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【短編小説集vol,6】鎌倉千一夜〜種を蒔く人々

第28夜 種を蒔く紳士

 その史跡は再建されることもなくフェンスに囲まれた空き地になっていた。往時を解説するボード以外は何も手を加えられることなく、少なくとも20年以上こんな風に放置されている。人は放置してきたが、植物はそこを棲息地にし、腿くらいの高さの雑草や蔦が蔓延っている。ある初秋の日、突然これまで咲いたことのないコスモスが一斉に咲き出した。この空き地全体が白から真紅のグラデーションカーペットに包まれたのだ。誰かが蒔いたに違いない。でもこんな風に全体に蒔けるのは鍵を開けてフェンスの中に入れる人だけだ。
 その紳士は細くなったがまだ豊かな髪を風に靡かせ、毎朝この谷戸にやって来る。おそらく健康のためのウォーキングなのだろう、年中全身黒のスポーツウェアで祇園山への登り口にある東勝寺跡地で折り返しているようだ。道すがら私が散歩させている犬を撫でるのも日課だ。私ではなく犬に向かって「お前はいつも元気だな」「そうかそうか歩きたいか、じゃあ気をつけてな」そんな感じで跡地へ向かって坂を上がっていく。いつだったか一度だけ娘さんと一緒の日があった。紹介された娘さんはモデルのようにスタイルが良く明るい受け答えにとても好感を持ったがその1日きりで、その日以来この紳士は一人散歩が続いている。姿勢の良さとどこか現役の頃は海外赴任していた商社マンというような風情の紳士なのだ。
 今日は南風が谷戸に入っている。湿り気のないブリーズと呼べるようなそよ風の肌への心地よさはどことなくハワイの朝を彷彿とさせる。愛犬もこの快適さを感じているのか、東勝寺跡地の方へ行きたがるので気分を変えて向かう。時たま吹く風がコスモスたちを靡かせている。先程愛犬を撫でてくれた紳士が坂を上がり切った場所で、前屈からアキレス腱伸ばしまでストレッチをしている。よく曲がる体、切れ間のない動きはただのシニアのそれではなく、何かのスポーツをしっかりとやってきた現れ、捻転動作を多めにやっていることからすると恐らくゴルフか?
 腕を交差させながら肩をストレッチしている時に強く南風が入ってきた。すると紳士は素早く腕を解き、トレーニングパンツの右ポケットに手を入れ、何かを掴んだ右手を空高く突き上げ、そして指を長く伸ばすように手のひらを大きく開いた。何かが煙のように立ち上がり、その塊は跡地の方へ風に乗って飛び広がっていった。次には手のひらはより空高く突き上げられ、右手の中のものはより上の空に放り投げられ、煙のようなものはさらに遠くまで風に乗って飛んでいく。あの煙のようなものは何だ? あんなに風に乗っていくものって何だ? しばらくその物体を注視してみた。あれは種だ! しかも拳からあふれるほど大量の。その種を風に乗せるように空に放っているのだ。
 種は風に乗りフェンスを超え草原に紛れていく。蒔き終わると先ほど途中だったもう片方の腕のストレッチを済ませ満足そうに紳士は来た方へ坂を下って行った。

