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第2夜 桃源郷俯瞰


 まさかの迷子、林をさまよう羽目になった。
今どき少し歩けば民家に当たるはずだが、さっきからこの砂利道を歩いても同じような景色の中をうねるように歩き続けてるばかりなのである。道の脇の斜面はたいして高くないが垂直の岩なので登って見渡そうという気になれない。まあまだ午後1時なので焦ることもない、しばらくは里山歩きを楽しもうか。そういえばスマホがあるじゃないか。GPSで居場所はあっさりわかったが、この岩山は航空図には映らず濃い緑の森となっている。等高線画面に切り替えると火山の外輪山のようにドーナツ型の地形になっているようだ。それは周囲数百メートル足らずなので自然地形ではなく人の手にかかった感じだ。鎌倉山中に縦横に続くハイキングコースとは隔絶されたこの山。気がつけば迷っているのではなく、外輪山に沿って歩いていたようで、先程通った場所に戻ってきた。ずっと斜面は急な岩だった。まるで難攻不落の城壁かのような…。
 難なく林を逸れ、家につくとデスクトップの大きな画面に今日のあの場所を映す。googleマップが備える最大の拡大画面に合わせくまなく見ていくと、常緑樹の繁茂した木々の僅かな隙間に家屋の屋根のような直線を見つけるに至った。外輪山に囲まれた土地はおそらく300坪くらいだろう。建坪の大きくない家屋を太く育った樹木が囲んだらおそらくあの航空写真のように森のように映りそうだ。他人の住まいに執着するような趣味はないが、あの城壁めいた岩の中に家があり、一周しても門などないとなるとそこはどういった土地で、あの直線は何なのか気になってしょうがなくなった。あの岩を越えるには?木々が阻んでドローンも無理である。
どこかに中に続く道があるに違いない、再度航空図を地図に切り替えると、森へと流れ込んでいる細い水路があることがわかった。今日歩いたときにそういえば渡った気がしたが、歩きを阻むほどの流れではなく、軽く飛び越えただけかと思う。他には何の手がかりもないので、明日その流れを見に行ってみることにしてPCの電源を落とした。
 その流れは衣張山のほうから続いてるようだが、水量はほんの僅か。おそらく雨水の通り道なのかと思う。肝心なのはその流れがどういう形で外輪山に流れ込んでいるかである。昨日のルートをたどると確かにその流れがある。しかも時が穿ったものとは違う手掘りの穴の中へと流れている。さらに全く気が付かなかったが、
繁茂した蔦に覆われたやぐらがその脇にあるようだ。一応持ってきた軍手をはめ蔦を引っ張りどかすと、人が立てるほどの高さ、そして奥が見えないほどの奥行きがある。この辺はマムシも多いので気をつけながらスマホを懐中電灯モードにし照らす。やはりだ。やはりこの城壁は城壁なのだ。やぐらの奥には木を打ち付けて塞いだと思われる場所がある。城壁内への入り口に違いない。しかしこのガードを攻略するのは独りでは無理だ。今来てくれる人…、こないだ定年を迎えた原さんだ。原さんならこういったミステリーにも興味を持ってくれるはずだ。運良く家にいて来てくれることになった。
 到着まで周囲をもう一度観察する。暗いやぐらは野生動物の格好の住処となっているようで、最近のものと思われる糞があちこちに見受けられるが、人間には気が付かれなかったようで、塞いだ木材以外に人工物はない。
30分ほどすると大きな懐中電灯や鎌を手にした原さんが到着した。
「いやあ、結構近所に住んでるけどこのやぐらには気が付かなかったなあ」
「そりゃそうですよ、ただの蔦の壁のようでしたもん」
「しかしここはただの小山かと思ってたんだけど、言われりゃ城壁みたいだねぇ。中が気になるわ、早速取り掛かろう」
 木材は容易に撤去できた。
しかしそこには一抱えほどの大石が積み上げられている。その隙間から中が伺えるが見えるのは背の高い雑草だ。
「まあ一つづつどかすしかないな」
先程の木材から太めのを選んで二人がかりで上の石から突き崩していくと、這いながらでもあちらへ行ける空間ができた。
「まさかの景色ですね」
「想像もしてなかった…」
外輪山のような山は確かにドーナツ型に連なり、その山を超える高さまで育った木々が点在し全天候型ドーム球場のような形状になっている。その枝葉の隙間からしっかりと木漏れ日がはいるのでこの空間は明るい。予想通り300坪ほどの土地には母屋と納屋と池がある。やぐらが封じられたのはいつなのであろうか? そのままにされたそれらには現代を感じさせるものはなく、時の経過の分だけ朽ちているが、決して見すぼらしくはない。池には先程の流れが注ぎ、落ち葉に覆われてはいるがその水は枯れてはいなかった。母屋に近づくに連れそれが茶室であることを確信した。草に覆われた足元には平らな飛び石が母屋へと続き、茶室特有の躙口へと導いた。
「おいこれを見てみろ」
「何か実ってますね」
「桃だよ」
茶の庭に果樹は珍しいが、鎌倉の地には向いており住宅開発が進むまでは好んで植えられていた。
「こんな空間を切り開いてまで茶の空間を作った人は、相当の数寄者だったんでしょうねぇ。
器や掛け物や香や裂れ…好きなものを難攻不落の繭のような中にすべて収めて、物思いにどっぷり浸かる毎日…」
「まさに桃源郷だな。しょうがない、またあの石積んで閉じて帰ろ」

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