「何か“オモシロいコト”ないの?」が面白い

テレビが最近面白くないと言いながらも、個人的に好きな番組が「何か“オモシロいコト”ないの?」だったりする。

よくあるバラエティ番組で真新しさは無いものの、普通に面白いし変に金もかけてないし、見やすい番組だと思う。

なんで自分がこの番組を好きなんだろうと考えてみると、めちゃイケのような、ゲーム性を感じさせるからかもしれない。日本のテレビが面白くないと言われてはいるものの、結局のところ制作費が減って派手さがなくなってきただけの可能性もある。

自分としてはこれくらいでいいというか、何も考えずに無で見れるテレビらしい感じがする。シソンヌの長谷川さんと、菊池風磨さんの塩梅がちょうどいいというのもあるし、芸人だけじゃなくて色々な人が出ているのも良い。

世の中にいろいろな娯楽があるとはいえ、自分としてはテレビとYouTubeとラジオが大きく占めている。ラジオは通勤中や散歩の時に聞くことは決まっているし、YouTubeは暇ならとりあえず見てしまう。

「何か“オモシロいコト”ないの?」は、その名の通り、ちょうどいい暇つぶし感覚の番組だろうし、変に番組に縛りもないので、伸びしろがある感じもする。

長寿番組になる感じではないだろうが、私としては昔楽しんだバラエティみたいな感じがして、終わらないで欲しいとも思う。結局、今のゴールデン帯にやっている番組は、過激なことは出来ないし、過激なことをやろうと思ったらネットでやるしかないので、テレビからどんどん離れるしか無くなる。

今の小学生はテレビを見ないんだろうとは思うものの、出川哲朗の充電させてもらえませんか?みたいな番組で、子供たちが出川さんを見て喜んだりしているので、全くテレビの人達を知らないということでもないんだと思う。逆に時代が変わって、またテレビの時代が舞い戻ってきたりするんだろうか。

テレビ業界が不調とはいえ、別にものすごい赤字を垂れ流しているわけではない。営業利益は2000年や2001年くらいのピークから確かに停滞しているものの、不動産は好調なので、利益は余裕で出ている。

自分がなんでテレビが好きなんだろうと考えると、思い出があるからだろうし、自分の人格形成に大きく関係しているからかもしれない。心の何処かで何かを期待しているんだと思う。ガリガリ君を子どもの時に食べていたら、大人になっても好意的なイメージが有るみたいなことだと思う。

NHK紅白の時にも少し書いたが、そもそもテレビ業界が使っている視聴率という統計が謎というのもあるだろうし、スポンサーとの関係で番組の内容も捻じ曲げられるというのも数多くあったと思う。

昔、マツコ・デラックスが世間一般の業界の裏側に切り込んでいくような、当事者がモザイクをかけられて、マツコ・デラックスと話し合うような番組があって、めちゃくちゃ面白いなと思ったが、確か保険会社のスポンサーを激怒させて、初回一発目で打ち切りになった。

調べてみると、TBS系のバラエティ番組「マツコの日本ボカシ話」という番組で、11年くらい前のものだった。

YouTubeなら余裕で放送できるようなことでも、テレビになると難しい。そのような側面は一種の偏向報道を誘発させる。そういうパワーを持った企業たちが、昔から日本を作ってきたと考えると、果たして今の日本は大丈夫なんだろうかと心配になる。

ネットにも良い面と悪い面があるが、確かに便利になっているし、テレビ番組でもツイッターで#何とかを付けて呟いてください。みたいなことをよく言っている。ネットもほとんどが誤情報だが、ある意味、視聴者が鍛えられる側面もある。

ツイッターなどは、日本人とアメリカ人くらいしかほとんどやってないらしいが、そういう文化的な側面でも日本というのは独特になりやすい。

これからAIが発達してもテレビで「何か“オモシロいコト”ないの?」みたいな緩い番組を楽しむことは出来るんだろうか。きっとこれからVRゴーグルがなくても、自分が異世界に没入しているようなゲームが出てきたり、自宅でもコンサート会場にいるような雰囲気で音楽を聞けるようになるはずである。