第29夜 公団クリスタルパレス

 この5階建ての公団アパートは昭和の時代、核家族現象の申し子として神奈川県の各地に作られた。首都圏の人口増加に合わせて鉄道が網羅される過程でできる新駅の目玉なので、ゆとりある敷地で中庭には遊具の置かれた公園などが設けられたくさんの子供たちが遊び、お母さんたちの井戸端会議が行われた。そんな遊具も半世紀近くを経て誰も寄り付かない鉄の塊と化し、中庭は誰も近寄らないデッドスペースになっていた。仲川知之はそんな惨状が気になってしょうがなかった。
 2年ほどもやもやしながら過ごしてきた仲川に自治会幹事の順番が回ってきた。ここぞとばかりに定例会の場で共有スペースの見直しを提案した。すべての朽ちた遊具やベンチを一掃し、みんなが利用できる場を作るというものだ。その方法として大型のビニールハウスを設置し、どんな天候でもいろんな手段で活用していこうと声を上げた。自治会は概ね賛成だった。高齢者が多いため、整然と配置された野菜たちを見ながらくつろぐのはなにより癒されるという声が多かった。
 農学部から食品メーカーに就職した仲川はスマート農業を専攻し、とくにビニールハウスには心血を注いでいた。ビニールハウスは屋根の形、ビニールの材質、場合によってはポリカーボネイトやガラスでより強度を出す。冬は暖かな空間だが夏は拷問の密室となってしまうが、ヒートポンプで空調、ファンで循環を行うから快適だ。ハウスの中での野菜の栽培は地植えのほか、作業効率を図って腰の高さにプランターを設置したり、土ではなく砂や水での水耕も行う。そういった電気機器での内部環境管理のために、ハウスとともに太陽光パネルも併設させエコシステムを作る。水耕栽培は苗ごとに分割できるよう切り込みが入ったスポンジにひとつづつ種を植え、定苗後、一回り大きなパレットに移して育て上げる。水質・水温管理が重要だが、循環する水を常にセンサーで監視しているので失敗はない。虫の入り込む余地もないので成長は順調で、清潔さも保たれる。
 しかし、引っかかるのは費用だ。新たな施設を建築するなどというのはおろか、現在の老朽物資撤去も大きな出費だ。しかし仲川にはその懸念も想定済みだった。その費用問題解決方法がビニールハウスなのだ。地方の農地で見かける20mを超えるようなビニールハウスは20万円ほどで手に入るのだ。そのことを告げたとたん、全員一致で可決された。
 そこからはものすごいスピードで事が運ばれた。住人からは野菜作りに限らない利用案や、撤去から造成までの作業への参加希望がどしどしやってきた。
「住人全員のためのリビング的な空間にしよう」
「子供から老人までが交流できることを行おう」
「何かを育て、作り、町の商店や通販で販売することでこのハウスの維持費にしよう」
有志が始めた専用のSNSにはいろいろな知恵が集まりどんどんプロジェクトが生まれていった。住人からは様々なスキルが集った。リゾート設計のレジェンド、ジェフェリー・バワを愛する建築事務所に勤める住人からは、ハウス内外のレイアウトや植栽のいろいろなパース画がSNSにアップされ、いいねの数で採用が決まっていった。あらゆる企画がSNS上で決まっていく。錆びた鉄の塊たちは、若いパパたちの腕力であっという間に撤去され中庭は思ったより広い更地になった。当初の予定より大きなサイズなものを仲川がつてをたどって安価で手に入れた。ポリカーボネートの40mハウスがそこに据えられた。
「おい、思った以上に頑丈そうで骨組みの作りもしっかりしているし、なにより体育館みたいに広いな」
「こりゃ何でもできるぞ。下手したらサッカーもできそうだ」
  まずは仲川の得意なところで水耕栽培のレタスやトマトが設置された。瑞々しさがあっという間に大人気になった。それを眺めるようにいくつかのテーブルセットが置かれた。これは買い替えで不要になったものを住人が寄付してきたり、地元物々交換サイトで手に入れたりした。さらに冷蔵庫やコンロ、流し台がそんな風に揃ったところで、有志がカフェを始めた。材料費は水耕野菜の販売費用で賄った。カフェには老人たち、放課後には子供たちがやってきて、住人同士目の届く環境はいつしか小学生たちの学童保育スペースになった。夜、そこは大人たちのパブになった。釣り帰りの住人が魚をさばいてふるまうと、山形出身の老人がいも煮を作って添えた。次第にご当地ランチとご当地肴パブは人が絶えることのない状態となった。ハウスの外側に植えた果樹がぐんぐん育つことでハウスを覆う様になり、中からの景色は果樹の森の中にいるようなものになった。
 新たに若い住人が増えると、自発的にこのパブリックゾーン作りに貸す手が増え、様々な設備があっという間に出来上がっていった。外に大きなファイヤープレイスを設け、その脇には小さな子供が水遊びできるほどの噴水プールを作った。もはやリゾートホテルに負けない環境になった。自分たちの部屋はプライバシー空間であって、くつろぐのはこのパブリックリビングとなった。パブリックスペースへのマナー意識は高く、この環境を乱すものはいなかった。そんな大人たちのふるまいを見て、子供たちもけんかやいじめを恥じた。
 この環境は多くのマスコミが取り上げ、見学者も絶えることがなく、ついには各地の市町村も独自の方法でパブリックスペースを売りにリフォームを行っていった。さらにマンション業者がこれを売りにした物件を競うように作り始めた。新たなマンションに企業の資本力が遺憾無く発揮され、住人のパブリックスペースとしてガラスで覆われたコンサバトリーを設けるようになったのだ。スキルを持った管理人がこの中でイベントをまわす。もはや毎日舞踏会が繰り広げられるクリスタルパレスの様相だ。
 さて、元祖公団クリスタルパレスは住宅が耐久年数に達し、惜しまれつつ取り壊された。知恵が集ったSNSは最後に住人の集合写真がアップされ惜しむ声は途絶えることはなかった。

