「ホームドア」


 ふつうに聞けば、玄関扉のことかと思ってしまいますね。駅のプラットフォームに設置された安全扉のことです。

 プラットフォームがプラットホームになり、いつのまにやらホームと略されて定着しました。現代の日本語では国際音声記号で表す[f](無声唇歯摩擦音)の音がないからです。電話のテレフォンもテレホン、ヘッドフォンもヘッドホン。ユニホームやコーヒー。スマホも一時はスマフォと対立がありましたが、今はもうスマホ表記が圧倒的主流です。先日亡くなったノーベル物理賞学者の小柴昌俊さんが設計したカミオカンデに光電子増倍管を納めた「浜松ホトニクス」という会社も、英文表記は「Photonics」です。


 ところが、日本語も江戸時代前期ぐらいまでは「ファ」の音があったそうなんです。室町時代のありがたい、いや、やんごとなき文献にはこんななぞなぞが載っています。


 母には二度あひたれども父には一度もあはず。(後奈良院御撰何曽)

 なあ~んだ?

 16世紀前半に即位された後奈良天皇は諧謔の分かる人だったようで、上の「ごならいんぎょせんなぞ」というなぞなぞ集を遺されました。そのうちのひとつです。


 答えは「くちびる」 もともと、かなの「は行」は「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」と発音されていたのです。ただし、[f]ではなく、[Φ](無声両唇摩擦音)の音。これは現代日本人がふつうに「ファ」とか「フォ」という音と同じです。英語のFやVのように上の前歯で下唇を噛まなくてもかまわない音です。

 ともかく、「はは」は「ファファ」と発音されていましたから、唇が二度会うんですな。「ちち」は一度も会えません。


 その[Φ]の音は、平安末期から江戸前期にかけて徐々に、語頭は[h]に、語中・語尾は[β̞](現代発音のワ行)に変化していったとのことです。

 というわけですから、「ホームドア」を発音するときに、気取って英語っぽく[ fˈɔːm]などと発音してはいけません。日本語の由緒ある音韻変化に則っているのですから、もはや立派に日本語に帰化した言葉だと考えなくてはいけません。デーブ・スペクターと並んで日本人で最も英語が上手な一人である小林克也さんのように、英語を話すときは英語らしく、日本語を話すときはすべからく日本語らしく発話しなくてはいけません。

 「法務」という漢字を思い浮かべながら口にするといいでしょう。
 


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