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When Drink Beer In India.(インドでビールを飲んだとき…)

  押韻 呷飲 往印  押韻 呷飲 往印  押韻 呷飲 往印  押韻 呷飲 往印  押韻 呷飲 往印 


 ナイロビ空港を発ったときから、右前方席の頭上にある持ち込み手荷物用の天袋(ビン)がガタガタとやかましく鳴いていた。フタが付いた旧式のタイプで、おそらくフタの掛け金が甘いんだろう。ついに、なんかの拍子にバタンと上方に開いてしまった。


 フタが開いてしまうことは予め分かっていたようで、搭乗時に客室乗務員はそこは使わせなかったから、荷物が飛び出してくるようなことはなかったが、主人公は小さく「あ」と言うと、通路を挟んでとなりに座るべっぴんのお嬢さんと思わず目を合わせた。

 「ビンのフタが閉じなくったって運航に支障はないと思うけど、整備不良には違いない。となると、肝心の方は大丈夫かな、と客に心配させることになるかもしれない。日本の航空会社だったら…」

 「ありえなーい」とべっぴんさんは言った。

 彼女は、今では日本最大となった航空会社の客室乗務員である。彼女の向こうに座る妙齢3人とともに、休暇をとってケニアでサファリを終えた帰路だ。これ以前のサファリ中に、「自社便を使うと機内食代だけで済むんだけど、居心地が悪いんですよね。ほら、同僚が働いているでしょ。だから格安航空券を使うことが多いの」なんて話を聞いていた。ま、当時は彼女らの航空会社もまだ海外定期便に進出して数年しか経ってないころで、自社の直行便などないケニア線でもあるから、このエアインディア機に乗っているわけだ。

 そのインドのナショナルフラッグキャリアは、機内食の選択が「チキンですか、ビーフですか」ではなかった。そりゃあそうだろうな。チキンはいいけど、ビーフはアウトだ。だから「チキンですか、カレーですか」だったか、「カレーですか、ベジタブルですか」だった。主人公は往路では、本場インドのチキンカレーを注文した。うまかった。復路では趣向を変えてベジタブルを注文した。出てきたディッシュは、見た目も味もカレーと区別が付かなかった。さすがインドである。辛かった。


 

 そうこう書いているうちに、主人公の乗るエアインディア機は、ビンのフタが開いたり閉まったりしながらボンベイ空港に到着した。呼び方がムンバイに変わるのは数年後である。主人公たちは降機することなく給油と搭乗客の入れ替えを待って成田に向かう旅程であった。ナイロビと成田は1万2000キロだ。これはニューヨークよりも遠い。当時でも無給油は十分可能な距離ではあるが、なんせ、ボンベイはエアインディアの母港である。寄らずにはおられまい。

 乗った機材が何だったか主人公は思い出そうとしたが、出てこない。B747ではなかった。B777はまだ商用供用前だ。とすると、A330だったか。とにかく2本の通路があるワイドボディー機ではあった。主人公は通路の向こうにお嬢さんが4人並んでいるのを見たし、壊れたビンは客室の中央にあったからだ。


 手持ちぶさたな主人公はビールを注文した。銘柄はたしかハイネケンだったと思うが、生来の貧乏性がもたげてインド銘柄を選んだような覚えもあるそうだ。いずれにしても、値段は同じ2USDだった。プシュ。

 そのうち、空調がおかしくなった。暑い。それにもう2時間近くが過ぎているのに、飛び立ちそうな気配もなければ、言い訳のアナウンスもない。

 となりのお嬢さんに聞いた。
 「専門家に伺うけど、これはどうなの」

 「たぶん、飛ばないわ」にっこり余裕の笑みで答えた。

 「そうだね。あわてて飛んでもらわないほうが安心だ」
 「そうね」うふふと笑った。彼女とは、帰国して数カ月がたったころ、まだ、まぐろがグルグル回遊していた葛西臨海水族園でばったり会った。お互い、なんとなく顔を覚えていた。「あれ、サファリのときの…」という偶然。閑話休題。


 暑さと戦うため、主人公は追加のビールを頼んだ。今度は無料だという。お嬢さんの見立て通り本日はコールドゲームの気配が濃くなった。それとは関係なく、貧乏性なので、じゃあ、と2本頼んだ。

 さらに1時間ほどが経過した。空調のないインドの暑さを十分以上に満喫たころ、ようやくアナウンスがあった。結論は案の定、延泊ディレイである。エアインディアの用意したバスに乗って、近場のホテルに泊まり、翌朝、再出発ということになった。