第30夜 病室の万華鏡

 家では現実から目を背けていた。2年前妻に先立たれ独り身の新津雅男はついに痛みに耐えられなくなった。ある日右の腿の内側にできた傷がいっこうにかさぶたにならずジクジクしたままなのを別段気にすることなくやり過ごしていたものが半年後に膿が出るようになり、その後鈍痛へと変わっていった。いやな気持を紛らわすために、定年後に始めていた趣味の園芸に没頭するようになった。やがて家のプランターでは飽き足らず近所の公園の雑草を抜き、枯れ枝を処理し、それでも物足りなさから枝を剪定するようになった。無秩序だった花壇に現れた空きスペースに自分のプランターで繁殖しすぎたハーブなどを植えた。本来は公共の場所なので許可なく手を加えるのはよくないのだが、日に日に整備され奇麗になっていく公園を見て近所の人たちには誰も文句をものはなく、むしろお礼をしていくほど感謝されることとなった。
 そうして四季を一巡すると雅男は翌年の植栽計画を立てることにした。剪定により樹形を整え、せっせと種を蒔いた。近所の人たちに説明するためにその過程をSNSにもアップした。近所の人たちのアクセスやコメントがうれしく、記事作りに熱が入るほどにその投稿は近所の人たちだけでなく他県の人からもコメントが入るようになった。鎌倉はある程度暖かいエリアに属し、栽培できる品種は多い。農家も鎌倉野菜というありがたいお墨付きのもと、おなじみのものだけでなく外国の品種にもトライし、色鮮やかなものや見慣れない形状のものなどの栽培に成功し、市街の市場である連売には地元住民や飲食店だけでなく都内からもシェフたちが車で仕入れに来るほどになっていた。「鎌倉光合成」こと雅男のSNSはキーワード検索で多くのニーズにヒットし拡散した。しかし雅男の痛みも日に日に腿からさらに下のほうへ拡散していった。靴も履けないほど足が腫れた時、鈍痛は激痛に変わり救急車を呼んだ。
 雅男は大部屋の入口の3方向カーテンで仕切られた息苦しいベッドで天井を見つめていた。歩くこともままならず、ずっと横になり続けることを強いられる身になった。子供のいなかった雅男を見舞う者はもはや弟しかいないが、その弟も九州に暮らしているためそう簡単に来ることもできないのだ。救急車内の処置以降、何とか激痛からは免れてはいるが、着の身着のまま付き添いもなくここへ来たので、私物は持ってくることはなかった。寝返りもままならないのでベッドの右脇のテレビも首が疲れ、やがて消した。眠さに任せて過ごすので、目が覚めてからは意識だけが明瞭で、いろいろな五感が敏感に働く。病室には自分より強い痛みが襲うのだろう、周期的に呻きを上げる患者がいる。どんな状態で痛みに耐えているのか…? カーテンの向こうはうかがい知れない。看護婦たちもそんな状態にすっかり慣れており、やって来ては患者の耳元で小さな声で励ますくらいしか対応できていないようだ。雅男が足の攣れるるような痛みで夜中に目を覚ますと、その患者はずっと前から呻き続けていたようで、その低い声は疲労感を帯びている。来る日も来る日も昼夜問わずその周期的な呻きは続いた。雅男は耳栓を持ってこなかったことを悔いた。
 最新医療に助けられ雅男の足は失わないで済んだが、長い間放置していたことで治療は試行錯誤を繰り返し、入院は長期化を避けられなくなってきた。雅男は意を決してこの入院を弟に知らせ、家から身の回りのものとノートパソコンとイヤフォンを持ってきてもらう様に頼んだ。弟は火曜の11時ごろ九州からやって来て、一度病院で鍵を預かるといくつかの手提げ袋を持って戻ってきてくれ、1時間ほど近況を話した後とんぼ返りで九州へ帰っていった。弟はプランターの花たちがすっかり枯れていることを教えてくれた。ベッドの上では何も施すことはできなかったが、手塩にかけた花たちのことを思うと心から申し訳なく思った。
 雅男は公園のことを思い出した。あそこは地植えだからある程度は枯れずにいるはずだが、手入れがないままふた月ほどが経っているから見るも無残な状態だろう。金木犀は橙色のじゅうたんを敷いたように小さな花をびっしりと木下に落とし、種をまいたラベンダーは絡まるように繁茂しているだろう。整備する前、あそこはドクダミ原のようだったから、またあんな風に蔓延っているんだろう。SNSをもう一度見てみようと思った。ブラウザの上部にはそのまま開かれたページがタブで残っていた。クリックすると私が最後にアップした画像が映る。サルスベリを覆ってしまいそうなザクロの枝を選定した時の写真だ。サルスベリは無事咲いたのだろうか…、雅男は何気なくいつもの調子でリロードマークをクリックした。リロードマークは回り続け、数十秒後に開いた画面に雅男は息をのんだ。先ほどのサルスベリの写真に戻るのが困難なほどコメントのタイムラインが続いている。
 一つ一つに目を通していると時間はあっという間に経過し、消灯の時間にも気付かず時計は深夜1時を指している。雅男のベッドを囲うカーテンだけうっすらと光を帯び続けていた。SNSのコメントは「鎌倉光合成」からの記事が停止していることへの心配の声で始まり、やがて公園の近所の人たちによる生育状況報がアップされていた。その後も刻々とアップされるコメントで画面を塗り替えていく。まるで万華鏡のように。カーテンに囲まれたベッドテーブルのノートパソコンのモニターはあの公園に向いた窓になっている。自分の体はまだまだこんな事では動じないぞ。夢は枯野を駆け巡るのだ。

