」
 「村上しぇんしぇい、元気ですか」
 「はあ」

 これは、一見の主人公に村上先生の近況を尋ねているのではない。一般的な日本語にすると、「村上先生、元気にしているかなあ」という独り言だろう。主人公がいぶかる必要はない。

 「このテレビね、日本の番組見えるの」校長先生は続けた。「日本語の勉強がよくできます」

 かつては、KBSやMBCなど中央(ソウル)のテレビ局に入社すると、釜山支局に研修に出されるという話を聞いたことがある。日本のテレビ電波が届くので、それを傍受して勉強するためだそうだ。慶州までも届くということか。

 一通りのあいさつが終わると、気まずい空気が流れた。話すことがない。そもそも主人公たちに日本語学校に用があったわけではないし、校長先生にしても主人公たちを一日教師にするなどという思い付きもないようだった。

 主人公は言った。
 「わたしたちはこれからプルグッサに行きます」
 それからメガネっ娘を見て続けた。
 「スヨンちゃんも一緒に、来る?」

 メガネっ娘はしばらく考えてから言った。
 「はい、来ます」

 こうして4人で着いた仏国寺。桜が見事だった。ただし、時期はゴールデンウィークである。慶州で桜が見事な時期かどうか疑わしい。今改めて書き手が調べると、慶州は桜が名物で間違いないが、桜並木はウリジナルのソメイヨシノで、開花時期は日本とほぼ同じ3月末あたりだ。

 しかし、主人公の記憶に残る仏国寺の桜の色はソメイヨシノよりもっと濃い。5年前に訪れたリスボンのサン・ジョルジェ城の桜と記憶が混同しているのかもしれない。いや、これも今調べると、サン・ジョルジェ城に桜などない。あるとすれば「紫の桜」と呼ばれるジャカランダであった。しかも開花時期は5月から6月という。主人公がリスボンで蛸を食ったのは2月である。なるほど記憶とは捏造されていくものであることよ。フィリップ・K・ディックなら驚きもしないだろう。


 仏国寺は若い女性同士の連れが多かった。あちらでパチリ、こちらでパチリとお互いが写真を撮り合っている。主人公たちはそれを見て、とくにどうとも感じなかった。

 しかし、メガネっ娘は違った。
 「アンノンジョクです」

 「アンノンジョク?」
 「日本のアンノンジョクです。流行しています」

 ああ、アンノン族か。そうか、日本のアンノン族が輸出されているんだ。こちらから言えば輸入か。といっても、現象や流行だけで、当事者たちはもちろん스시녀ではない。当時の韓国はまだまだ、日本人女子の旅先候補ではなかった。

 さて、どこまで汚染されているか知れぬ記憶はこのくらいにしておくべきだろう。それにしても、ずいぶん久しぶりに思い出したメガネっ娘、今どこで何をしているんだろう。もうアラフィフになる。上手になった日本語を生かして日本に職を得ているかもしれない。

 その晩、主人公たちは再び、城東市場で眞露を飲んでいた。昼間打ち合わせた旅程では、夜行でソウルに向かうことにしていた。その列車待ちである。例によってサッカリン入りであるから、すでに3人ともでろでろに溶けていた。したがって、たいして記憶がない。つまり、書き手の自由である。ふふふ。

 列車が入線したとき、そこは旅人の本能であろう、あるいは異国での緊張のおかげか、ホームで待ち構えていた3人が乗り過ごすことはなかった。車内は適度に込み合っていた。別々のボックス席に分かれて座った。

 「うっく」
 主人公が次に覚えているのは眞露の副作用である。こみ上げるものを感じて連結デッキへ出た。デッキのドアは開くことができた。ホントか。そして、転落しないようにしっかり手すりを握って身を乗り出し、世界の果てまでイッテQならキラキラキラの効果で演出する行為を終えて、すっきりして空を見上げた。お星さまがキラキラ。
 あとは、ソウルは終着だ、安心してぐっすり寝た。


 翌朝のソウル駅。

 「覚えてないのかっ」
 「知らぬ。存ぜぬ」
 「おまえなあ」
 「なんだ」
 「お、おまえはなあ、突然『バンザ~イ』と叫んでだな」
 「バンザーイ? なんでバンザイだ」
 「こっちこそ知らんよ。とにかくバンザイ叫んで、前の席のおっちゃんの禿げ頭をペチャと叩いたんだ」
 「えー!」
 「ペチャ、だ」
 「知らん。なんで叩くんだ」
 「いや、おまえに聞きたいよ」
 「で、どうなった」
 「そりゃあ、おっちゃんも怒って、鬼の形相で振り返ったら、おまえさん、よだれを垂らしてへらへら寝てたから、怒るに怒れず諦めたみたいだった」
 「ウソだろ」
 「ホントだよ」
 「いーや、俺は信じないね。俺がそんなことするわけがない」
 「だから、したんだよ。ペチャ」

 主人公から抗議の声が届いたが、書き手の自由である。覚えてない方が悪い。

 
 


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