フジファブリック「IN MY TOWN」

 一ヶ月以上経っててすっげー今更感あるかもしれませんけど、行ったという事実と記録を残したいので書くだけ書かせてください。こういうのは鮮度が大事ってことくらい知ってるから、熟成してたと捉えてくれると嬉しいな。

 10月20日、フジファブリックがデビュー15周年ということで、大阪城ホールで記念のライブするらしいので軽い気持ちでチケット取ってふらりと向かった。
 別段盛大に祝ってやろうだとか、感慨深く泣いてしまうかもみたいなことはなくて、結構好きで聴いてるバンドが、ただ近くで記念のライブをやるって聞いたので参加しようかなと思っただけである。

 13時からグッズの販売が始まるということで、まあTシャツタオルくらいは買っとくのがマナーかな、少々並ぶだろうけどさっと買って昼飯でも食べようかなという心づもりで13時過ぎに最寄り駅到着。
 まず駅を出て目の前にすごい行列があることに気がつく。会場から出て隣接する川沿い、そのまま折り返して橋を渡って対岸までぎっしりの行列だ。
 おいおい何の祭りだよ、有名人でも来てんのかと思って最後尾の看板を見れば「グッズ販売最後尾」という文字が。
 フジファブリックファンの方たちでした。
 「え、こんなにファンいたんだ……」という驚きがまずやってくる(失礼)。
 いやだって、僕の周りにフジファブリックファンとかいう人って「音楽好き」みたいな感じの人しかいないぞ?好きなアーティストとかいるの?って一般人に聞かれて「えー……、フジファブリックとかですかね……」とか少し軽めのジャブみたいなの打っても通じたことないけど?「知らんわ」とか言われて大体終わるから、もはや聞かれたら「バンド系ですかね、デゥフフwwヘヘッw」みたいな気持ち悪い回答するようになっちまったんだぞ。フジファブリック知ってるお前ら、普段どこに隠れてたんだお前らって感じの人たちが無数に列を成してた。
 グッズなんて僕が買える頃にはほとんど売り切れてる可能性のほうが高そう。まさに「ないかな、ないよな」だ。
 そういった中、どんなに悩んでもとりあえず並ぶしか入手法はないので、列に混じって日差しを受けながら突っ立っとく。周りを見て「あの姉ちゃんすっげえ過去のライブグッズ持ってるな」とか「あのおじさんマジで手ぶらだけど財布とか大丈夫か」とかぼーっと見てたんだけど、ふと気づく。
 ……なんか年齢層高くない?
 たしか昔アイマスのライブに行ったときは周りの人間だいたい黒い服か自前の法被来てたし、やたらとうるせえ若者か頭が寂しくなってきた悲しいくらいのおっさんしかいなかったけど、なんかフジファブリックのファン、年齢層高くない?(比較対象が間違ってる)
 おっさんおばさんばっかりと言うより、親子連れとか、なんか見た目からしてサブカル大好き女とかパッとしないけど陰キャにもなりきれてない兄ちゃんとか、普段中小企業で細々と事務員してますみたいな姉ちゃんとか、そんなのがすごい多い。
 なんというか全員静かよね。品があるっつうか大人しいつうかみんな待機しながら文庫本とか読んでるもん。誰一人コールの練習とか「アイマス最高!アイマス最高!」とか叫んでないもん。
 そばのベンチではすでにグッズを買った小学生くらいの子が特集組まれてた音楽雑誌を読んでる。すげえ英才教育。
 ああ、なるほど。だから普段見つからないんだなフジファブリックファン、って感じで急に納得できたのでこれはこれで気づきがあって良かった。
 でも結局2時間位並んだ。

 そもそもフジファブリックを知ったのは学生時代に先輩の家で三日三晩酒を飲み続けるとかいう脳死イベントの三日目の夜、最後の最後で先輩のPCから流れてた「Sugar!!」で知った。
 なんだかよくわからんがポップなサウンドとキャッチーな歌詞、ノリの良いメロディーラインが酔いつぶれた脳にキレイに吸い込まれていったから、出会いが良かったのだ。何の気負いもしていない酔っぱらいの男にはいい具合に突き刺さる。
 それから過去のアルバムやら何やらを漁ってみて、過去に志村っていう人がいたとか、そういうのも後から知ったけど、結局は自身の嗜好と手を取り合えるような、そんな優しさと偏屈さが良いと感じたので今に至る。