第31夜 超次元に漂う持論たち

 星の数ほどの大学から星の数ほどのの卒業論文が生まれた。それらは学生がその時までに備えた知識の系統立てられた努力の結晶だ。SNSのような衝動的な吐露ではない論理的な持論。優劣はさておきそれぞれ脈絡は一応ついた文章たちだ。学生だけではない、大学という最高学府で研究を行うもの、教鞭をとるもの、彼らの学術論文も星の数ほど生まれ、そして大半は日の目を見ない。それは発表の場がごく少数に限られているからだ。正確に言うと権威ある発表の場が、だ。学術論文はそこで厳選の末に世に公表される。権限者のみに与えられた差配は、あまたの論文の取りまとめ役という存在の大きさと信頼あってのことなのだ。
 「編集長、今はいくらだって格納できるんです。やりませんか!」
出版社の企画出版編集部で働く朝香淳奈は編集長・遠山の席の隣で腕組みをしながら圧倒している。文字情報ならどんな量でも格納可能なストレージを持つ今、すべての学生と、研究者、教員の論文ファイルを一手に自社で請け負い、知の貯蔵庫を作ろうというのが彼女の主張だ。
「おまえそんな玉石混交を抱えてなんの得があるんだ? ただでさえ出版界は苦境だ。学術論文なんてのは編集作業も入ってないレアデータみたいなものだ」
「何言ってるんですか! 論文は作成者が推敲を重ね作り上げた完成物なんです。確かに優劣はあることは覚悟していますが、そんな中にもまだ世の中に出ていない発想があるはずなんです」
「そんなもんはもうSNSにあふれてるんじゃないか? みんなに支持されりゃリツイートされたりして拡散するだろうが、ピンとこなかったものなんかはタイムラインで過去のものへと葬り去られている」
「それが問題なんじゃないですか。わたしを例に出してもしょうがないですけど、私は法学部で卒業論文をトランスジェンダーの権利の曖昧性について書いたんですけど、今は出版社であまり関係ない仕事をやってます。そんな風に論文を書いたころと全然違うジャンルで活躍している人ってたくさんいると思うんです。そんな人の今の成功に学生時代の発想がどんなふうに発展していったのか探るなんて楽しくないですか?」
「たしかにそれは面白いが、この先そんな発想もAIが凌駕していくんじゃないか? 人一人の発想じゃなく、AIは膨大なデータを解析して編集するわけだろ。俺らだってうかうかしてたらあっという間にやられちゃうよ。まあせいぜいAIとのお付き合いの仕方を考えておいたほうがいいんじゃないか?」
 遠山はそういって次の仕事に向かっていった。朝香はこの提案には自信があった。自分はこれまで文芸部で作家の原稿をたくさん読んできたが、新たな創造世界が文字によって生まれていく様はいつも痛快だった。それは作家が何度も試行錯誤を繰り返して生み出した完成形だからだ。書店や図書館のように論文データを溜めたい。デジタルなんだから絶対にできるのに…。朝香は遠山が話に出したAIがひょっとしたら何か助けてくれるんじゃないかと思いチャットGPTを開いてみた。

