訴訟大国化する日本

松本人志さんといい、サッカー日本代表の伊藤純也選手といい、ちょっとしたブームなんじゃないかと思うくらい訴訟案件が話題になってきている。

ただの訴訟だったらいいのだが、週刊誌が変な絡み方をしてあまり評判が良くない。どちらにとってもメリットがないというか、これが何か正義に繋がるんだろうかと思ってしまう。

日本の法律上、結婚している人間が伴侶以外とそういう関係に及んだら、伴侶が望むなら離婚なり慰謝料なり請求されることになる。ただ、それは別に社会全体が制裁を下すわけではなく、当人同士で解決すればいい話である。

週刊誌はなぜ公にするんだろうか。政治家が何か悪いことをしていて、それを公にするというのは理解できる。それは多くの国民にとって知るべき真実であるし、税金を払っている国民にとって知る権利がある。

じゃあ、一般の人の何かプライバシーに関わることだったり、有名人の素行の悪さを公にして、誰か救われる人がいるんだろうか。

もちろん、それも凶悪な連続殺人などの事件の犯人なら公に知らせる必要があるかもしれない。

私は仕事であれば何をしてもいいという考え方には懐疑的で、仕事であっても人の健康や名誉は守られなければならないと思っている。それは働いている人もそうだし、仕事で関わり合う人も含まれると思う。

週刊新潮が伊藤純也選手についての記事を発表したとき、AFCのアジアの国際大会の期間中だった。Xでも書いたのだが、報道する緊急性が求められたり、出場停止せざるを得ないほど100%の証拠がある悪質な犯罪だとしたら、そうしても仕方がない。

ただ、過去の疑惑の多い事件を犯人扱いのように発表して、チーム全体のモチベーションを下げて、興行全体を冷ますような行為は許されるんだろうか。

100%の現行犯逮捕ならまだしも、伊藤純也選手は去年6月のこと、松本人志さんに関してはもう何年も前の時効のことである。

時効とは言え、事実なら理解できる。ただ、なんでこのタイミングで公にする理由があるのか?と問いたい。

当たり屋をするのは勝手にしたらいいと思うが、他の健全な運転をしている車を事故に巻き込んだり、歩道で楽しく歩いている人まで巻き込んでいくのは、それはあまりにも迷惑行為の域を超えている犯罪に思える。

よく報道では容疑者という言葉が使われる。本来は警察は被疑者というらしいのだが、容疑者という言葉は本来なら「事件の犯人だと疑われている人」という扱いのはずである。

だが、報道された時点でほぼ犯人扱いは確定されてしまう。もし間違っていても、警察はごめんなさいの一言で済ますし、報道機関が謝ることはしない。

ジャニー喜多川さんの性加害の問題の何かを取り返そうとしているのか、やたら性加害の報道をマスコミが頻繁にするようになった。それも、一般女性のタレコミのようなものが多い。

別にそれは悪いことではない。ただ、容疑だろうし、不同意なら女性が必ず被害者になり得る構図も難しいところだと思う。昔のヤクザのように借金の肩代わりで無理矢理カラダを売るみたいな事は悪質きわまりない。

手足を拘束されたり、脅されたりしたら、それも犯罪と言える。昔の法律はそこまでじゃないと、裁けなかったかもしれない。

だが、楽しく酒を飲んで、部屋に入るか戻るかの余裕があったり、言葉が通じる相手にも関わらず、気分が乗らないまま流れに身を任せても不同意なんだろうか。

また、拒否をする言葉を言える状況なのに言わなくても、不同意なんだろうか。そんなことなら、コントのネタで、行為中に「いやん」と言ったら、「あっ、ごめん嫌だった?辞めるね。」と言って、終了してしまうような台本が書けそうである。

本当に女性が傷ついて、被害を受けたなら堂々と裁判を起こして良いし、もっと声を上げやすい社会になって欲しい。それなら世間に何を言われようが確実に勝てると思う。成人女性が被害を受けるケースは、ジャニーズとはまた違う。