 インド亜大陸の大地を踏みしめるのはこれが2回目だ。といっても、1回目は同じ旅の往路である。往路はもともとデリーで1泊してのトランジットだった。九段あたりにあったインド領事館だか大使館にトランジットビザを取りにいった覚えがある。今調べたら大使館の領事部だ。靖国神社のちょうど向かい側だ。

 その往路でも航空会社の用意したバスでホテルに向かった。初めてのインド。信号で止まるたびに、わらわらと子供たちがたかってきて「ナマステー」と窓越しに主人公たちを拝んでから両手を差し出した。道路の周囲は殺風景だが衛生的とは思えず、手配されたホテルも古くてカビ臭かった。主人公の連れ合いは、そのとき、インドに来るのは生涯でこれが最後だと心に誓ったことを主人公に伝えた。

 だが、2回目があったわけだ。そして宿の程度も似たようなものだった。ただし、今度チェックインした時間はまだ昼下がりだった。このまま部屋に篭るのはちょっともったいない。

 「近所を散歩してみようよ」主人公は連れ合いに言った。
 「ひとりで行ってきてよ。わたしは絶対に部屋を出ない」連れ合いは往路での誓いを忘れていなかった。

 というわけで、主人公はひとりホテルを出た。しばらく歩けば町があるとフロントで聞いた。
 町、というより集落があった。おそらく、決して観光客は訪れないだろう地元民のための商業施設が申し訳程度に立ち並んでいた。道路が舗装されていなかったイメージがあるが、定かではない。不潔な街路ではなかった。

 きょろきょろしながら歩いていると、声をかけられた。

 「日本人ですか」

 英語だった。

 声をかけてきたのは若い白人だ。カジュアルな、でも垢抜けない服装だた。

 「そうだが…」と答えると、
 「日本に興味があるんです。日本の話を聞かせてもらえないですか」男は言った。

 「これからビールでも飲もうと思っていたんだ。付き合うなら、いいよ」主人公は、いいヒマつぶしができたと思った。

 なくして困るものなど持ってきていない。10ドルか20ドル程度の現金だけポケットにねじ込んできた。インドの貨幣に両替した記憶はないので、USDをそのまま使ったんだと思う。

 「あなたはインド人なのか」白い男に尋ねた。
 「はい、そうです。ここに住んでいます」

 インドはイギリスの植民地だったから、そんな境遇もあったりするんだろうと勝手に早合点した。男の案内で、喫茶店のような簡素な店に入った。

 「ビール2つ」主人公が注文すると、男は「わたしは飲みません」と言った。
 「ごちそうするよ」と言ったが、男は重ねて断った。
 「じゃ、お茶でも飲むかい」
 「いいえ」
 「あそう。じゃ、ビール1本ねー」自分の分だけ注文した。

 男の興味は、日本の金融界のことだった。
 「金融? あまり詳しくないなあ」
 そういうわけで、英語でもあったし、日本の金融について何を聞かれ、どう答えたのかほとんど主人公の記憶に残っていない。

 そのうち、男が言い出した以下のことは鮮明に覚えている。

 「フジバンクに入りたいんです」

 フジバンク? 富士銀行のことだろう。第一勧銀と興銀と合併して、今はみずほ銀行だ。

 「紹介してもらえませんか。金融の知識はあります」
 「いや、ちょっと無理かな。日本人でも入るのタイヘンな大企業だよ」
 「そうですか…」
 「日本へ行ったことは」
 「いいえ。行きたいです」
 「ああそう。…ルーツはイギリスなの」

 日本でも金融ビッグバンが準備されつつあったが、それはイギリスがモデルだった。だから、金融界で活躍したいなら日本よりシティの方がいいんじゃないかとごまかそうと思って聞いた。だが、返事は意外だった。

 「いいえ」
 「じゃ、どこ? アイルランド?」
 「わたしはアルビノなんです」

 彼はインド生まれ、インド育ちのインド人だった。アルビノとは色素欠乏症だ。
 「ああそう」主人公はちょっと驚いて答えた。

 
 主人公がインドでビールを飲んだのは生涯でたった2回。それなのに、ほぼ30年後に、書き手が苦労もせずnoteに載せられるほどの印象的なイベントを得た。

 その後も主人公はインドへは行くことはなかったが、もし行く機会があるならば、必ず、まずビールを飲むに違いないと書き手は思っている。

 



Photo by courtesy of Aero Icrus.
https://www.flickr.com/photos/46423105@N03



 
 
 


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