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第29夜 公団クリスタルパレス

 この5階建ての公団アパートは昭和の時代、核家族現象の申し子として神奈川県の各地に作られた。首都圏の人口増加に合わせて鉄道が網羅される過程でできる新駅の目玉なので、ゆとりある敷地で中庭には遊具の置かれた公園などが設けられたくさんの子供たちが遊び、お母さんたちの井戸端会議が行われた。そんな遊具も半世紀近くを経て誰も寄り付かない鉄の塊と化し、中庭は誰も近寄らないデッドスペースになっていた。仲川知之はそんな惨状が気になってしょうがなかった。
 2年ほどもやもやしながら過ごしてきた仲川に自治会幹事の順番が回ってきた。ここぞとばかりに定例会の場で共有スペースの見直しを提案した。すべての朽ちた遊具やベンチを一掃し、みんなが利用できる場を作るというものだ。その方法として大型のビニールハウスを設置し、どんな天候でもいろんな手段で活用していこうと声を上げた。自治会は概ね賛成だった。高齢者が多いため、整然と配置された野菜たちを見ながらくつろぐのはなにより癒されるという声が多かった。
 農学部から食品メーカーに就職した仲川はスマート農業を専攻し、とくにビニールハウスには心血を注いでいた。ビニールハウスは屋根の形、ビニールの材質、場合によってはポリカーボネイトやガラスでより強度を出す。冬は暖かな空間だが夏は拷問の密室となってしまうが、ヒートポンプで空調、ファンで循環を行うから快適だ。ハウスの中での野菜の栽培は地植えのほか、作業効率を図って腰の高さにプランターを設置したり、土ではなく砂や水での水耕も行う。そういった電気機器での内部環境管理のために、ハウスとともに太陽光パネルも併設させエコシステムを作る。水耕栽培は苗ごとに分割できるよう切り込みが入ったスポンジにひとつづつ種を植え、定苗後、一回り大きなパレットに移して育て上げる。水質・水温管理が重要だが、循環する水を常にセンサーで監視しているので失敗はない。虫の入り込む余地もないので成長は順調で、清潔さも保たれる。
 しかし、引っかかるのは費用だ。新たな施設を建築するなどというのはおろか、現在の老朽物資撤去も大きな出費だ。しかし仲川にはその懸念も想定済みだった。その費用問題解決方法がビニールハウスなのだ。地方の農地で見かける20mを超えるようなビニールハウスは20万円ほどで手に入るのだ。そのことを告げたとたん、全員一致で可決された。
 そこからはものすごいスピードで事が運ばれた。住人からは野菜作りに限らない利用案や、撤去から造成までの作業への参加希望がどしどしやってきた。
「住人全員のためのリビング的な空間にしよう」
「子供から老人までが交流できることを行おう」
「何かを育て、作り、町の商店や通販で販売することでこのハウスの維持費にしよう」
有志が始めた専用のSNSにはいろいろな知恵が集まりどんどんプロジェクトが生まれていった。住人からは様々なスキルが集った。リゾート設計のレジェンド、ジェフェリー・バワを愛する建築事務所に勤める住人からは、ハウス内外のレイアウトや植栽のいろいろなパース画がSNSにアップされ、いいねの数で採用が決まっていった。あらゆる企画がSNS上で決まっていく。錆びた鉄の塊たちは、若いパパたちの腕力であっという間に撤去され中庭は思ったより広い更地になった。当初の予定より大きなサイズなものを仲川がつてをたどって安価で手に入れた。ポリカーボネートの40mハウスがそこに据えられた。
「おい、思った以上に頑丈そうで骨組みの作りもしっかりしているし、なにより体育館みたいに広いな」
「こりゃ何でもできるぞ。下手したらサッカーもできそうだ」
  まずは仲川の得意なところで水耕栽培のレタスやトマトが設置された。瑞々しさがあっという間に大人気になった。それを眺めるようにいくつかのテーブルセットが置かれた。これは買い替えで不要になったものを住人が寄付してきたり、地元物々交換サイトで手に入れたりした。さらに冷蔵庫やコンロ、流し台がそんな風に揃ったところで、有志がカフェを始めた。材料費は水耕野菜の販売費用で賄った。カフェには老人たち、放課後には子供たちがやってきて、住人同士目の届く環境はいつしか小学生たちの学童保育スペースになった。夜、そこは大人たちのパブになった。釣り帰りの住人が魚をさばいてふるまうと、山形出身の老人がいも煮を作って添えた。次第にご当地ランチとご当地肴パブは人が絶えることのない状態となった。ハウスの外側に植えた果樹がぐんぐん育つことでハウスを覆う様になり、中からの景色は果樹の森の中にいるようなものになった。
 新たに若い住人が増えると、自発的にこのパブリックゾーン作りに貸す手が増え、様々な設備があっという間に出来上がっていった。外に大きなファイヤープレイスを設け、その脇には小さな子供が水遊びできるほどの噴水プールを作った。もはやリゾートホテルに負けない環境になった。自分たちの部屋はプライバシー空間であって、くつろぐのはこのパブリックリビングとなった。パブリックスペースへのマナー意識は高く、この環境を乱すものはいなかった。そんな大人たちのふるまいを見て、子供たちもけんかやいじめを恥じた。
 この環境は多くのマスコミが取り上げ、見学者も絶えることがなく、ついには各地の市町村も独自の方法でパブリックスペースを売りにリフォームを行っていった。さらにマンション業者がこれを売りにした物件を競うように作り始めた。新たなマンションに企業の資本力が遺憾無く発揮され、住人のパブリックスペースとしてガラスで覆われたコンサバトリーを設けるようになったのだ。スキルを持った管理人がこの中でイベントをまわす。もはや毎日舞踏会が繰り広げられるクリスタルパレスの様相だ。
 さて、元祖公団クリスタルパレスは住宅が耐久年数に達し、惜しまれつつ取り壊された。知恵が集ったSNSは最後に住人の集合写真がアップされ惜しむ声は途絶えることはなかった。

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