ただテレビを見るということにも限界があるし、既にGoogleで何かを調べるというような行為も、AIが出てくれば、もうAIに聞けば答えてくれる形になりつつある。

年寄りが増えて、暇な人が増えていくとはいえ、今の高齢者はYouTubeも見たりしている。だとすると、テレビを家でずっと見ているわけではない。おそらくスポーツを見る時くらいしか、テレビを見ないかもしれない。

昔はテレビが一家団欒の象徴だったイメージもある。今は核家族で、両親共働きで、子供も夜は塾や習い事に行っている。そうなると、一家団欒とテレビという関係も希薄化してきそうではある。

私が子供の頃は、めちゃイケで派手な罰ゲームが行われるとテレビ局にクレームが入ったらしい。子供が真似をするからやめろとか、実際に真似をした子供が学校で虐められたりして、問題になっているとのことで人を叩いたりする罰ゲームは無くなった。

私の父親も毎回そういう罰ゲームがテレビで放送されるたびに「こんなこと真似したらダメだぞ」とか「テレビは全部台本あって、嘘を放送してるんだからな。」とか言っていた。

当時は鬱陶しいと思っていたが、今考えてみると、かなり大切なことにも思える。こうして世の中が変わって、父親が望んでいた方向へ世の中が動いているような気もする。

「何か“オモシロいコト”ないの?」は、「しりとり連想キレるゲーム」という、数取団的なゲームをやっているが、罰ゲームも最終的にでかいバズーカでクリーム砲を食らうか、黒い墨を食らうかぐらいで、ボコボコに殴られたりすることもない。

クリームを使ったら、それはそれで勿体ないから食えというクレームも来るだろうし、誰も食べていないのがわかっているのに、わざわざスタッフが美味しくいただきました。とか、許可を得て放送しています的な注意書きを出すのもつまらなくなっている。

テレビがつまらなくなったと思いこんでいるが、逆に、世間一般の人間達がつまらなくなったんじゃないかと思ったりする。世間がつまらなくなったから、それを映し出すテレビ番組も面白くなくなった。

というのも、昔の人達はなんとなくだが、乱暴な分、受けでも許容範囲が広かったような気がする。セクハラでも嫌な人は嫌で仕方なかったし、治安やマナーも悪かったんだろうが、それを許すような風潮も同じくらいあったのだと思う。

今は箸の持ち方が悪ければ、すぐにテレビ局にクレームが入るらしい。昔は治安的な意味でイカれていたかもしれないが、今は今で別の意味で精神異常者のようなイカれ方をしている。

ベビーカーを電車の中に入れると文句を言う人もいれば、買い物したものがちょっと不満であればECサイトの口コミにボロクソ書いたり、同じようにテレビにも当たり散らして、今のようなテレビ番組になってきたのだと思う。

もしその説が正しいとしたら、変なクレーマーに日本は屈しすぎていて、主体性がないとも思える。自分のやりたいことを本当にやり通したいなら、反対する人を蹴散らしてでも進めなければ、現代は難しい。

もちろん、法を逸脱したり、そこまでじゃなくても倫理的に問題があったりしたらダメなんだろうが、逆に言えばそれ以外ならなんでもいいし、文句を言ってくる人間が株主やスポンサーなら問題ないが、そうじゃないならシカトするくらいの度胸は必要だろう。

そういうイカれた人間はスポンサーにも文句をいうから、結果的にテレビ番組の内容を変えなければいけないんだろうが、最終的には視聴者がつまらない番組を作り出したということなんだろう。

「何か“オモシロいコト”ないの?」の緩さと、面白さの塩梅が現代では合ってるかもしれない。昔やっていためちゃイケのめちゃの水女子大付属高校期末テストをリメイクしたような、呼び出し先生タナカとかも、結局はパクリ呼ばわりされて、つまんなくさせられている感もある。

ただ、そろそろテレビの起死回生がネットと融合し始めて、電波の法律改正などが伴えば、いい感じになるんじゃないかと個人的に思っている。



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