 今更だけど、そもそも僕自身ライブってものはほとんど参加したことがない。
 なぜかと問われれば色々あるが、まず第一にアーティストの人となりってものに全く興味がないのが前提になる。
 好きなアーティストがどんな顔してようが、どんな服着てようが、どんな言動してようが、詰まるところどうでもいい。
 覆面でも構わないし、まちなか歩くのに羞恥心が生まれそうな服装を好んでいようが、めちゃくちゃ暴力的で威圧的な態度を他人に取っている人でも、薬物に手を出してたり不倫していようがそんなことはどうでも良くて、僕がそのアーティストに求めるのは楽曲、ただそれだけである。
 僕が良いと思う楽曲を提供してくれるのが最高に良いアーティストで、その背景にあるものは見えなくて結構なのだ。
 そもそもその「楽曲」が「楽曲」として最高のものというのは、CDなりなんなり、音源として作られているものが最高であるという考えもある。
 ライブやその場の高揚感、一体感なども含めて初めて完成するとかいう話もあるが、僕から言わせればそれは楽曲にプラスで追加する要素であって、楽曲を完成させる要素ではないのだ、
 運ばれきた料理に卓上の調味料を追加するかどうかの話で、料理として完成されているのは、あくまで運ばれてきたそのもののはずである。
 そこに醤油垂らしたり塩振ったりするのがライブで、それが美味しい!っていう人がいるってのはまあ、それはその通りで何ら間違いではないんだろうなと思うのだ。

 あと、どうにも「我を忘れる」ことができないのも参加しない要因の一つでもある。
 ライブって手を振り上げたり、揺らしたり、特有の掛け声があったり、叫んだりする文化があるじゃん?さすがの僕でも知ってる。体が勝手に動くんでしょ、多分。
 そういうのをしようとする度に「いや何やってんの自分」って感じで冷静に見つめる自分が出てくるのだ。
 「周りのリズムにがんばって合わせてるけど、合わせてるって感じ自体がすでにだせえよ」とか思うし、手持ち無沙汰をごまかすために腕の位置を気にしたりしてる自分もいるし、ライブ中に周囲の動き方を見て動いてないやつを発見しすると少し安堵したり、ともかく自分の動き方を客観視してしまうのだ。ライブ中舞台だけでなく他人の動きめっちゃ見てるからな、俺。
 普段社会生活を当たり前のように営んでいて、周囲の雰囲気とか空気に敏感に反応しながら行動を変えるのに、ああいう場でテンション振り切れるタイプは才能だと思う。スイッチの切替が半端じゃなく明確にできるのはただただすごい。
 まあ、そういった中でライブってのは僕にとってそこまで魅力的なコンテンツではないのだ。

 それでも、やっぱり現場に立てば否が応にも気持ちは高ぶる。
 グッズも購入して適当に飯食ったらもう開場の時間だった。ほとんど列に並んでるだけだったな。
 会場前には花輪やフラワースタンドが並び、交友のあるアーティストだけでなくサントリーとか、FM802とか、意外なところからも届いており、人望ってやつは可視化できれば気持ちのいいもんだと一人いい気分になって入場。
 正面モニターに流れる過去のPV、ベストアルバムのCM。マイクの前に立つ志村とマイクの前に立つ山内。過去との対比をずっと見せつけられていた。


 それにしても報われねえバンドだなと思ってしまう。どんな事やってもどんな曲作ろうとも志村という名の亡霊を通して見ている観客がずっとそばを離れないんだから。YoutubeのPVのコメント欄とかもう見てらんねえもんな。「これはきっと志村さんへ向けて作った曲ですね」「志村っぽくて良い」とかそんなもので溢れてるもん。悲劇から再起したのに悲劇のフィルターを外してくれない人が多いんだなと居たたまれない気持ちになる。

 そんな少ししんみりとしていたら開演の合図。
 場内が暗くなる。
 グッズで売っていたペンライトも客席の中ににまばらに光る。


「あ、はじまる」と思ったそのとき、
「若者のすべて」の伴奏から始まった。


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