#全世界の学術論文を一か所に格納することはできる?
@現時点では、全世界の学術論文を一か所に格納することは非常に難しいです。多くの学術論文がさまざまな分野で発表されており、著作権やアクセスの制約なども考慮しなければなりません。一部のデータベースやリポジトリは多くの論文を収集していますが、すべての学術論文を完全に一か所に格納するのはまだ遠い未来の可能性と言えるでしょう。

#じゃあ卒業論文は?
@卒業論文は、大学や研究機関の学生が卒業要件として提出する研究報告書です。これらの論文は大学の図書館やオンラインリポジトリなどでアーカイブされることが一般的ですが、すべての卒業論文が一か所に集約されているわけではありません。ただし、いくつかのデータベースやウェブサイトでは、特定のテーマや分野の卒業論文を検索できる場合もあります。

朝香は肩透かしを食らった気持になったが、すこしこいつと遊んでみることにした。

#この回答者はどこにいるの?
@私、ChatGPTはインターネット上のサーバーに存在しています。具体的な場所ではなく、OpenAIのサーバーファームの一部として、世界中の複数のデータセンターに配置されています。私はリアルタイムに応答しており、あなたが質問を投げかけるたびにデータセンターの中の一つが処理して、回答を提供しています。

#この答はどこから持ってくるの?
@私の知識は、訓練時に収集された多くのテキストデータから学習されたものです。インターネット、書籍、記事、ウェブサイトなどのテキスト情報が含まれています。そのため、私の知識は2021年9月までのもので、それ以降の情報は持っていません。どのような情報をお探しですか?

 今はこれ以上聞く気にもなれなかった。きっとこんな調子で論文なんて数分で書き上げちゃうんだろう。そして結構数字データなんかも駆使してそれなりのものだったりして。もちろん過去のいろんな論文がネット上に上がっているならそれも吸収してるはずだから、どの論文から引用したのか回答するなんてお茶の子さいさいでしょうね。じゃあ、いまだ権威ある場では未発表な学説の論文を取り入れ続けているうちにAIが「@こんな考えはまだどこにも発表されていませんがいかがでしょう。*****」なんて提示してくる時代が来るわね。それを繰り返すうちにAI自体が学説を作成するようにきっとなるわ。あんな数秒で回答するなんて人間には無理だから置いてけぼりにされて、いずれAIのはるか先に行ったぶっ飛びすぎる学説に人間はついていけないなんてことになっていくはずだわ。今は理解の及ぶ範囲で良しとしなくちゃいけないわね。
 朝香は人類の限界が見えたような気がして気が滅入った。じゃあと究極の質問を入力してみる。

#人間は3次元を超越できる?
@人間は物理的な存在として3次元の制約を持っていますので、3次元を直接的に超越することは難しいとされています。しかし、思考や創造力などの精神的な側面では、4次元以上の概念を考えたり表現したりすることは可能です。科学や哲学の領域では、これに関する議論や仮説が存在しますが、現実の制約を超えることは難しいとされています。

意識だけ飛び出していればいいのね。たしかに亡くなった知の巨人たちはみんなそっちにいるもんね。やっぱり考えることって止めちゃいけないし、上書きしていかなくっちゃいけないわね。もう一回編集長説得しなくちゃ!

第32夜 種を、蒔け。

その男の拳は振り上げられた
そしてその手は大きく開かれた
拳の種は風に乗り
荒野に散らばった

何度も何度も拳は振り上げられ
風は時に向きを変え
種はくまなく広がった

風よ来い
雨よ来い
陽よ来い

この荒野を埋めるのだ
様々な色の花で
それはいっときかもしれない
のちに乾きくすみ萎びた野になってしまうかもしれない
だが私は種を蒔き続ける
必ずそれは殻を破り柔らかな緑色を芽吹かせるはずだ

蒔かなければいけない
でなければそれはいつまでもやってこない
拳を突き上げよ
風を呼べ
そしてその手を大きく広げよ
必ずそこは命の色で満たされるから

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