直接面識がなかった世間的にパワーを持っている人というのは、どこまで圧力が客観的に認められるんだろうか。

その人をすごいと思うかどうかは個々の性格によると思う。日本の国家元首なら恐れる人も多いだろうが、知らない国の大統領が来て誘われても、強く断れる人が多いかもしれない。

客観的に見てYes Noをはっきり言える環境なのかは、判断が難しい。

ジャニーズの事件は本来守ってくれる立場の社長から、圧力をかけられて乱暴されたという事実がある。それは断れば仕事に影響するし、容易に圧力があると想像できる。

だが松本さんと伊東選手のケースは、直属の上司ではないし、断ったら被害が及ぶような背景もわかりづらい。

いろいろ書いたが、正直私はアジアカップが変なところで負けたり、松本さんが出るテレビが変な目で見てしまうのが嫌で、殴り書きのような感じでこの記事を書いている。

別に女性が被害にあっているなら、法の裁きを受けるべきことで許されないことであるし、それはそれで公にする必要もないと思う。

こういうときは被害者の女性の情報は守られるべきであるのに、ネットには普通に流出してしまっているし、被害女性を特定されないようにする配慮にも欠けている気がする。

一体何が目的なんだろうか。PVという閲覧数の呪縛や、フォロワー数に囚われた人間というのは見るも無惨だと個人的に思っている。

しっかり中身が評価されるもののフォロワーがしっかり付いているならいいが、noteに関して言えばPV稼ぎやフォロワー狙いのスキなど、記事も読んでいないのに、付けてくる人がいる。

悪目立ちでも閲覧数が増えればお金が入ってくるようなシステムは、社会に害をもたらすだろうし、実際にこのような結末を招いてしまった。

こんな人のプライバシーを公にする仕事をするくらいなら、世界情勢を現地調査して、もっと戦争を止める手段や、貧困をなくすようなことに使おうと思わないんだろうか。

能登地震の被害も落ち着いていないし、自治体の地震対策が進んでいなかった原因など調べてみたほうがいいんじゃないかと思ってしまう。

正直なところ、松本さんがクロでもシロでもどっちでもいい。松本さんが別に不倫してようが、誰かを引っ掛けて一発やろうが、私の生活には全く関係ないからである。クロでも驚かないし、普通にテレビ番組を放送して欲しい。

世界のサッカー選手には結婚せずに事実婚で子どもをたくさん作っている人もいるし、人んちの家庭の事情に踏み込まないのが普通の人間の神経だと思っている。被害に遭われた方が親戚だったり、そういう人は怒っていいだろうが、事情も知らない証拠の出しようもない部外者がどうすることもできない。それを公に公表してなんだというんだろうか。

ご近所さんの不倫を知って、誰かから金をもらったからと言って、町内放送で騒ぎ立てるようなことはしない。言論の自由でもないし表現の自由でもない。単なる常識である。

そもそもそれを面白いと思う神経は何なんだろうか。自慢じゃないが私は週刊誌を買ったことがない。読んだこともない。たまたまネットニュースを開いたら、週刊誌発のものだったことは何度もある。今回もネットの週刊誌サイトの情報を参考にして書いている。

公にする側も悪いが、読んで面白がっている人間も悪い。そんな人の噂をして楽しめる性格に生まれてこなかったことが悲しくもある。それができたら、もっと人生楽しかっただろうし、出世も出来て社会性が身についただろう。

「正義とはなにか」を考えるとき、今回の件を踏まえて、人の勝手な噂を信じないことなんじゃないかと思い始めた。

親しみのある人を甘やかして罪を見逃すということではない。そういう人間は逆に噂に流される人間だと思う。

あらゆる情報に惑わされずに、自分の信念を信じて貫くというのが正義であるのかもしれない。だからこそ、週刊誌がこれほどの自信を持って正義を振りかざすのも頷ける

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